高校生の頃、私のひきこもりの隠れ家は自宅や学校の図書室、そして場末の名画座でした。

今から、思い出すと自宅や図書室は、家族や同級生らの目もあり「現実感」のある世界でしたが、薄暗くてカビ臭い小さな映画館は「本当にあったのかな?」という世界です。

映画館の常連とはほとんど顔見知りだったとはいえ、名前も知らないまま、私は東京に進学。その後、映画館はつぶれてしまいました。

あの「世界」が本当にあったのかどうか、上映まで小さな声で映画を教えてくれた酒臭いおっさんや、何をしてるのかわからない綺麗なおばさん、全部幻のような気がします。

あれが、現実だったと確信できるのは、綺麗なおばさんとお仕事で偶然再会したこと、そして彼らからもらったパンフレットが今もあることです。 

前置きが長くなりましたが、あの狭くて暗い映画館でも、私が高校生なのはなんとなくわかってたはずですが「学校は?」とか聞いてくる人はほとんどいませんでした。

そのおばさんも、私の身の上を一切聞くことはありませんでした。

あるとき、高校3年生になった頃だと思いますが、そのおばさん、ずっとあとに苗字は三井さん(仮名)とわかるのですが、そのときは互いに名前も知りません。

席に着いてしばらくすると、頬に鉄板が引っ付けられた感覚に「あちこちの喧嘩相手に見つかったか?」と戦慄して、前の席を飛び越えて後ろ振り返ると三井さんが笑いを噛み凝らしながらコーラ瓶を持っていました。

小さなロビーにあるクラシックな自販機で買ったものですが、それまでは「飲むぅ?」という感じで隣に座ってたのに、私をびっくりさせようとしたようです。

私が硬直してると、本当に声を出して「お前、指名手配でもされとんか?」と笑われました。

そんな流れもあって、本編開始までの時間、多分平日に学校サボってた時のはずですが「受験とかするん?」と聞かれました。

そのときは、大学受験はもちろん就職についても何も考えていませんでしたか、知らない人にまで学校の先生や親みたいに将来のこととか聞かれたくないとザラッとしました。

しかし、そのあとは三井さんが一方的に話すだけ。近くの座席に人はいないのに、わざとらしいくらいに小さな声で囁くんです。

そんな話の中で、三井さんが近畿大学の医学部を卒業したけど、全く違う仕事に就いてると聞かされました。

三井さんの家は医者系一直線で、みんな超優秀。一浪して早稲田に入った弟はほとんど恥さらしみたいに責められたんやで〜と、ポツポツ話すんです。

「私も国立医学部落ちて私学やけど、そこでふっきれてん」。三井さんが酔ってるのは、酒を嗜むことがない高校生の私にもわかりました。

「日本大学、近畿大学、関西大学はアホやからポンキンカンって言われてたんやで」。そんなことも言ってました。

私にとって、その三つはマンモス大学ベスト3のイメージです。

「関西大学は僕の高校では人気です」と答えると、三井さんは「へえ、えェ高校やん。それはそうと、今は授業中ちゃうん?」と、禁断のセリフを吐きましたが、私はスルー。



当時、私は関西にいて、その頃から近大、関大はスポーツ推薦でいけるなら超がいくつもつく憧れでした。

近大ボクシング部も不祥事が目立ちましたが、石田と中谷を輩出したということは、素晴らしい土壌が絶対あるはずです。

我らが佐藤輝も近大。反骨の野心家が生まれる環境、〝Terroir=テロワール〟があるんでしょう。