日本のスポーツには「外国人論」が常に俎上に上がり続けてきました。
その根底には「日本人は弱く外国人は強い」という劣等感が横たわっています。
大相撲やプロ野球など多くのスポーツでは外国人枠を設けていますが、そこにあるのは「純血が理想」という根強い〝ジャパニーズ・ホープ〟への願望です。
米国ボクシング界でも「ホワイトホープ」という言葉が存在しますが、団体競技で「アングロサクソン・オンリー」のチームなど、どんなに保守的なスポーツファンでもとっくの昔に諦めています。
かつて帝国主義で勝者だった米国や欧州の大国は、少なくともスポーツにおいては外国人に寛容です。もちろん、選手ではなく指導者や運営側の〝支配層〟になると様相は一変しますが。
「日本人は弱く外国人は強い」という根拠のない幻想は、リングでは同じアジア人のマニー・パッキャオが欧米の人気階級でビッグネームを駆逐し、フィールドでは大谷翔平がパワープレーでMLBの猛者と互角以上に渡り合っています、しかも投打で。
悲願のベスト8こそ逃したものの、サムライブルーの大和魂溢れる快進撃、例えば「三笘の1ミリ」は日本人の俊敏さと最後の最後まで諦めない規律によってもたらされたと考えるのは身贔屓すぎるでしょうか?
【サッカー日本代表の場合】
W杯の前に吉田麻也は「(監督・コーチ陣を含め)日本人だけでどれくらい出来るのかをトライする4年間だった。結果が出なければ、また外国人に頼らなければいけないということになる」と、純血でへのこだわりと決意を見せました。
吉田らがこだわった「ジャパン・ウェー(日本のやり方)」には、森保一監督が胸を張った「世界一の献身性」と、「日本には最後まで絶対に諦めないメンタリティーがあると改めて気付かされた」(坂手淳史・ラグビー日本代表主将)が結晶しています。
組織力が高い次元で求められる団体競技の場合、純血主義は単なるセンチメンタルな理想とは言い切れないのかもしれません。
もちろん「だったらJリーグで優勝するのも、純血が最も強いのか?そうでないなら、欧州の強国のようなハイブリッドが最強じゃないのか?」という疑問は残ります。
いずれにしても「純血主義」の本質は、体に流れるDNAなんて上っ面ではなく、ジャパン・ウェーに根差した大和魂を持っているかどうか、それだけです。そこには、肌の色など全く関係がありません。
ラグビーの日本代表はこのジャパン・ウェーが成功したハイブリッド集団です。
【箱根駅伝の場合】
そもそも「世界一」を目指していない、東京箱根間往復で完結してしまっている箱根駅伝を、サッカーW杯やNPBと同列で語るべきかどうかは迷いましたが、今年は過去最多の7人の外国人留学生が出場したということで触れてみます。
まず「留学生ランナー」という呼称はおかしい、というよりも間違っているということを指摘したいと思います。当初「交換留学生」と言われて、私たちの間には「じゃあ日本からも誰かケニアに行かされたのか?(ケニアに失礼な言い方はご容赦ください)」という疑問が湧き起こりましたが、いつの間にか「交換」は取れて今に至ります。
彼らは留学生ではなく「助っ人外国人」です。たまたま日本に学びに来た大学が、たまたま駅伝強豪校で、たまたま自分も長距離走が速かったのではありません。
彼らは駅伝強豪校が箱根駅伝で成績を残すために、ケニアからスカウトしたアスリートであって、留学で日本に来たわけではありません。
高校時代に優秀な学業成績を残したわけではないのに、授業料を払うことなく、それどころか母国に仕送りできるほどの〝奨学金〟をもらっているのです。
1989年、山梨学院大からジョセフ・オツオリら2人のケニア人が出場したときは、事前に聞いていたので衝撃はありませんでした。
それよりも、その2年前に予選会を走った私が全く知らなかった「山梨学院大学」のユニフォームを着た選手にゴール前で抜かされた記憶が衝撃的でした。
強豪校はもちろん、無名大学に負けることは私のレベルでは当たり前でしたが、衝撃的だったのは彼らが6〜7人の集団で私を抜いていったことでした。
私のタイムで10人揃えたら本戦出場できるような時代でしたから、衝撃を受けたのは「強烈な意志を感じる集団走」と「もし何人かが先にゴールしていたらこの大学は本戦出場を決める」と確信したからでした。
そして、山梨学院大は見事に予選突破、初出場を果たすのです。
当時も今も「外人を使うな」「日本人で勝負できないなら出てくるな」という意見がありますが、個人的には助っ人外国人の起用には反対ではありません。
同じ大学なら強い選手と一緒に生活して練習できる、他大学なら高い次元で強力なライバルが出現することは、競技能力を間違いなく引き上げてくれます。
レベルが上がっても箱根駅伝の人気が吹っ飛びますから、関東学連は絶対にやりませんが外国人枠を完全撤廃しても構わないとも思います。そうなると、再来年の100回大会記念1回きりの全国化で、実力不足から予選会突破が絶望的だった地方大学にも可能性が一気に膨らみます。
「留学生8人を揃えた関西学院大が予選会をダントツの1位で本戦出場を決めました!」なんて、面白いと思います。
ちなみに山梨学院大を「全く知らなかった」というのは嘘で、具志堅用高がファン・グスマンを粉砕してWBAジュニアフライ級王者になった舞台が山梨学院大学体育館でした。どどどっと抜かれたときは「え?もしかして具志堅の?」と思いましたが、そのときは「いや、別の大学だろう」と思い直しましたが。
具志堅戴冠の1976年、私はまだボクシングを知りませんでしたが、後追いで知ったときも「山梨学院大ってなんだ?なんで山梨学院大?」と、当時箱根駅伝の予選会が行われていた大井埠頭で感じたのと同じ感慨に耽ったのを思い出します。
【格闘技の場合】
亀田興毅は「ボクシングは伝統あるスポーツ。格闘技とは違う」と「最高・再興」を訴えましたが、私の中ではボクシングもキックもMMAも同じです。
二つの拳、ナックルパートという非常に小さい面積の武器だけで、深遠な世界を演出してみせるボクシングが一番好きなだけです。
ボクシングファンの多くは、「ボクシング以外は見ない」のではなく、MMAやキックボクシングにも興味を刺激されているはずです。
さて、ボクシングでも多くの優れた外国人選手が日本のリングに上がりました。
しかし、残念ながらボクシングにおける外国人は〝成功〟を収めたことがありません。アントニオ猪木が立ち上げた〝ペレストロイカ〟も、最高の素材を揃えたものの多くのボクシングファンは興味を示しませんでした。
〝ペレストロイカ〟では、日本のジム所属で初めてPFPファイターに名前を連ねたユーリ・アルバチャコフがハリウッド俳優の前座に甘んじ、欧米の人気階級でスター選手との激突もありえたオルズベック・ナザロフも「ライト級のトップファイター」という価値に見合うだけの尊敬と注目を日本で集めることはありませんでした。
ユーリはタイであのムアンチャイ・キティカセムをKOし、ナザロフはオスカー・デラホーヤらが対戦を回避したと言われたほどの実力者だったというのに。
一方で、K1やPRIDEでは日本人よりもはるかに強い 外国人ファイターは、それに相応しい尊敬と注目を集めていました。
K1もPRIDEも刹那の徒花に終わりましたが、素晴らしいプロモーションと、狭量のボクシングファンにはない、目の前にあるハイレベルを手放しで歓迎するファンは、ボクシングが見習うべき姿勢だと思います。
その根底には「日本人は弱く外国人は強い」という劣等感が横たわっています。
大相撲やプロ野球など多くのスポーツでは外国人枠を設けていますが、そこにあるのは「純血が理想」という根強い〝ジャパニーズ・ホープ〟への願望です。
米国ボクシング界でも「ホワイトホープ」という言葉が存在しますが、団体競技で「アングロサクソン・オンリー」のチームなど、どんなに保守的なスポーツファンでもとっくの昔に諦めています。
かつて帝国主義で勝者だった米国や欧州の大国は、少なくともスポーツにおいては外国人に寛容です。もちろん、選手ではなく指導者や運営側の〝支配層〟になると様相は一変しますが。
「日本人は弱く外国人は強い」という根拠のない幻想は、リングでは同じアジア人のマニー・パッキャオが欧米の人気階級でビッグネームを駆逐し、フィールドでは大谷翔平がパワープレーでMLBの猛者と互角以上に渡り合っています、しかも投打で。
悲願のベスト8こそ逃したものの、サムライブルーの大和魂溢れる快進撃、例えば「三笘の1ミリ」は日本人の俊敏さと最後の最後まで諦めない規律によってもたらされたと考えるのは身贔屓すぎるでしょうか?
【サッカー日本代表の場合】
W杯の前に吉田麻也は「(監督・コーチ陣を含め)日本人だけでどれくらい出来るのかをトライする4年間だった。結果が出なければ、また外国人に頼らなければいけないということになる」と、純血でへのこだわりと決意を見せました。
吉田らがこだわった「ジャパン・ウェー(日本のやり方)」には、森保一監督が胸を張った「世界一の献身性」と、「日本には最後まで絶対に諦めないメンタリティーがあると改めて気付かされた」(坂手淳史・ラグビー日本代表主将)が結晶しています。
組織力が高い次元で求められる団体競技の場合、純血主義は単なるセンチメンタルな理想とは言い切れないのかもしれません。
もちろん「だったらJリーグで優勝するのも、純血が最も強いのか?そうでないなら、欧州の強国のようなハイブリッドが最強じゃないのか?」という疑問は残ります。
いずれにしても「純血主義」の本質は、体に流れるDNAなんて上っ面ではなく、ジャパン・ウェーに根差した大和魂を持っているかどうか、それだけです。そこには、肌の色など全く関係がありません。
ラグビーの日本代表はこのジャパン・ウェーが成功したハイブリッド集団です。
【NPBの場合】
イチローが「内野安打製造機」としてMLBで大きな爪痕を残し、松井秀喜がニューヨーク・ヤンキースで「クラッチヒッター」として世界一に最も貢献するMVPに輝いても、贅沢な野球ファンには「パワー勝負ではゴジラでも通用しない」という忸怩たる思いがありました。
「まだ道は遠い」と〝その日〟はずっと先のことだと思っていました。
「まだ道は遠い」と〝その日〟はずっと先のことだと思っていました。
しかし、今シーズン、大谷翔平がリーグ記録を更新する60本以上の本塁打を放ってホームラン王を獲っても「信じられない」と驚く人は1人もいないでしょう。
では、NPBでも、もはや外国人は必要ないのか?となると、やはり話は別です。
「絶対無理と言われるとやりたくなる」という大谷翔平の頭の中には、既成概念へのこだわりや、和をもって尊しとする日本人特有の思考回路が全く見当たりませんし、突然変異の香りが充満しています。
個性的なタレントの巣窟であるMLBでユニコーンと呼ばれていることを考えると、大谷は「日本の突然変異」ではなく「世界の突然変異」でしょう。
それでも、昨シーズンは村上宗隆という、少なくとも日本では規格外のパワーが覚醒しました。村上がMLBでも強力なフォースであり続けることができるかどうかはわかりません。
もしかしたら、第二の筒香になるかもしれません。
しかし、そうだとしても第二、第三の村上を育ててその矢を放ち続ければ、遠くない未来にMLBの壁をブチ抜くでしょう。もちろん、私はそれが〝第一の村上〟だと確信していますが。
いずれにしても、NPBで「パワーは外国人頼み」の時代は終焉を迎えています。
【箱根駅伝の場合】
そもそも「世界一」を目指していない、東京箱根間往復で完結してしまっている箱根駅伝を、サッカーW杯やNPBと同列で語るべきかどうかは迷いましたが、今年は過去最多の7人の外国人留学生が出場したということで触れてみます。
まず「留学生ランナー」という呼称はおかしい、というよりも間違っているということを指摘したいと思います。当初「交換留学生」と言われて、私たちの間には「じゃあ日本からも誰かケニアに行かされたのか?(ケニアに失礼な言い方はご容赦ください)」という疑問が湧き起こりましたが、いつの間にか「交換」は取れて今に至ります。
彼らは留学生ではなく「助っ人外国人」です。たまたま日本に学びに来た大学が、たまたま駅伝強豪校で、たまたま自分も長距離走が速かったのではありません。
彼らは駅伝強豪校が箱根駅伝で成績を残すために、ケニアからスカウトしたアスリートであって、留学で日本に来たわけではありません。
高校時代に優秀な学業成績を残したわけではないのに、授業料を払うことなく、それどころか母国に仕送りできるほどの〝奨学金〟をもらっているのです。
1989年、山梨学院大からジョセフ・オツオリら2人のケニア人が出場したときは、事前に聞いていたので衝撃はありませんでした。
それよりも、その2年前に予選会を走った私が全く知らなかった「山梨学院大学」のユニフォームを着た選手にゴール前で抜かされた記憶が衝撃的でした。
強豪校はもちろん、無名大学に負けることは私のレベルでは当たり前でしたが、衝撃的だったのは彼らが6〜7人の集団で私を抜いていったことでした。
私のタイムで10人揃えたら本戦出場できるような時代でしたから、衝撃を受けたのは「強烈な意志を感じる集団走」と「もし何人かが先にゴールしていたらこの大学は本戦出場を決める」と確信したからでした。
そして、山梨学院大は見事に予選突破、初出場を果たすのです。
当時も今も「外人を使うな」「日本人で勝負できないなら出てくるな」という意見がありますが、個人的には助っ人外国人の起用には反対ではありません。
同じ大学なら強い選手と一緒に生活して練習できる、他大学なら高い次元で強力なライバルが出現することは、競技能力を間違いなく引き上げてくれます。
レベルが上がっても箱根駅伝の人気が吹っ飛びますから、関東学連は絶対にやりませんが外国人枠を完全撤廃しても構わないとも思います。そうなると、再来年の100回大会記念1回きりの全国化で、実力不足から予選会突破が絶望的だった地方大学にも可能性が一気に膨らみます。
「留学生8人を揃えた関西学院大が予選会をダントツの1位で本戦出場を決めました!」なんて、面白いと思います。
ちなみに山梨学院大を「全く知らなかった」というのは嘘で、具志堅用高がファン・グスマンを粉砕してWBAジュニアフライ級王者になった舞台が山梨学院大学体育館でした。どどどっと抜かれたときは「え?もしかして具志堅の?」と思いましたが、そのときは「いや、別の大学だろう」と思い直しましたが。
具志堅戴冠の1976年、私はまだボクシングを知りませんでしたが、後追いで知ったときも「山梨学院大ってなんだ?なんで山梨学院大?」と、当時箱根駅伝の予選会が行われていた大井埠頭で感じたのと同じ感慨に耽ったのを思い出します。
【格闘技の場合】
亀田興毅は「ボクシングは伝統あるスポーツ。格闘技とは違う」と「最高・再興」を訴えましたが、私の中ではボクシングもキックもMMAも同じです。
二つの拳、ナックルパートという非常に小さい面積の武器だけで、深遠な世界を演出してみせるボクシングが一番好きなだけです。
ボクシングファンの多くは、「ボクシング以外は見ない」のではなく、MMAやキックボクシングにも興味を刺激されているはずです。
さて、ボクシングでも多くの優れた外国人選手が日本のリングに上がりました。
しかし、残念ながらボクシングにおける外国人は〝成功〟を収めたことがありません。アントニオ猪木が立ち上げた〝ペレストロイカ〟も、最高の素材を揃えたものの多くのボクシングファンは興味を示しませんでした。
〝ペレストロイカ〟では、日本のジム所属で初めてPFPファイターに名前を連ねたユーリ・アルバチャコフがハリウッド俳優の前座に甘んじ、欧米の人気階級でスター選手との激突もありえたオルズベック・ナザロフも「ライト級のトップファイター」という価値に見合うだけの尊敬と注目を日本で集めることはありませんでした。
ユーリはタイであのムアンチャイ・キティカセムをKOし、ナザロフはオスカー・デラホーヤらが対戦を回避したと言われたほどの実力者だったというのに。
一方で、K1やPRIDEでは日本人よりもはるかに強い 外国人ファイターは、それに相応しい尊敬と注目を集めていました。
K1もPRIDEも刹那の徒花に終わりましたが、素晴らしいプロモーションと、狭量のボクシングファンにはない、目の前にあるハイレベルを手放しで歓迎するファンは、ボクシングが見習うべき姿勢だと思います。


コメント
コメント一覧 (2)
大迫傑はマラソン未勝利。2着になったことすらありません。強いのは間違いないですが、そういう選手をスター扱いするのは絶対におかしいと思います。
フシ穴の眼
が
しました