仕事が超繁忙期につき、昼からビールは飲まない。
わしでもやるときはやる!飲まないときは飲まない!のだ!
勝手知ったる港湾でしかセールしないヨット乗りがいた。
惚れ惚れするほど完璧な船の扱いに、誰もがヨット乗りに薦めた。
「あんたが沖に出たら、有名なヨット乗りにだって勝てるかもしれないよ」。
しかし、彼はその港湾から出ようとしなかった。
「私はこの湾を知り尽くしている。波の高さも深さも水温も、潮の満ち引きも。慣れない沖に出て下手くそなセールをするより、ここで完璧なセールを追求する方が素晴らしいことだと思わないかい?」
「もったいない。有名になれて大金も稼げるかもしれないのに」。
残念がる人々に彼は言い切った。
「私は有名になったり、お金持ちになるためにヨットの腕を磨いてるわけじゃないんだよ」。
スベン・オットケは、Phantomの渾名を持つベルリン生まれのエリート・アマでした。
五輪は1988ソウルと1992バルセロナに連続出場、いずれもミドル級でベスト8敗退ながら、世界選手権では銅メダル、欧州選手権ではミドル級とライトヘビー級で金メダルと、素晴らしい成績を残しました。
そして、プロでは34戦全勝(6KO)と無敗のままグローブを吊るすのです。
オットケはプロ7戦目にオーストリアのリングに上がったとはいえ、キャリアを通してホームを出ることがありませんでした。
〝Phantom〟オットケもまた「0=ゼロの寓話」の主人公です。
34の勝利の中には殿堂クラスはもちろん、PFPファイターの名前も見当たりません。
「無敗」「21連続防衛」「団体統一」という外見に対しで「誰に勝ったのか?」という中身では空っぽ。
当の本人も殿堂はもちろん、PFPとも全く無縁のキャリアを送りました。
「無敗王者のまま引退」という数字上は最高の形でキャリアを終えたオットケでしたが、その存在感は渾名の通りPhantom、幻だったのです。
そして、複数階級制覇や防衛回数、無敗=ゼロという数字だけでは評価されないプロボクシングの世界を語るとき、レオ・ガメスやサムソン・ダッチボーイジム、テリー・マーシュ、オマール・ナルバエスらとともに〝数字だけボクサー〟の典型例に挙げられてしまっているのが現実です。
その試合は事実、本当に面白くありませんでした。その退屈さは、強烈な睡眠薬にも喩えられました。
寝付きの悪い夜なら、子守唄に丁度いい…なんて冗談にもなりません。
ドイツに引きこもったキャリアも、オットケが冒険を避けたのではなく、米国や英国が塩分過剰のオットケを忌避したのかもしれません。
「リングの上では子守唄は歌わせない」と。そうです。「子守唄はリングにゃないぜ」(小池朝雄)です。
17ストーン、168ポンドのスーパーミドル級は英国の人気階級で、欧州の猛者たちは英国の大会場や巨大スタジアムを目指します。
また、シュガー・レイ・レナードやトーマス・ハーンズ、ナイジェル・ベン、クリス・ユーバンク、ジョー・カルザゲ、ミッケル・ケスラー…今ならカネロ・アルバレスに見られるように、間歇的な人気が沸騰することがあるのが、スーパーミドル級です。
しかし、オットケが子守唄を歌うのを許されたのはドイツのリングだけでした。
その世界戦22試合に、メガファイト、ビッグファイトと呼べるものはありません。
21度も王座を守って無敗のまま引退。これがオリジナル8の時代ならもちろん、オットケは団体統一王者にも就きましたから二団体時代なら完全統一王者、Undisputed Championです。
しかし、現実の時代は4Belt-Era。オットケは王者の1人に過ぎませんでした。
Phantomが王者のストラップを握っていた1998から2004年までの7年間の世界スーパーミドル級シーンを振り返りましょう。
▶︎まずは、対立王者から。
1998年のWBA王者はフランキーライルズが翌1999年にバイロン・ミッチェルに敗れてタイトルが移動。2003年3月15日、オットケは、このアルファベットのピースをミッチェルから奪います。
WBCの1998〜2004年は〝猫の目〟の政権交代が続きます。リッチー・ウッドホールからマルクス・バイエル、グレン・キャトレイ、ディンガン・トベラ、デーブ・ヒルトン、エリック・ルーカス、そしてマルクス・バイエル。
7年間でちょうど延べ7人が短いバトンリレーを繰り返したのです。
ディンガン・トベラ…。ムラムラしてきましたが、思いっきり話が脇道に逸れること間違いなしなので、泣いてトベラは忘れます。
WBOのストラップはジョー・カルザゲが1998年から2007年まで、ビッグネームを倒しながら10年帝国を築きます。
〝ウエールズの誇り〟カルザゲはPFPに2005年:5位、2006年:3位、2007年:2位とキングに王手まで迫り、オットケと同じく無敗のまま引退。
そして、文句無しの一発殿堂入り。
英国のスーパースター と時代が完全にオーバーラップしたこと、そして対戦が叶わなかったことが、オットケの日陰色をより一層濃くしてしまいました。
▶︎次に、1998〜2004年のリング誌PFP(Best Fighter Poll)を振り返ると、この7年間のトップ10にスーパーミドル級の選手は一人も食い込むことが出来ませんでした。
オットケの在位期間はスーパーミドルの暗黒時代ともいえます。
世界戦22連勝、21連続防衛。2団体統一。数字だけなら一発殿堂でもおかしくありません。
精一杯の尊敬を込めると、勝利を追求する誠実な人柄がにじみ出るようなボクシングスタイルでした。
しかし、本人が「飛び抜けて最強だったのはアンソニー・ムンディン」と認めているように、その対戦相手の質は劣悪でした。
米国のスター選手まで追い求めたカルザゲと違い、オットケは慎ましくキャリアを重ねて行き、何事もなくキャリアを閉じました。
そう、何事もなく。



コメント
コメント一覧 (4)
ただ世間体に振り回されたり、他の人と違うと恥ずかしいと考えてしまったり…。
自分の信念を貫ける人はすごいと思います。
パッと見て興味がわかないと一切試合も見ないので知らなかったのですが、オットケがどういう選手だったのかすごくわかりやすかったです。戦績の半数以上が世界戦で無敗とか…。
トベラは横道に逸れそうにもなって仕方ないと思います。笑
フシ穴の眼
が
しました
逆に一年に1回ペースで長期防衛してる人は好きじゃないです
同じ理由でナバレッテも好きなのですが、フェザー級ベルトを獲ってからはコロナのせいもあるのか半年も間隔を開けてしまってるのが残念です
あと何故か引退後にゴルフのインストラクターになっているのも好きです
ボクシングジムは開かないのか・・・
そして肝心の試合内容もそこまで捨てたものではないと思います
やっぱり戦い方が綺麗なんですよね
他の勝ちに拘るボクサーが良く使う様なダーティで反則ありきなやり方に頼らず、基本的には距離と間合いを支配して打たせずに打つという高等テクニックを用い、よくある偶然のバッティングも殆ど無く負傷判定も無いクリーンな試合の組み立てをします
それでいて、カウンター狙いのガン待ちスタイルでいる訳でも無くジリジリと自分から近寄っていってプレッシャーをかけたり相手の動きが止まったのを見計らって自分からラッシュをかけるなど、周りから消極的と思われない様に上手く立ち回っています
観客から「あ、コイツ・・・」と思われてイライラされる様な事をしないんですよね
逆に言えば、そうやって観客の心をザワつかせる事も無いからこそ睡眠薬などと言われてしまうのかも知れませんが
対戦相手についても、元世界王者や後の世界王者を倒したりなどそれなりに積み上げてると思います
カルザゲの扱いがスター選手に変わったのもオットケが引退した後と聞いてますし、そのカルザゲ戦が頓挫したなら「じゃあWBAで」となるのも至極当然の選択だと思いますね
フシ穴の眼
が
しました
「塩ボクサー列伝」とか言って一冊書けるかもしれませんね、言いがかりから真性までまとめて(記事の趣旨と合わずすみません)
フシ穴の眼
が
しました