1986年11月22日(日本時間23日)、ラスベガスヒルトン、特設リング。

世界のメジャースポーツだったボクシングは、70年代後半から地盤沈下が始まっていました。

1974年10月30日、米国のゴールデンタイムに合わせてキンシャサの深夜にゴングが鳴らされたRumble in the Jungle、あの時からヘビー級が、つまりボクシングがゆっくりと下り坂を転がり始めました。

それまでも、ボクシングは社会的地位も人気も下落傾向にありましたが、一人のボクサーが他の人気スポーツ選手を凌駕する輝きを放っていたために、多くの人がそれに気づきませんでした。

 モハメド・アリが衰え、スターのトーチはかつてのスパーリングパートナー、ラリー・ホームズに継承されたかに見えました。

しかし、アリのコピーと言われたホームズがその器でないことは誰の目にも明らか、コピーというのも不正確な表現で、アリの全盛期のスペクタクルと、スポーツの枠を超えたカリスマ性は、全く複製されていませんでした。

スポーツファンがボクシングに見切りをつけ、ボクシングファンがヘビー級からウェルター級やミドル級に鞍替えした頃に現れたのがマイク・タイソンでした。

レベルと人気の低下で目も当てられなかった、悲惨なヘビー級を代表する世界王者の一人がトレバー・バービック、奇しくもアリの引退試合の相手に、タイソンが挑戦したのです。

 

まだ、WOWOWはもちろん、NKK -BSの「世界のプロボクシング」もなかった時代、メガファイトはテレビ東京系列の独壇場。

思えば、サッカーW杯もそうでした。 



タイソンがバービックを〝宇宙遊泳〟させた36年前の今日。20歳でヘビー級タイトルを奪取した史上最年少記録は、いまだに破られていません。 

当時でも「波瀾万丈の人生」と表現されたタイソンは、さらに高い波がうねる暗い海原に翻弄されてゆきます。

「史上最強」と呼ばれたこともあったアイアン・マイクはイベンダー・ホリフィールドやレノックス・ルイスのような同年代のファイターに無惨にやぶれ、その評価も暴落。

「カス・ダマトが亡くなってから弱くなった」という信者もいますが、タイソンはダマトの生前からドン・キングと密通し、バービックを2ラウンドで屠った夜もキングとハグし、キングに抱き上げらrふぇていたのです。

2011年には殿堂入りを果たします。

そのときも数々の犯罪歴と「誰に勝ったのか?」という実績まで挙げて、殿堂にふさわしいかどうか疑問視する声もありましたが、ヘビー級への注目をあそこまで沸騰させた史上最年少王者を殿堂入りさせないなんてありえません。

とはいえ、弱い相手にはめっぽう強く、強い相手を前にするとパニックを起こすチキンでした。

今でもホリフィールドやルイスからエキシビションの誘いからは逃げ、選んだのが小さなロイ・ジョーンズ…。エキシビションでも怖いんです、きっと。

和解して一緒にビジネスを手がけても、ホリフィールドがエキシビションの話を出すと歯切れが悪くなります。

彼らと無理やり戦わせられた恐怖の記憶は、今もトラウマになっているのかもしれません。

シュガー・レイ・レナードやフリオ・セサール・チャベスとのエキシビションなら嬉々として受け入れそうですが。



それでも、マイク・タイソンの人生は多くの人の共感を呼び、日本のファンにとっても今なお最も印象に残る外国人ファイターです。

マイク・タイソンは「誰に勝ったのか」や、後世の評価だけで語るべきでない、時代のアイコンです。