人間、誰しもその目で見たものと、そうでないものでは、語り口が変わってきます。



これから話すのは義理の弟のことです。

下関の人、というのがまたバイアスかかりまくりな話になります。



30年くらい前、妻の実家に帰ったとき。

当時高校生で野球部だった弟と「史上最高の選手」という、このブログで垂れ流しているのと同じような答えのないテーマで「史上最高の打者」「史上最高の投手」を話し込みました。

野茂英雄がMLBで旋風を巻き起こしていた当時、私は「レベルの高いリーグで活躍したという実績なら野茂」と言うと、弟は「池永はナシやから、野茂になるんかな」とつまらなそうに笑いました。

「池永はナシやから」。

そこには「反則的に凄い投手」という意味と、あの忌々しい「事件」でわずか5年の現役時代では他の選手と同じ俎上に乗せられないという悔しさも滲んでいるようにも聞こえます。


弟は下関で生まれた野球少年、池永正明が特別な存在であることは当たり前なのかもしれません。

「池永か。よく知らないし、見たこともないけど、お前も見たことないやろ?」と訊くと、弟は「そんなん、見てのうてもわかる」と口を尖らせました。

周りの人からずっと聞かされてきたんでしょう。

まさに、伝説です。


「池永はナシで」「池永のことゆうても詮無いだけや」という言葉は弟や義理の父親からも何度か耳にしました。

史上最高の才能を持つ、そんな投手の1人だったことは間違いありません。

わずか5年余りで103勝65敗、防御率2.36。凄まじい成績ですが60年代のプロ野球では、1人だけ傑出した数字とは言えません。

偉大な投手の中の1人です。

それなのに…下関の人だけでなく「池永こそ史上最高だった」という言葉は何人かの年配の方から聞き、活字でも読んだ記憶があります。

池永の永久追放が決まったとき、チームメートは「池永だけは」と泣いて嘆願したと言います。そこには「若い池永はかわいそうだ」という思いだけではなく、「そんなことしたら日本プロ野球の大損失になる!」という悲鳴が聞き取れます。

 
池永の勇姿を一度も見ることが出来なかったのは残念です。

もし、もっと早く生まれて池永を目の当たりにしてたら、きっと私もこんな風に言っているはずです。

「池永はナシにしたら、ダルビッシュや大谷はええピッチャーやな」。