プロボクシング業界を支援する自民党の議員連盟「プロボクシングの発展を応援する国会議員の会」は、競技人口の減少や、ジムの経営難などに直面するプロボクシング業界を応援しようと、自民党の国会議員で結成されました。

今月7日に開かれた設立総会には、「ファイティング原田のファンだった」という会長の加藤勝信厚生労働相や、プロテストに合格した経験がある赤間二郎衆院議員、東大在学中にボクシング部に所属した西村康稔経済産業相、世界ジュニアフライ級王座統一戦で勝利した寺地拳四朗も出席。

「妻が井上尚弥選手と1文字違い」(そんな理由もあり?)という井上信治元万博相も参加、名誉顧問にはどういう経緯か菅義偉前首相が就きました。

自民党から同情されるなんて一ファンとしては微妙な心境ですが、悪い話ではありません。

とにかく、今のボクシング界は競技人口の減少、40年近くも凍りついたファイトマネー、社会的な関心・人気の低下と、深刻を極めています。

こんな面白いスポーツが没落していく様を見続けるのは、辛いものがあります。

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50〜60年代、ボクシング黄金時代。当時を伝える書籍を読むと、信じられない思いに囚われてしまいます。

同じ50〜60年代、ある意味でプロ野球も黄金時代と呼んで良いかもしれません。

あれから半世紀以上が経ち、プロ野球は長嶋茂雄以上の国民的英雄は生み出せていないかもしれませんが、あの時代よりもプレーヤーとして報われる、魅力のある地図が描かれています。

一方で、プロボクシングは、この50年以上もの時間を使って、どんな地図を描けたのでしょうか?

プロ野球にも「変えなきゃいけないこと、変わらなきゃいけないこと」は山積しています。

課題は、順調に発展していっても、未来永劫、なくなることはありません。

いろんな問題を解決しながら、発展していくのです。

翻って、プロボクシングは…50年前から一歩でも前に進めたでしょうか?

もしかしたら…何歩も後退していませんか?

野球がメジャーにクサビを打ち込み続けているのに対して、ボクシングはいまだに世界のメジャー階級の前には、ミドル級で竹原慎二が刹那の栄冠を掴み、村田諒太は五輪金、プロでも2度も王者に就き、歴史的な王者に挑むまで階段を上がりました。

しかし、村田がプロでもクサビを打ち込んだか?と訊かれると、目を背けるしかありません。

そして、何よりも結果云々よりも竹原も村田も日本ボクシングが描いた地図を辿って、人気階級に辿り着いたわけではありません。

そこが、問題なのです。

彼らは周囲の尽力があったとはいえ、何の連続性もない突然変異です。

もちろん、豊穣な才能を抱える野球でも、大谷翔平は日本の野球界が指南した地図を辿ってあの位置に登り詰めたわけではありません。

アメリカが分かりやすく命名してくれたように、大谷はユニコーンです。連続性も仲間も、競争相手もいない突然変異です。

野球界が概ね健康的に発展したからこそ、地図をはみ出す冒険者が出現したと解釈するのは、日本野球を過大評価し過ぎでしょうか。

ボクシング界は、メジャーを目指す地図を描けていません。

それどころか、日本を代表する地図を描くべき人が、軽量級でもラスベガスの大舞台があるかのような嘘を重ねてきました。

地図が間違っていたら、メジャーに辿り着ける道理がありません。

ファンも、メジャーから目を逸らして「ジュニアフェザー級でも世界王者になったらPFP1位に返り咲き」と、弱者救済ランキングに注目しているようにさえ思えます。

まず、正しい地図を作ること。そこから始めるしかありません。

誤解を招く表現があったでしょうが、軽量級を馬鹿にしたり、井上尚弥や井岡一翔が欧米で誰も知らないからダメ、なんて微塵も思っていません。

中谷正義がフェリックス・ベルデホを逆転で沈めたとき「井岡にはもっと楽に勝てるのにもったいない、と言われました」と笑いました。

村田諒太は「そら、俺もナオみたいなボクシングしたいよ」と、本人の目の前で褒めたことがありました。

そう言うことです。

カネロ・アルバレスやタイソン・フューリーを倒した日本人が勝利者インタビューで「軽量級のボクシングなら当たり前の動きですよ」と、T-Mobileセンターやマディソン・スクエア・ガーデンのリングで、フライ級とバンタム級の区別もつかない米国ファンに語りかける…。

そんな未来が来たら、最高です。