昔、むかし。小さな森に一匹のキツネが棲んでいました。
キツネは昆虫や、ネズミ、リスを虐めて「我こそは無敗の森の王様」と宣言します。
ある日、ネズミが訊きました。
「キツネさんがやってることは弱いもの虐めだ。山脈にいるオオカミやクマには負けるから、食べ物が少ない小さな森でガリガリに痩せながら無敗だと威張ってるだけじゃないか」。
キツネはコンコンと笑います。
「そりゃあ私にはオオカミの牙やクマの爪はないからね。でも、想像力を働かせてご覧。すばしっこい私にオオカミの鋭い牙と、クマの大きな爪があったなら今頃、山も海も私のものだよ」。
ネズミは反論します。
「それなら、キツネさんよりも私の方がすばしっこいよ。私がクマなら、私が無敗の王様だ。負ける相手と戦わなければ誰だって無敗だし、強い相手の土俵に上がらずに〝都合の良い想像〟の世界で最強だなんて言っても、それは詭弁だよ」。
キツネの目の色が変わっても、ネズミは畳み掛けてしまいます。
「本当に強いなら山脈に入ってオオカミやクマを倒せばいいんだ。それが出来ないから、この痩せた小さな森で威張ってるだけじゃ…」。
ネズミが最後まで言い終わる前に、キツネはネズミを捕まえると言いました。
今夜から始まるのは「王者のまま引退」だけでなく「無敗」までセットにしたボクサーのお話。「その通りだよ。私は負ける相手とは戦わない。深い山や海の方が美味しい食べ物がいっばいあるのは知ってるさ。でも、そんな競争の激しいところに行ったら私なんて埋もれてしまうだけ、ただの餌にされるだけなんだよ。こんなふうにね」。
キツネはネズミを一飲みにすると言いました。「また無敗の記録が伸びちゃったよ」。
テリー・マーシュの生涯成績は26勝(10KO)0敗1分。
1987年3月4日から同年7月1日までの、わずか3ヶ月と26日の短い時間でしたが、マーシュは確かにIBFジュニアウェルター級チャンピオンでした。
プロデビューは1981年10月12日。アンドリュー・ダコスタとのウェルター級6回戦でフルマークの判定勝ち。
本業からFighting Fireman(戦う消防士)と呼ばれたマーシュは、27試合のキャリアでフランスとモナコに遠征した2試合を除いた25試合を、ホームの英国リングで戦いました。
6年9ヶ月のキャリアで英連邦ジュニアウェルター、欧州ウェルター、そしてIBFジュニアウェルターのタイトルを獲得。
最後の試合はロイヤルアルバートホールの特設リングで行われた1IBF王座の初防衛戦(1987年7月1日:vs 亀田昭雄=7ラウンド TKO勝利)でした。
マーシュと亀田は、奇しくも互いに引退試合を戦ったことになります。
当時のIBFは創設からまだ4年しか経っていない〝離陸直後〟。
日本ではもちろん、世界的にも主要団体とは認められていませんでした。
テリー・マーシュがジュニアウェルター級王者だった頃のIBFの王者一覧↑。
韓国勢が目立つほかは、強豪の名前がひしめき、WBA/WBCとの差はほとんどないように見えます。
WBAの北米活動をフィールドにしていたNABFを母体に持つIBFが、創設4年で世界的な認知を待つだけの王者を揃えていたことがわかります。
ちなみに1987年のジュニアウェルター級シーンは、WBAはパトリツィオ・オリバからファン・マルティン・コッジに覇権が移り、WBCでは我らが浜田剛史がレネ・アルレドンドとの再戦に敗れ、そのレネもロジャー・メイウェザーに粉砕されていました。
このあと、フリオ・セサール・チャベスの進出でジュニアウェルター級は一気に活性化するのですが、当時はビッグネームが積極的に乗り出すことのないマイナー階級に過ぎませんでした。
そして、マイナー団体のマイナー階級王者マーシュは「無敗のまま引退した」というだけで、ボクシングマニアの記憶にとどまっています。
戦績以外はボクサーとして地味を極めたマーシュ。
てんかんの持病を抱えていたのは気の毒でしたが、その人生は奇行が目立ちました。
1989年11月30日、マーシュの元プロモーターフランク・ウォーレンがルガーP08で銃撃された事件の容疑者として逮捕され10ヶ月間拘留されますが、証拠不十分で釈放されています(現在も犯人は捕まっていません)。
そして、2015年3月、57歳になった戦う消防士は28年ぶりにボクシングの〝世界チャンピオン〟に返り咲きます。
といっても、日本ではまったく馴染みのないチェスボクシングというボードとリングの複合種目。チェスと6ラウンドのボクシングで勝敗を決める、肉体と知能の限界に挑む競技です。
マーシュは12歳のときにロンドンの少年チェス大会で優勝したほどの腕前で「小さい頃からチェストボクシングをずっと続けてきた。引退した後もチェスはもちろん、ボクシングの練習も続けていた」そうです。
レベルは違いますが、藤井聡太がボクシングもやってる感じでしょうか?
「無敗のまま引退した世界チャンピオン」として、マーシュは必ずその名前が挙げられます。
しかし、スベン・オットケやサムソン・ダッチボーイジム、エドウィン・バレロらが記名された名簿を「栄光の紳士録か?」と問われれば言葉に詰まるしかありません。
マーシュはもちろん、オットケもサムソンもバレロも名誉の殿堂にノミネートされることもなく、PFPの末席にもお呼びじゃありませんでした。
では、マーシュは当時マイナー団体のIBFのピースにありついただけの弱いボクサーだったのか?というと、現在の4Belt−Eraなら、何かしらの世界王者になっていたと思われます。
そして、凶悪犯罪の容疑者というのはいただけませんが、大プロモーターと大喧嘩を繰り広げ、英国下院議員の総選挙に立候補したり、チェス・ボクシングで王者に〝返り咲く〟。
テリー・マーシュ、ユニークな生き様です。
好きか?嫌いか?と問われたら…嫌いじゃありません。
オットケやサムソン、 バレロ…メイウェザーまで連なる「0=ゼロの寓話」の開幕です。
1989年11月30日、マーシュの元プロモーターフランク・ウォーレンがルガーP08で銃撃された事件の容疑者として逮捕され10ヶ月間拘留されますが、証拠不十分で釈放されています(現在も犯人は捕まっていません)。
そして、2015年3月、57歳になった戦う消防士は28年ぶりにボクシングの〝世界チャンピオン〟に返り咲きます。
といっても、日本ではまったく馴染みのないチェスボクシングというボードとリングの複合種目。チェスと6ラウンドのボクシングで勝敗を決める、肉体と知能の限界に挑む競技です。
マーシュは12歳のときにロンドンの少年チェス大会で優勝したほどの腕前で「小さい頃からチェストボクシングをずっと続けてきた。引退した後もチェスはもちろん、ボクシングの練習も続けていた」そうです。
レベルは違いますが、藤井聡太がボクシングもやってる感じでしょうか?
「無敗のまま引退した世界チャンピオン」として、マーシュは必ずその名前が挙げられます。
しかし、スベン・オットケやサムソン・ダッチボーイジム、エドウィン・バレロらが記名された名簿を「栄光の紳士録か?」と問われれば言葉に詰まるしかありません。
マーシュはもちろん、オットケもサムソンもバレロも名誉の殿堂にノミネートされることもなく、PFPの末席にもお呼びじゃありませんでした。
では、マーシュは当時マイナー団体のIBFのピースにありついただけの弱いボクサーだったのか?というと、現在の4Belt−Eraなら、何かしらの世界王者になっていたと思われます。
そして、凶悪犯罪の容疑者というのはいただけませんが、大プロモーターと大喧嘩を繰り広げ、英国下院議員の総選挙に立候補したり、チェス・ボクシングで王者に〝返り咲く〟。
テリー・マーシュ、ユニークな生き様です。
好きか?嫌いか?と問われたら…嫌いじゃありません。
オットケやサムソン、 バレロ…メイウェザーまで連なる「0=ゼロの寓話」の開幕です。


コメント
コメント一覧 (4)
もしや冒頭の寓話は管理人さんのオリジナルですかい?
フシ穴の眼
が
しました
あきべえは記録更新かかった試合をちゃんと世界ランカーや日本チャンピオンと戦ったところは偉かった。
あ、金井も榎とやったか。
とは言いながらもいくら実力差があってもKOを続けるのもけっこう難しいとは思うので選手に対しては敬意を払いたいと思います。
好きだったフェルナンド・バルガス、フレイタスと戴冠まで(としばらく)全勝全KOで興奮させてもらいました!!
バルガス息子二人はお父さんほどにはならなそうなのが残念です。
フシ穴の眼
が
しました