具志堅用高は「国民的英雄」と呼べる最後のプロボクサーでした。

国民的英雄が常にそうであるように、具志堅も時代の追い風に乗って、英雄の神輿に担がれてゆきました。

しかも、具志堅は三つも追い風を呼び込んだ英雄でした。 

一つ目は「沖縄の本土復帰」。沖縄への興味・関心が膨れ上がっていた時代に、具志堅は登場したのです。

二つ目の風は「ジュニアフライ級」の新設。鳴物入りでプロに転向しましたが、リミット45kgのモスキート級で活躍していた具志堅にとって、最軽量がフライ級(50.8kg)のプロでのスタートはパッとしませんでした。ジュニアフライ級(48.9kg)の新設は、具志堅にとって天恵でした。

そして、三つ目の風はボクシング熱がまだ熱かった1970年代に出色のパフォーマンスを見せたということです。もし、現代に具志堅が現れても、あれほどの熱風が巻き起こることはなかったでしょう。

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…しかし。

あの時代でも、沖縄出身者なら誰でも国民的英雄になれたのかというと、そんなわけはありません。

そして、ジュニアフライ級はフライ級よりも2kg弱軽いとはいえ、モスキート級よりまだ4kg近くも重かったのです。

当時、ストロー級があれば、カンムリワシはどれほど鮮烈な活躍を見せていたのでしょうか。4団体17階級時代なら、ボクサーとしてはもっと強烈な数字を残したことは疑いようがありません。

そして、1970年代だからボクシングの世界王者が国民的英雄になる余地が残されていた、というのも間違いです。

1970年代だから、世界チャンピオンになったボクサーが自動的に国民的英雄になれる…そんなわけがないのは、誰にでもわかるでしょう。

かつて、毎晩ゴールデンタイムに民放のどこかがボクシング番組を中継していた黄金時代はすでに終わっていました。

具志堅が現れたときは1970年代も終盤、ボクシング人気はすでに下り坂を転がっていたのです。

具志堅が時代に恵まれたのではなく、時代が具志堅に恵まれたのです。

もっと正確で、わかりやすい言葉を使うと、具志堅用高は途轍もなく強いボクサーでした。

具志堅はリング誌1970年代PFPで10位にランクされましたが、インターネットで世界が小さくなった現代ならもっと評価されていたことは疑いようがありません。

ファン・グスマンを戦慄のファッションで破壊、世界タイトルを強奪すると、カンムリワシは高く高く舞い上がります。

小林弘と輪島功一が持っていた世界タイトル防衛記録「6」を超えると、具志堅の防衛テープがどこまで伸びるかは、国民的関心事となっていました。

そんな進撃の小さな巨人に、私も感化されました。

グスマンからタイトルを奪った試合は、具志堅のKOで試合が早く終わったときの〝過去の名勝負〟特集で見ましたが、私が具志堅に夢中になったのは、その頃でした。


もし、具志堅がいなければ、私が米国のボクシングを溺愛することはなかったかもしれません。

国民的英雄になってからの具志堅しか知らない私でしたが〝過去の名勝負〟や、ボクシングマガジンなどのバックナンバーを読んで〝リトル・フォアマン〟グスマンや、世界ランカーのゴメス・キーを知ることになるのです。