蒸し暑い中でぬるいビールに不満爆発寸前ながら、高校生たちの素晴らしい試合ぶりに感動しています。
青春がはじける次の試合まで、チャチャッと新しいシリーズ。
「妄想PFP」です。
「年間括りなどではない、コロコロ変わる電子版PFPなら原田は長らくキングに君臨していたかもしれない」なんていう、妄想重ね塗りのシリーズ、始まりはじまり〜。
そもそも「Mythical ranking(妄想ランキング)」とされているPFPに、さらに妄想を重ねた新シリーズです。
リング誌が、Annual Awardsの一つとして Fighter of the Year(年間最高選手賞)とは別に、The Best Fighter poll(年間PFP)を創設したのが1980年(経営難のために2017年で廃止)、現在では2000年代後半からデジタルバージョンで都度更新されるPFPだけが残っています。
では、1979年以前は定期的に発表されるPFPは存在してなかったのか?というとその通りです。
もちろん、70年代以前のことは直接的には知りませんが、The Best Fighter pollは「シュガー・レイ・ロビンソンを語るとき以外は間歇的にしか目にすることのなかったPFPを定期的にランキングする」というのが始まり。
当時は、モハメド・アリの引退(1981年)が迫り、ヘビー級が空洞化する中でシュガー・レイ・レナードやトーマス・ハーンズ、マービン・ハグラーら中量級のボクシングに注目を向けさせるツールの一つとしてプロモーターやメディアがPFPを使ったのでした。
ロビンソンのときもそうだったように、PFPは「リングの中で強い奴(ヘビー級)だけがボクシングじゃない」という屁理屈を正当化する詭弁としていつも持ち出されていたのです。
リング誌では、1979年以前にPFPを定期的にランキングする作業は行っていなかったと推察できますが、それ以前にPFPが存在していたらどんなランキングだったのでしょうか?
「『黄金のバンタム』を破った男」(百田尚樹)の中に「(エデル・ジョフレは)世界のボクシング関係者がこぞってPFPナンバー1と評価していた」とありますが、当時はPFPは一般的に浸透していません。
とはいえ、21世紀になってからの格付けで1960年代のDecade(10年間)PFPでリング誌はアリを2位に、ジョフレを1位にランクしました。
これは1966年8月20日時点の世界王者一覧です。10階級しかありません。ウェルター級王者エミール・グリフィスがミドル級に上がったため、ウェルターは空位、世界王者は9人しかいません。
実にシンプルです。
「誰でも世界王者の名前を簡単に覚えることができた」(リング誌)という古き良き時代です。
もし、当時も各メディアが独自のPFPを発表していたとすると、順番はともかく、この9人の世界王者をベストナインまですっぽり当てはめるしかありません。
そして、ウェルター級王者決定戦で勝利したカーチス・コークスが10番目に滑り込むような形です。
そんな、当たり前で全自動的で妄想が付け入る隙の少ないPFPは全く面白くありません。いろんな妄想が錯綜するからPFPは面白いのです。
あの時代にPFPなど誰も考えなかったのも当然です。
妄想が付け入る隙があるとしたら、もしリング誌電子版のコロコロ変わるPFPがあれば?ということです。
リング誌のDecade-PFPで1位のジョフレが1965年5月18日にファイティング原田に敗れるまで電子版でも1位だったことは疑いようもありません。
そして、原田もフライ級王者時代にPFPに名前を連ねていた可能性も大。
史上初のフライ〜バンタムの2階級制覇、それをPFPキング相手にやってのけた時点で原田がランキングに再突入していたのは確実、上位に割り込んでいたとしても驚くべきことではありません。
原田はジョフレを返り討ちにした勝利を始め4連続防衛に成功。この間にPFP1位になっていた可能性は否定する方が難しい作業です。
そうでなかったとしても、ライオネル・ローズにタイトルを明け渡す68年2月27日までに、ランキングがシャッフルされる試合がいくつも起きます。
1966年にフライ級王者ウォルター・マクゴーワンはチャチャイ・チオノイにストップされて陥落。
1967年にはヘビー級ではアリが兵役拒否でタイトル剥奪、ライトヘビー級でもホセ・トーレスがディック・タイガーに、ミドル級のグリフィスはニノ・ベンベヌチに敗れてタイトルを失います。さらに、フェザー級のビセンテ・サルディバルが引退。
この時点で、勝ち続けている原田は少なくとも2位にポジションしているはず。
ライト級のカルロス・オルチスがタイトルを失った6月29日(カルロス・テオ・クルス戦)は、原田が陥落した後ですが、この年の2月26日までは原田かオルチスが1位でした。
オルチスも名王者ですが、ジョフレを二度破って4連続防衛中の1968年2月26日(ローズに敗れる前日)までの原田と、どちらが上に評価されていたかは、正直わかりません。
Decade-PFPのトップ5はジョフレ、アリ、オルチス、グリフィス、原田の並びですから、原田はオルチスの上には行けなかったという妄想にも説得力があります。
原田寄りに立つと、「圧倒的1位」と評されたジョフレに2連勝したインパクトは相当に大きかったはずで1966年5月31日のジョフレ返り討ちでキングの座に就き、1968年まで1年9ヶ月間、その地位を守ったというストーリーも十分にあり得る妄想です。
青春がはじける次の試合まで、チャチャッと新しいシリーズ。
「妄想PFP」です。
「年間括りなどではない、コロコロ変わる電子版PFPなら原田は長らくキングに君臨していたかもしれない」なんていう、妄想重ね塗りのシリーズ、始まりはじまり〜。
そもそも「Mythical ranking(妄想ランキング)」とされているPFPに、さらに妄想を重ねた新シリーズです。
リング誌が、Annual Awardsの一つとして Fighter of the Year(年間最高選手賞)とは別に、The Best Fighter poll(年間PFP)を創設したのが1980年(経営難のために2017年で廃止)、現在では2000年代後半からデジタルバージョンで都度更新されるPFPだけが残っています。
では、1979年以前は定期的に発表されるPFPは存在してなかったのか?というとその通りです。
もちろん、70年代以前のことは直接的には知りませんが、The Best Fighter pollは「シュガー・レイ・ロビンソンを語るとき以外は間歇的にしか目にすることのなかったPFPを定期的にランキングする」というのが始まり。
当時は、モハメド・アリの引退(1981年)が迫り、ヘビー級が空洞化する中でシュガー・レイ・レナードやトーマス・ハーンズ、マービン・ハグラーら中量級のボクシングに注目を向けさせるツールの一つとしてプロモーターやメディアがPFPを使ったのでした。
ロビンソンのときもそうだったように、PFPは「リングの中で強い奴(ヘビー級)だけがボクシングじゃない」という屁理屈を正当化する詭弁としていつも持ち出されていたのです。
リング誌では、1979年以前にPFPを定期的にランキングする作業は行っていなかったと推察できますが、それ以前にPFPが存在していたらどんなランキングだったのでしょうか?
「『黄金のバンタム』を破った男」(百田尚樹)の中に「(エデル・ジョフレは)世界のボクシング関係者がこぞってPFPナンバー1と評価していた」とありますが、当時はPFPは一般的に浸透していません。
とはいえ、21世紀になってからの格付けで1960年代のDecade(10年間)PFPでリング誌はアリを2位に、ジョフレを1位にランクしました。
これは1966年8月20日時点の世界王者一覧です。10階級しかありません。ウェルター級王者エミール・グリフィスがミドル級に上がったため、ウェルターは空位、世界王者は9人しかいません。
実にシンプルです。
「誰でも世界王者の名前を簡単に覚えることができた」(リング誌)という古き良き時代です。
もし、当時も各メディアが独自のPFPを発表していたとすると、順番はともかく、この9人の世界王者をベストナインまですっぽり当てはめるしかありません。
そして、ウェルター級王者決定戦で勝利したカーチス・コークスが10番目に滑り込むような形です。
そんな、当たり前で全自動的で妄想が付け入る隙の少ないPFPは全く面白くありません。いろんな妄想が錯綜するからPFPは面白いのです。
あの時代にPFPなど誰も考えなかったのも当然です。
妄想が付け入る隙があるとしたら、もしリング誌電子版のコロコロ変わるPFPがあれば?ということです。
リング誌のDecade-PFPで1位のジョフレが1965年5月18日にファイティング原田に敗れるまで電子版でも1位だったことは疑いようもありません。
そして、原田もフライ級王者時代にPFPに名前を連ねていた可能性も大。
史上初のフライ〜バンタムの2階級制覇、それをPFPキング相手にやってのけた時点で原田がランキングに再突入していたのは確実、上位に割り込んでいたとしても驚くべきことではありません。
原田はジョフレを返り討ちにした勝利を始め4連続防衛に成功。この間にPFP1位になっていた可能性は否定する方が難しい作業です。
そうでなかったとしても、ライオネル・ローズにタイトルを明け渡す68年2月27日までに、ランキングがシャッフルされる試合がいくつも起きます。
1966年にフライ級王者ウォルター・マクゴーワンはチャチャイ・チオノイにストップされて陥落。
1967年にはヘビー級ではアリが兵役拒否でタイトル剥奪、ライトヘビー級でもホセ・トーレスがディック・タイガーに、ミドル級のグリフィスはニノ・ベンベヌチに敗れてタイトルを失います。さらに、フェザー級のビセンテ・サルディバルが引退。
この時点で、勝ち続けている原田は少なくとも2位にポジションしているはず。
ライト級のカルロス・オルチスがタイトルを失った6月29日(カルロス・テオ・クルス戦)は、原田が陥落した後ですが、この年の2月26日までは原田かオルチスが1位でした。
オルチスも名王者ですが、ジョフレを二度破って4連続防衛中の1968年2月26日(ローズに敗れる前日)までの原田と、どちらが上に評価されていたかは、正直わかりません。
Decade-PFPのトップ5はジョフレ、アリ、オルチス、グリフィス、原田の並びですから、原田はオルチスの上には行けなかったという妄想にも説得力があります。
原田寄りに立つと、「圧倒的1位」と評されたジョフレに2連勝したインパクトは相当に大きかったはずで1966年5月31日のジョフレ返り討ちでキングの座に就き、1968年まで1年9ヶ月間、その地位を守ったというストーリーも十分にあり得る妄想です。


コメント
コメント一覧 (2)
リング誌、ワールドボクシング、ボクイラ、英ボクシングニュースとか。
もちろん、定期ではないスポットの特集でしたけど。ボクシングニュースなんか「アリよ、お前は世界最強じゃないぞ」とモンソンを推していましたね。
ボクマガも英文表記でモンソンを「pound for pound champion」と書いていました。70年代終了時点での評価は「70年代のベストはモンソン」でしたね。
フシ穴の眼
が
しました