日本のスポーツ界を揺るがした五輪という〝黒船〟と、プロボクシングの世界が無縁でいられるわけがありませんでした。

五輪に向けて、東京の町が着々と姿を変え、多くの観光客とメディアが訪れる光景は「五輪とは何か」「本物の国際スポーツとは何か」を日本人に思い知らせました。
IMG_2487
IMG_2486
IMG_2488 (1)
当時を知る由もない私でも、ずっとのちになって学校図書館などで海外の新聞や雑誌のバックナンバーなどから振り返り、「それ」が生々しく、そして大々的に伝えられていたことはよくわかりました。

そして、プロレスは「力道山のカラクリ」がバレてしまうと、土俵際に追い込まれます。

多くの人が熱狂した「ワールドリーグ戦」が八百長で世界的には全く報道されていない奇妙な〝ワールド〟であることが白日のもとに晒され、新聞投稿欄では「国籍・年齢不詳の謎プロレスラーはパスポートを持たずに来日したのか?」と笑いのネタにされる始末でした。

次の10年は「外国人レスラーを空手チョップで成敗する」だけでは、プロレスは生き残れない…。

そんな冷静な予想からは「ではボクシングの世界選手権は海外でも大きく報道されているのか?」という矛先も派生します。

しかし、五輪は4年に1度きり、米国で最も権威のあるスポーツイラストレイテッド誌がファイティング原田を特集、Frantic Windmill=狂った風車という異名を与え、五輪金メダリストの桜井孝雄が世界タイトルに届かなかったことなどからも、プロボクシングはその命脈を繋ぎます。

その後、アマ実績で優る海外選手から日本人が勝利を収めると、ボクシング専門誌などは「所詮はアマの名花」という常套句を用いるようになりました。

それでも、70年代になると民放各社のボクシング定期番組はゴールデンタイムから撤退、世界王者に対しても厳しい取捨選択が始まります。

輪島功一や具志堅用高と、工藤政志や中島成雄の間には王位の長短だけではなく、戴冠した瞬間からそのキャラクターの魅力などからメディアの取り上げ方、つまりはファンの受け止め方に大きな格差が生まれていました。

「ボクシングの世界王者は誰もが知ってるスポーツヒーロー」という時代は70年代で完全に幕を閉じたのです。
IMG_0044
1960年代までの一団体時代の世界王者は、もし当時国民栄誉賞が存在していたなら文句無しで受賞していたはずです。

70年代の世界チャンピオンのベルトは、プロ野球のどんなタイトルよりも価値が高かったのも間違いありません。

しかし、80年代になると世界王者とボクシングのステイタスが加速度的に液状化していることは、もはや誰の目にも明らかになります。

東京1964による「本物の世界体験」はあらゆるスポーツを揺るがしました。

そして、輪島功一が王貞治の世界記録に対して「あんなの本当の世界記録なわけがない」と付けた難癖は、一点真実を突いていたとはいえ、世界ジュニアミドル級王者の口から発せられたことで天に唾吐く行為に他なりませんでした。

本当の「世界」って何だろうか?

もちろん、ボクシングなら世界ヘビー級チャンピオンになること。野球やらメジャーリーグで大きなタイトルを獲ること。

そんなこと、実は当時のスポーツファンは分かっていたはずです。

なにしろ、特に野球においては、星飛雄馬が投げる魔球は「大リーグボール」、番場蛮の前に立ち塞がるラスボスは大リーグのスーパースターでした。

それはまさしく漫画の世界だったのです。

現実の世界では大リーグに上がれない外国人に打撃タイトルを取られ、元大リーガーというだけで超人のように報道された時代です。

当時のスポーツファンは、みんな知ってたのです。

向こうのポンコツ外人が日本で大暴れするんだから、日本人なんて通用するわけがない。

良い意味で身の程を知っていたのです。

裏返すと、悪い意味で諦めていたのです。

そして、やはり悪い意味で忘れていたのです。

サンフランシスコの快〝投〟乱麻・村上雅則を、60年代PFP1位エデル・ジョフレを競り落としたファイティング原田を。



次回、第3艘では、漫画の世界が、ついに現実になります。