答えは出てる問題ですが。
相撲部屋のシゴキや駒大野球部のイジメなどなど…21世紀になってもスポーツの世界でおかしなことが繰り返されています。
自分のことを振り返ると…学校で運動部だった中高大学時代。
80年代から90年代にかけて、運動部・体育会の悪しき因習が蔓延っていた時代です。
幸運なことに、私は理不尽なまでの上下関係を強いられたり、度の過ぎた体罰に直面することなく、本当に楽しく野球や陸上競技を満喫することができました。
もちろん、これは個人の感じ方、みたいなところもあって、同じ部活にいた同期でも違う印象を受けてしまってることもありました。
先日、高校や大学で野球の強豪校に所属していた社員と話し込んだときに、そんな話になって、この手の話を彼とするのは初めてではないのですが、そもそもの話として「理不尽な上下関係」や「行き過ぎた体罰」は競技能力の向上には全く役に立たないばかりか、深刻なマイナス効果しかありません、つまり百害あって一利無しです。
絶対にあってはいけないのです。
高校時代に結構強い伝統高と試合をする機会に恵まれたとき、私が初回に安打を放って二盗、そこから先制点を奪ったことがありました。
私たちのベンチは大盛り上がり、相手ベンチは静まり返っています。当然です。
しかし、ベンチに戻った相手バッテリーを直立させて監督が二人にこっちのベンチに音が届くほど強い往復ビンタを打ったのです。二人がその場に倒れこむほど強く。
自分のせいで醜悪な体罰が執行された気分になって、どうにもやりきれない、ものすごく嫌な気分になりました。結局、試合は負けたのですが、そんなことがどうでもいいくらいに嫌な気持ちになったのを今でも覚えています。
大学時代でも、関東インカレで二部校落ちした大学の選手たちがスタンドに一列に並ばせられて、コーチだかOBだかわかりませんが次々にグーで殴られていくのを見たことがあります。
友人知人のいない大学でしたが、そのときも嫌な気分が胸の奥からせり上がってきました。
私も「行き過ぎた体罰」がダメみたいなニュアンスで書いている時点で、今の時代はアウトです。今は「全ての体罰は悪」なのですから。
私の場合も体罰を受けた経験はゼロではありませんが、個人的にはひとつ残らず納得のいくものでした。
高校時代の陸上部。県内の高校との定期戦のような大会の1500mで優勝したのですが、超スローペースのまま残り400でヨーイドンみたいな展開になり、タイムも高校としては相当に遅い4分30秒近くかかってしまいました。
スパイクを脱いでチームメイトから「史上稀に見るセコいレース見せてもろたわー」と祝福され笑ってると、主将から「ちょっと」と呼ばれました。
主将は女性で、県内でもトップの成績優秀で文武両道な人でしたが、私たちにとっては柔道部の主将も兼ねるとんでもない〝武闘派〟として恐れられていました。
その主将がめっちゃ怒ってるのはすぐわかりました。その原因もわかってました。
「私の記憶違いやったらごめんね。君がアップしてるとき、声かけたよね?それで、君、わかりましたって返事したよね?」。
アップしてるとき、すっと並走してきて「勝ちたいのはわかるけど、タルい走りだけはアカンよ、絶対」と言われました。「わかりました」って答えると「絶対な」と念を押されていました。
女子更衣室に連れ込まれた時点で、先輩がかなり怒ってるのは電流のように伝わっていました。
「ここ、女子更衣室ですけど」とか言ったら、その場で絞め殺されそうだったので黙っているしかありません。
黙ったままいると「やるなって注意した走り方したやんな?なんか理由はあるん?怪我しててラスト1周で急に治ったん?」と聞かれて「すみませんでした」と頭を下げて、顔を上げるとビシッと掌底のようなビンタされました。
パッと火花が散ったように見えて、一瞬何が起きたのかわかりませんでした。先輩にもそれは見えたみたいで「あ、ごめん」と叩いた手を見て笑い出しました。
5種競技の先輩は投擲の間だったらしくて滑り止めの炭酸マグネシウムの粉を手の平につけたままで、私の頬を叩いてそれが飛び散ったのです。
私は笑っていいのかどうかわからず硬直していましたが、先輩は「目ぇに入らんかった?試合終わったら手ぇ洗ってもう一回やり直すから、顔洗って待ってて」と冗談言うと慌ててグラウンドに戻りました。
中学時代も野球部の監督には何度か今でいう体罰を受けたことがありましたが、やっぱり全部納得できます。
それが、先輩や監督の「憂さ晴らし」や「ついカッとなって」だったら納得できなかったと思います。
でも、私の場合はどの手の平からも、どの拳からも「期待してるんだぞ!」とか「心配かけやがって」という愛情が感じられました。
私の方は理不尽な暴力を受けたという気持ちは全くなく「裏切ってしまった」という悔恨だけでした。
炭酸マグネシウムの先輩にしても、あれがみんなの前でビンタされてたら「どうしてここで叩くんだ?」と、もしかしたら負の感情が芽生えていたかもしれません。
野球ではみんなの間で叩かれることもありましたが、先生がカッとなって手を出したんじゃなく、私を「怒られ役」に選んでくれているのもわかってました。
でも、手を出したら100%ダメなんですよね、今は。「ときと場合によっては体罰も有り」なんて曖昧なことは言えません。
実際、マグネシウム主将も、野球部の監督も私は納得できても「不条理な体罰をする人」と見る同輩や後輩もいました。
こんなこと、おおっぴらには言いにくいのですが、野球部で監督や陸上部で先輩に怒鳴られたり叩かれたりしていなかったら、もっと薄い競技生活になってた気がします。
自分の言い分が自分だけの特別な経験で、全く一般的でないこと、「体罰もときと場合には必要」なんて理屈は今の時代、絶対通らないのは、よくわかってるのですが…。
相撲部屋のシゴキや駒大野球部のイジメなどなど…21世紀になってもスポーツの世界でおかしなことが繰り返されています。
自分のことを振り返ると…学校で運動部だった中高大学時代。
80年代から90年代にかけて、運動部・体育会の悪しき因習が蔓延っていた時代です。
幸運なことに、私は理不尽なまでの上下関係を強いられたり、度の過ぎた体罰に直面することなく、本当に楽しく野球や陸上競技を満喫することができました。
もちろん、これは個人の感じ方、みたいなところもあって、同じ部活にいた同期でも違う印象を受けてしまってることもありました。
先日、高校や大学で野球の強豪校に所属していた社員と話し込んだときに、そんな話になって、この手の話を彼とするのは初めてではないのですが、そもそもの話として「理不尽な上下関係」や「行き過ぎた体罰」は競技能力の向上には全く役に立たないばかりか、深刻なマイナス効果しかありません、つまり百害あって一利無しです。
絶対にあってはいけないのです。
高校時代に結構強い伝統高と試合をする機会に恵まれたとき、私が初回に安打を放って二盗、そこから先制点を奪ったことがありました。
私たちのベンチは大盛り上がり、相手ベンチは静まり返っています。当然です。
しかし、ベンチに戻った相手バッテリーを直立させて監督が二人にこっちのベンチに音が届くほど強い往復ビンタを打ったのです。二人がその場に倒れこむほど強く。
自分のせいで醜悪な体罰が執行された気分になって、どうにもやりきれない、ものすごく嫌な気分になりました。結局、試合は負けたのですが、そんなことがどうでもいいくらいに嫌な気持ちになったのを今でも覚えています。
大学時代でも、関東インカレで二部校落ちした大学の選手たちがスタンドに一列に並ばせられて、コーチだかOBだかわかりませんが次々にグーで殴られていくのを見たことがあります。
友人知人のいない大学でしたが、そのときも嫌な気分が胸の奥からせり上がってきました。
私も「行き過ぎた体罰」がダメみたいなニュアンスで書いている時点で、今の時代はアウトです。今は「全ての体罰は悪」なのですから。
私の場合も体罰を受けた経験はゼロではありませんが、個人的にはひとつ残らず納得のいくものでした。
高校時代の陸上部。県内の高校との定期戦のような大会の1500mで優勝したのですが、超スローペースのまま残り400でヨーイドンみたいな展開になり、タイムも高校としては相当に遅い4分30秒近くかかってしまいました。
スパイクを脱いでチームメイトから「史上稀に見るセコいレース見せてもろたわー」と祝福され笑ってると、主将から「ちょっと」と呼ばれました。
主将は女性で、県内でもトップの成績優秀で文武両道な人でしたが、私たちにとっては柔道部の主将も兼ねるとんでもない〝武闘派〟として恐れられていました。
その主将がめっちゃ怒ってるのはすぐわかりました。その原因もわかってました。
「私の記憶違いやったらごめんね。君がアップしてるとき、声かけたよね?それで、君、わかりましたって返事したよね?」。
アップしてるとき、すっと並走してきて「勝ちたいのはわかるけど、タルい走りだけはアカンよ、絶対」と言われました。「わかりました」って答えると「絶対な」と念を押されていました。
女子更衣室に連れ込まれた時点で、先輩がかなり怒ってるのは電流のように伝わっていました。
「ここ、女子更衣室ですけど」とか言ったら、その場で絞め殺されそうだったので黙っているしかありません。
黙ったままいると「やるなって注意した走り方したやんな?なんか理由はあるん?怪我しててラスト1周で急に治ったん?」と聞かれて「すみませんでした」と頭を下げて、顔を上げるとビシッと掌底のようなビンタされました。
パッと火花が散ったように見えて、一瞬何が起きたのかわかりませんでした。先輩にもそれは見えたみたいで「あ、ごめん」と叩いた手を見て笑い出しました。
5種競技の先輩は投擲の間だったらしくて滑り止めの炭酸マグネシウムの粉を手の平につけたままで、私の頬を叩いてそれが飛び散ったのです。
私は笑っていいのかどうかわからず硬直していましたが、先輩は「目ぇに入らんかった?試合終わったら手ぇ洗ってもう一回やり直すから、顔洗って待ってて」と冗談言うと慌ててグラウンドに戻りました。
中学時代も野球部の監督には何度か今でいう体罰を受けたことがありましたが、やっぱり全部納得できます。
それが、先輩や監督の「憂さ晴らし」や「ついカッとなって」だったら納得できなかったと思います。
でも、私の場合はどの手の平からも、どの拳からも「期待してるんだぞ!」とか「心配かけやがって」という愛情が感じられました。
私の方は理不尽な暴力を受けたという気持ちは全くなく「裏切ってしまった」という悔恨だけでした。
炭酸マグネシウムの先輩にしても、あれがみんなの前でビンタされてたら「どうしてここで叩くんだ?」と、もしかしたら負の感情が芽生えていたかもしれません。
野球ではみんなの間で叩かれることもありましたが、先生がカッとなって手を出したんじゃなく、私を「怒られ役」に選んでくれているのもわかってました。
でも、手を出したら100%ダメなんですよね、今は。「ときと場合によっては体罰も有り」なんて曖昧なことは言えません。
実際、マグネシウム主将も、野球部の監督も私は納得できても「不条理な体罰をする人」と見る同輩や後輩もいました。
こんなこと、おおっぴらには言いにくいのですが、野球部で監督や陸上部で先輩に怒鳴られたり叩かれたりしていなかったら、もっと薄い競技生活になってた気がします。
自分の言い分が自分だけの特別な経験で、全く一般的でないこと、「体罰もときと場合には必要」なんて理屈は今の時代、絶対通らないのは、よくわかってるのですが…。

コメント
コメント一覧 (13)
もっと考えてほしいです。
あなた自身、ここで納得しなければ過去を否定することになるから、
納得せざるをえないという感情はありませんか?
DVを受けた人がDVを振るった恋人をかばっている構図にとても近いと感じました。(もちろん筆者と先輩は恋人ではないでしょうけど、どんな人間関係であれ親密になればなるほど相手の咎を認めにくいことはあるので。)
叩かれて当然、なんて思わないでください。
あなたは被害者です。
そして、あなたがされた暴力は、
あなたが他の人へもやってしまう可能性があります。
これが暴力の連鎖なのです。
お気を悪くされましたら、申し訳ありません。
でも心配になったものですから。
フシ穴の眼
が
しました
「個人的にはひとつ残らず納得のいくもの」と筆者は納得しているようですが、これを納得している時点で暴力はなくならないのではないでしょうか?
筆者は納得していても他の人が同じことをされたときに納得できるとは限らないです。もしもぼくが同じ状況でおなじことをされたら絶対に許せないし、法的手段をとると思います。
この理屈で暴力が発動することが納得されてしまえば、「単に暴力を振るいたいだけの人」がこの理屈を持ち出しはじめます。
決してこの先輩がそうだと言っているわけではなく、
その考えを承認してしまえば、ほかの人もその理屈を用い始めるのです。
例えばその先輩が善意で暴力を発動したとして、受け取った側が「暴力を発動させたいときはこういう理屈を持ち出せばいいんだな」と、転倒した解釈をしだす可能性は十分にあります。
現に己の暴力性を発揮したいがために「あなたの為を思って」などという理屈を持ち出す輩はたくさんいます。
人間は、本来的に抱えた動物としての暴力性を理屈でコントロールしようとしますが、暴力性の為に都合のいい理屈を作り出してしまうのです。
フシ穴の眼
が
しました
ブラジル日系移民は根性丸出しで苦労しながらも成功したとテレビなどで言われます
けれどスポーツの分野、サッカーブラジル代表やバレーブラジル代表の日系選手など自分は聞きません
変わって卓球には日系人が一杯だそうですが、それも前の話だそうです
ブラジルにおいてサッカーをする子は遊びで初め、そこから上手くなる子が練習をするそうです
これが日本では練習をして上手くなれと言われます
でも実際日本の指導者も分かってるでしょう
上手い者はさらに上手くなり、そうじゃない者はそのままだということも
自分たちの「指導」は選別だということも
フシ穴の眼
が
しました
次世代は、素晴らしい価値観を持った 素晴らしい社会になっているのでしょうか?そうであってほしいですね。
フシ穴の眼
が
しました
石橋×古舘の番組で帝京時代の話を見ると、今じゃ考えられませんね。
フシ穴の眼
が
しました
こればかりは中距離やってないと分からないから、主将は理不尽とも言えないでしょうが 笑
フシ穴の眼
が
しました