何度も書いてますが、紙媒体は瀕死の状況です。
日本の事実上の国技、野球は「週刊ベースボール」(週ベ)が週刊体制を敷いていますが、199
3年のJリーグ開幕に合わせて月刊から週刊となった「サッカーマガジン」は、2013年に月刊に後戻り。
とはいえ、書店のスポーツ専門誌売り場で、サッカー雑誌は今も百花繚乱に並んでいます。

ボクシングの場合は1956年に「ボクシングマガジン」が毎月発行され続けた他、ボクシング・プロレス・キックを扱った「ゴング」も1968年に創刊。
1982年に「ゴング」から「ワールド・ボクシング」が分離創刊、何度かの休刊を経ながらも、現在は「ボクシング・ビート」としてボクマガを〝追走〟してきました。
辰吉丈一郎の時代まではビッグファイトがあると日本、世界を問わずに増刊号が出てましたが、井上尚弥のWBSS決勝はもちろん、史上最大の試合・村田諒太のゲンナジー・ゴロフキン戦でも特別な増刊号は作られませんでした。
ボクシング最後の国民的英雄・具志堅用高に匹敵する視聴率を稼いだ亀田興毅ですら増刊号で扱われなかったのは、亀田が下劣な嫌われ者だったからというよりも、ボクシング人気の中身が薄っぺらいものになっているからに他なりません。
素直なニワカファンではなく、自称「長年のファン」「元ボクサー」と言いつつも「黄金のバンタム」「ラスベガスの大会場でメガファイト」「リング誌のPFPには権威がある」と自信満々でのたまってしまうニワカが増殖してしまい、メディアもそれを煽るような報道を続けています。
紙媒体を追い込んだ最大の理由はインターネットの普及ですが、ボクシングの場合はボクマガも含めたメディアや、大橋秀行らが嘘をつきすぎたのも大きな原因です。
「このまま防衛を重ねれば天文学的数字になる」はずの井上は、どうしてラスベガスで試合をしないのか?説明すべきだと思います。
もちろん「そんな事実を説明したらファンが幻滅して離れていくだけ」かもしれませんが、絶対バレる嘘をつかなければ良かったのです。
ファイトマネーにしても未だにブラックボックスなのは、怪しいにもほどがあります。
もちろん、井上とアラン・ディパエンのファイトマネーを発表してしまうと「いくらなんでもこんなのただの貧乏人イジメじゃねえか!」と、離れるファンも知るかもしれませんが、そういうファンは本当のファンではありません。
「150年に一度の天才」なら嘘じゃないです。しかし、あたかも米国市場で井上に100万ドルの価値があるように騙り「このまま防衛を重ねれば天文学的数字になる」というのは、明らかにファンを欺くつもりで吐いた言葉でしょう。
米国に目を移すと、1922年にリング誌が創刊。
1980年代には「KOマガジン」「ボクシング・イラストレイテッド」などライバル誌が相次いで創刊されました。
80年代はシュガー・レイ・レナードらのスーパースターががウェルター級〜ミドル級をヘビー級に並ぶ人気クラスに押し上げ、IBFとWBOが設立されたエクスパンションの時代。
70年代までの「見ればわかる」ヘビー級から、ファンの目を中量級に逸らした潮流が活字媒体を求めた一面もあったでしょう。
しかし、ダラダラと続いていたボクシング人気の低迷は、90年代になるとさらに加速。リング誌は身売りを繰り返し、ページ数や連載企画は続々削減され、ヤフースポーツとの業務提携も解消されてしまいます。
親会社のゴールデンボーイ・プロモーションズの経営不振も重なり、2015年にはついに月刊体制が崩壊。
ページ数は64ページと、もはや試合パンフレット並みの薄さに痩せ細ってしまいます。
2015年といえば史上最大のメガファイト「メイウェザーvsパッキャオ」が挙行された年でしたが、その波及効果は全くありませんでした。
五輪や村田諒太、井上尚弥の活躍も全く追い風とならずに休刊に追い込まれたボクシングマガジンのケースとオーバーラップしてしまいます。
紙媒体は滅びゆくしかないのか…?
あらためて、考えてみます。
日本の事実上の国技、野球は「週刊ベースボール」(週ベ)が週刊体制を敷いていますが、199
3年のJリーグ開幕に合わせて月刊から週刊となった「サッカーマガジン」は、2013年に月刊に後戻り。
とはいえ、書店のスポーツ専門誌売り場で、サッカー雑誌は今も百花繚乱に並んでいます。

ボクシングの場合は1956年に「ボクシングマガジン」が毎月発行され続けた他、ボクシング・プロレス・キックを扱った「ゴング」も1968年に創刊。
1982年に「ゴング」から「ワールド・ボクシング」が分離創刊、何度かの休刊を経ながらも、現在は「ボクシング・ビート」としてボクマガを〝追走〟してきました。
辰吉丈一郎の時代まではビッグファイトがあると日本、世界を問わずに増刊号が出てましたが、井上尚弥のWBSS決勝はもちろん、史上最大の試合・村田諒太のゲンナジー・ゴロフキン戦でも特別な増刊号は作られませんでした。
ボクシング最後の国民的英雄・具志堅用高に匹敵する視聴率を稼いだ亀田興毅ですら増刊号で扱われなかったのは、亀田が下劣な嫌われ者だったからというよりも、ボクシング人気の中身が薄っぺらいものになっているからに他なりません。
素直なニワカファンではなく、自称「長年のファン」「元ボクサー」と言いつつも「黄金のバンタム」「ラスベガスの大会場でメガファイト」「リング誌のPFPには権威がある」と自信満々でのたまってしまうニワカが増殖してしまい、メディアもそれを煽るような報道を続けています。
紙媒体を追い込んだ最大の理由はインターネットの普及ですが、ボクシングの場合はボクマガも含めたメディアや、大橋秀行らが嘘をつきすぎたのも大きな原因です。
「このまま防衛を重ねれば天文学的数字になる」はずの井上は、どうしてラスベガスで試合をしないのか?説明すべきだと思います。
もちろん「そんな事実を説明したらファンが幻滅して離れていくだけ」かもしれませんが、絶対バレる嘘をつかなければ良かったのです。
ファイトマネーにしても未だにブラックボックスなのは、怪しいにもほどがあります。
もちろん、井上とアラン・ディパエンのファイトマネーを発表してしまうと「いくらなんでもこんなのただの貧乏人イジメじゃねえか!」と、離れるファンも知るかもしれませんが、そういうファンは本当のファンではありません。
「150年に一度の天才」なら嘘じゃないです。しかし、あたかも米国市場で井上に100万ドルの価値があるように騙り「このまま防衛を重ねれば天文学的数字になる」というのは、明らかにファンを欺くつもりで吐いた言葉でしょう。
米国に目を移すと、1922年にリング誌が創刊。
1980年代には「KOマガジン」「ボクシング・イラストレイテッド」などライバル誌が相次いで創刊されました。
80年代はシュガー・レイ・レナードらのスーパースターががウェルター級〜ミドル級をヘビー級に並ぶ人気クラスに押し上げ、IBFとWBOが設立されたエクスパンションの時代。
70年代までの「見ればわかる」ヘビー級から、ファンの目を中量級に逸らした潮流が活字媒体を求めた一面もあったでしょう。
しかし、ダラダラと続いていたボクシング人気の低迷は、90年代になるとさらに加速。リング誌は身売りを繰り返し、ページ数や連載企画は続々削減され、ヤフースポーツとの業務提携も解消されてしまいます。
親会社のゴールデンボーイ・プロモーションズの経営不振も重なり、2015年にはついに月刊体制が崩壊。
ページ数は64ページと、もはや試合パンフレット並みの薄さに痩せ細ってしまいます。
ページ数は半分に…。2019年から、ページ数も少しだけ戻り月刊体制復活しましたが…。
2015年といえば史上最大のメガファイト「メイウェザーvsパッキャオ」が挙行された年でしたが、その波及効果は全くありませんでした。
五輪や村田諒太、井上尚弥の活躍も全く追い風とならずに休刊に追い込まれたボクシングマガジンのケースとオーバーラップしてしまいます。
紙媒体は滅びゆくしかないのか…?
あらためて、考えてみます。


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