高校時代、授業にも出ずに自宅や図書館で引きこもっていた日々。

進学など全く考えずに、図書館の本を貪り読んだり、場末の映画館で古い名画を朝まで繰り返し観ながら、未来への不安をかき消そうとしていた毎日。

高校2年生のときに、一つ上の先輩から「大学行った方が就職するまでの執行猶予が楽しめるやん」と、薦められるまま模擬試験を受けると、5割ちょっとの点数しか取れませんでしたが、学校の中間期末試験はもっと酷い点数だったので、簡単な模擬試験なんだと思っていました。

しかし、先輩は「やっぱり思ってた通りや、この模試で偏差値60超えるって大したもんや。丸腰でこれやから、次受けたらもっと点数伸びる。この予備校から講習受けてくれってお願いされるで」と、励ましてくれて、次は教科書や参考書も少しなめて読んでから受けると、先輩の言う通りになりました。

無料で招待されたいくつかの予備校の中に、元学生運動の闘士で2万冊以上本を読んだという名物英語講師がいました。

ある日、講義が始まる前にボクシングマガジンを広げて読んでいると、その講師が「珍しいものを読んでるな」と取り上げて、パラパラ見て「もしかしてこの英語のキャプションで勉強しとんか?」と話しかけてきたのを覚えています。

確かに、今見直すと記事の頭にある英語の概要は結構なボリュームです。

IMG_0121

そのボクマガが1986年2月号でした。表紙は「新・世界の顔 ドン・カリー」。ミルトン・マクローリーとの完全統一戦に勝利、シュガー・レイ・レナード以来のウェルター級Undisputed Championは、世界のボクシングシーンの中心であった、ミドル級のUndisputed Championマービン・ハグラーとの対戦が熱望されていました。

今から36年前、ラスベガスの中心地はシーザース・パレス。リングの主役はマービン・ハグラーでした。

記事は1985年12月下旬〜1986年1月上旬に行われた試合が中心。

ページをめくると、巻頭特集は「打倒ハグラーに狙いを定めるクールなキングコブラ」。

そして「カオサイ、豪快に倒し納め」では、ラジャダムナン・スタジアムでエドガー・モンセラットを2ラウンドKOで破壊したWBAジュニアバンタム級王者カオサイ・ギャラクシーの防衛戦を詳報。

「韓国が世界Jフライ級独占」では、柳明佑がホームの大邱体育館でWBA王者ジョーイ・オリボからスプリットデジションでタイトルを奪取。すでに防衛のテープを8に伸ばしていたWBC王者の張正九の対立王者に就きました。

今なら、寺地拳四朗vs京口紘人のようにUndisputed Championshipに向けて盛り上がったのでしょうが、両団体の確執は深く、統一戦に乗り出した王者はタイトル剥奪が当たり前の時代。

Undisputed Championを戴いていたのは、ウェルターとミドルという大きな興行になる人気階級だけでした。

今回、この号を取り上げたのは、WBCライト級王者ヘクター・カマチョのノンタイトル戦がしっかり報じられていたからです。

「カマチョ、無冠戦で楽勝」のヘッドラインで、記事の中にはトラッシュトーカーのマッチョマンが「珍しく相手を褒めることを忘れなかった」「彼はベストを尽くした。自分が負けることを知りながら、全力でぶつかってきた」と話したことが紹介されていました。

かつて、ホワイトホープと期待され、世界ランカーに入ったこともある、カマチョの対戦相手は…。

IMG_0119

当時25歳のフレディ・ローチでした。

前の試合で、のちの世界王者グレグ・ホーゲンに7ラウンドでストップされていたローチは「スーパースターのカマチョに勝てば人生がひっくり返ると信じて最後まで諦めなかったが、とにかく手も足も速かった」と、完敗を受け入れます。

後になって、バージル・ヒルを指導してトレーナーの素質を開花させたローチを知り、このボクマガを引っ張り出して読み返したこともよく覚えています。

「あのとき、カマチョに何もできずに完敗した白人が頑張ってる」…感動しました。

その後、ローチはマーロン・スターリングやウェイン・マッカラーらのトレーナーもつとめ、指導者としての地歩を固めます。

リングの中で夢を叶えられなかった青年がトレーナーとして大きな成功を収めるーーー人生の逆転劇に勇気づけられましたが、そんな大きな成功が単なるプロローグに過ぎなかったとは…。

まさかもっともっと大きな栄光が、ローチに待ち構えているなんて、ボクマガ1986年2月号を手に取って予備校の講堂で読んでいた当時の私には想像だにできませんでした。