いつ崩壊してもおかしくない112ポンド、フライ級の体重調整。

左の一発頼みで防御に無神経なスタイル。

そして、のちにウェルター級でも打たれ強いと言われるアゴは、フライ級の当時はグラスジョーと見られていました。

「世界基準でマニー・パッキャオが勝ち続けるのは時限爆弾を背負ってタイトロープを渡るようなもの」。

つまりいつか爆発するか、転落するか、いずれにしても安定王者になるとは考えられていませんでした。

それは、地元でタイトルを奪われ屈辱を味わったタイのプロモーター、ビラット・パチーラも良く理解していました。

パチーラはオプションを行使、フィリピンのスラッガーを再びタイに呼ぶために報酬を上乗せします。

1999年9月17日、タイが送り出したのはパッキャオより一つ年上の21歳の新鋭、18戦全勝11KOのメッグン・シンスラット。

大番狂わせで世界チャンピオンになったフィリピンのアイドルは潤沢な収入と、十分な栄養を楽しんで心身ともに満ち足りていました。

「メッグン陣営が予備軽量の秤を軽く表示されるように細工していた」という陰謀説、いわゆる〝タイの秤〟にパッキャオが謀られたという説もありますが、それは後の伝説に酔ったパックマニアの戯言に過ぎません。

軽量当日の朝、体重計の針は3ポンドオーバー。

タイに入ってから絶食、脱水症状にふらつく20歳のフィリピン人は「一口だけ水を」と泣きつきますが、唾液を絞り出すために酸味の強い柑橘カラマンシーの皮を舌に擦り付けられ、髪の毛を切られ、サウナに放り込まれてしまいます。

それでも正式計量は1ポンド、453gオーバー。

たったの1ポンドですが、この日のパッキャオの肉体は干からびて、搾り出すものは何も残っていませんでした。

たったの1ポンドを削れずに体重計の上でタイトルを剥奪された王者。

トレカンポ戦と同じプロボクサーとして最低の過ちを、再び犯してしまったパッキャオには「素質に溺れた落伍者」の烙印が押されます。

そして、試合も3ラウンドTKO負け。
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パッキャオは母国で「堕ちた英雄」と罵詈雑言を浴びる…と思いきやフィリピンのボクシングファンは、その国民性のままに「またやり直せばいい」と、失意の青年を暖かく受け入れます。

それは、フィリピンのボクシング界も同じでした。

メッグンに敗れてわずか3ヶ月後には、2階級飛ばしてジュニアフェザー級=122ポンドで再起。母国のリングでパッキャオはメインイベンターを張り、人気者であり続けます。

マニー・パッキャオを語るとき、誰もがその運の強さには溜息をつくしかありません。

もし、3つの嘘を付いたデビュー戦でそれを咎められ、試合に出れなければ?

あるいは、LMジム時代の早朝から日が暮れるまでの工事現場の肉体労働から、夜の練習、その過酷な環境で体を壊したり、誘惑に負けて別の仕事についていたら?

そもそも、LMジム時代よりも過酷で危険な草拳闘で、多くの子供ボクサーがそうなるようにその後の人生にも影響するような大怪我を負っていたら?

さらに、憧れの日本でジョー小泉とマネジメント契約を結んでいたら?

なんのアテもない米国への進出を考え、自費で練習場所とトレーナーを探す旅を途中で諦めずに「これで最後」とドアを叩いて、滑舌の悪い白人トレーナーと出会わなければ?


…そして、信じられないような幸運が、またもや舞い込みます。

このブログでも繰り返しているように、アジアの軽量級ボクサーが米国で本当の意味で強烈な印象を残すことは不可能です。

PPVイベントのメインはおろか、ビッグファイトのメインもありえません。せいぜい前座です。

考えうる幸運を絞り出せば、当代きってのスーパースターのPPVファイトで、強豪王者相手のセミファイナルを任され鮮やかな大番狂わせを演じる…それでも不十分です。

メインのスーパースターが欲求不満の残る試合をして、セミが際立つような奇跡の演出も必要です…それでも軽量級では、そこで〝詰み〟。

軽量級の強豪王者など米国のボクシングファンは興味はありません、それに勝ったとて一夜限り…。
しかし、その勝利の先に強豪王者の枠も超えるような一発殿堂の実力と人気を持つメキシコ人が待ち構えているなら話は変わります。

ましてや「強豪王者の枠も超えるような一発殿堂の実力と人気を持つメキシコ人」が3人も待ってくれているのなら、話は全く違ってきます。

そして、2001年6月上旬、信じられないような幸運が舞い込みます。 

当代きってのスーパースターのメガファイト、そのセミファイナルに出場する強豪王者リーロ・レジャバの対戦相手エンリケ・サンチェスが直前になってキャンセルするのです。

もし、あのときサンチェスがキャンセルしなければ?

Who knows how long it would have taken for him to break out. 

パッキャオのブレークがもっと先のことになっていたのは間違いありません。

いいえ、もしかしたら…それは「もっと先」ではなく、ついに訪れなかったかもしれません…。

「もしかしたら」ではないですね。サンチェスが棄権していたら、間違いなくマニー・パッキャオ」はいません。

試合までわずか10日を切ったオファーを、パッキャオが二つ返事で快諾していなければ…?

それどころか、あのタイでの防衛戦で最後の1ポンドを落とし切っていたら…?もはや何が幸いするかわかりません。

もし、小さな歯車が少しだけ狂っていたら、私たちが「マニー・パッキャオ」と出会うことはありえなかったのです。

しかし、彼のボクサーとしての人生の歯車は一度も軋むことなく美しく滑らかに回転しながら、大劇場の幕を引き上げるのです。

いや、大きく軋んで聞こえたり、ときには歯車が破損したように見えたのも、すべては「誰か」が仕組んでいたのです。

2009年、タフなリッキー・ハットンを失神させたKO劇に香川照之は「神が介在している」と戦慄しましたが、実は神はその8年前からパッキャオを溺愛していたのです。

いいえ、8年前どころか12歳のパッキャオを「少年、路上でドーナツを売るより、もっとボロい商売があるぞ」と草拳闘に誘ったあの初老のブローカー、彼も地上に降りた神のかりそめの姿だったのかもしれません。

そして、パッキャオと簡単に契約を結べる立場だったジョー小泉の耳元でも、神様はこう囁いていたはずです。

「体重も作れないボクサーなんてやめておけ。遊び癖は治らないし、練習態度も悪いだろう。あんなのと契約してもカネの無駄だ」。



それでも、彼と拳を交えたジェリー・ペニャロサは初めて会ったときから「それ」に気づいていたと言います。

“I think that’s his Destiny,” said Penalosa. “That’s why he became Manny Pacquiao..”

「すべては神の思し召しだ。それがマニー・パッキャオのマニー・パッキャオたる所以なんだ」。