私は中高生だった1980年代に、世界のボクシングに惹きつけられました。

野球推薦で高校進学という夢が断たれて、厭世的になっていたときに、米国ボクシングのメガファイトに心を奪われたのは、今思うと偶然ではなく必然だったのかもしれません。

もはや、プロ野球に代表される野球への関心が失せた負け犬の私にとって、日本人の姿も影も見えない世界で、野球よりも華やかな米国ボクシングのメガファイトは、きっとこれ以上ない最高の逃げ場所だったのです。

そんな負け犬が逃げ場所だと気づかないくらいに、80年代の米国ボクシングはニワカにとって魅力極まりないものでした。

最高のヘビー級よりもウェルター級やミドル級の方が上という「PFP」の詭弁と、ヘビー級王者には頭の片隅にもない「複数階級制覇」という工作行為は、本物のボクシングを見てきたファンにはフェイクでしかありませんでした。

しかし、まだ10代半ばで具志堅用高を知ったばかりの私にとって、それは目眩く世界に他なりませんでした。

「PFPってなんかすごそう」

「3階級制覇、半端ねー!」

図書室に届くスポーツイラストレイテッド誌やリング誌はもちろん、タイム誌やニューズウィーク誌などの一般誌も貪るように読み耽り、日本から遠く離れた場所で繰り広げられている、日本の軽量級ボクシングとは全く違う異世界に思いを馳せていました。

そのトリックにはすぐ気づくものの、やはりそこは間違いなく異世界でした。

1988年。そんな異世界が私の眼の前に現れるのです。

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Undisputed heavy-weight championのマイク・タイソンが日本で防衛戦を行うというのです。

舞台は建設中の日本初のドームスタジアム、東京ドーム。「米国を抜いた」と狂喜乱舞するバブル経済の象徴の一つである東京ドーム、その杮落としにマイク・タイソンほど相応しい米国のビッグネームはありませんでした。

フロイド・メイウェザーやマニー・パッキャオ、カネロ・アルバレスの方が稼いだカネの額は多くても、当時のタイソンのインパクトは現代のボクサーとは比べものになりません。

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千人を超えるの海外メディアを受け入れる拠点として用意されたのが、東京ドームに隣接するのちにプリズムホールとなる巨大会議場。

大学の掲示板に「通訳・会場案内」の短期アルバイト募集が張り出されたのを見つけると、すぐに応募しました。

「1万5000円+残業代」という日給を今でも記憶しているのは、予備校講師や家庭教師を除いたアルバイト報酬として、当時破格だったからではありません。

異世界と生身で遭遇するという現実に、戦慄し興奮したからでした。たとえ無償でも応募してました。

大学図書館の最新号の雑誌は持ち出し禁止だったため、新宿の紀伊国屋書店でボクシングマガジンやリング誌などの雑誌を買って水道橋に通った1ヶ月ほどの日々は、私にとって間違いなく青春の1ページでした。