2月4日、レオン・スピンクスが前立腺から転移した癌に冒され、67歳で亡くなりました。

私が初めてモハメド・アリを見たのは、レオンとの初戦。モハメド・アリは「すごい運動能力を持ったスポーツ選手」の代表として、誰でも知っていました。

マック・フォスター(1972年:日本武道館/ヘビー級ノンタイトル15回戦)、アントニオ猪木戦(1976年6月26日:日本武道館/エキシビション)と二度も来日してリングに上がっていたことも、史上最高のアスリートを日本でも特別な存在たらしめていました。
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レオンを迎えてのヘビー級王座防衛戦。日本時間は1978年2月14日でしたが、放送されたのは「イレブンPM」(だった記憶があります)、深夜番組でしたから生中継ではなかったはずです。

舞台はネバダ州ラスベガス、ヒルトンホテル。日本ではありえないメガファイトの雰囲気に「凄い試合がこれから始まる」と胸躍らせたことをはっきり覚えています。

実際の試合は、アリがまさかの敗北。何より、試合内容は絵に描いたような「鈍重なヘビー級の塩試合」。小学生の私は「これがアリの試合?何かの間違いでは?」と拍子抜けしました。

レオン・スピンクスの名前もこのとき初めて聞きました。日本での報道も「アリが無名の若者に敗れた」というストーリーラインでした。

しかし、モントリオール1976のライトヘビー級金メダリストで、プロキャリアは13ヶ月、7試合という信じられないスピードでThe Greatestに挑戦し、勝利を収めたレオンの扱いが、米国では全く違っていたことは当時リング誌すら知らない私には想像もできませんでした。
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あの日、レオンは「リングの上でアリからタイトルを奪った唯一の男」として歴史に名を刻んだのです。

7ヶ月後のアリとの再戦でレオンに約束された報酬は350万ドル、初戦の12万5000ドルから30倍近くに跳ね上がるシンデレラストーリーでしたが、この試合でThe Greatestにヘビー級史上初となる三度目の王座返り咲きを許してしまいます。

それでもまだプロ9戦、25歳。レオンのキャリアがアリとの2試合だけがハイライトになるなんて、誰が想像したでしょうか。

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「1978 Neon Leon」。レオンのプロボクサーとしての輝きは1978年、アリとの2試合に凝縮されていました。

生涯46戦のプロ戦績で〝Neon Leon〟が強烈な輝きを放ったのはアリとの2試合だけでした。

アリを世紀の番狂わせで倒したあとのリングは、19勝17敗2分。新設のクルーザー級に落ちて再び世界王者を目指しましたが、その夢は二度と叶いませんでした。

「アリからタイトルを奪った男」として世界中にその名を知らしめ、そのままスポットライトからフェイドアウトしたレオン。


"I was a poor young guy," Spinks told the New York Daily News in 1997. "I never had nothing. All of a sudden I had something. I tried to do too much. I was crazy. I didn't care about nothing. You think it's never going to end."

私は何も持っていない貧しい若者だった。それが、ある日、突然、全てを手に入れてしまった。私は多くのことをしようとしすぎたのかもしれない。私は狂っていた。何でもできると思い込んで、できないことなんてないと思い込んでいたけど、結局はそうじゃなかったんだ。〜1997年ニューヨーク・デイリーニューズ紙〜



歴史とは畢竟、過去を忘れ、捨て去ることで積み重ねられます。

しかし、デビュー9戦目でモハメド・アリからヘビー級王座を奪ったレオン・スピンクスの〝Neon Leon〟は永遠に点いたまま、誰にも消すことはできません。