ラスベガスとは?
1820年代にソルトレイクシティからカリフォルニアを目指したモルモン教徒が迷い込んだネバダ砂漠の中で辿り着いたオアシス、それがラスベガスです。
1840年代末にカリフォルニア州で金脈が 発見されるとゴールドラッシュが巻き起こり、ラスベガスはカリフォルニアへの中継地点、宿場町として栄えます。
一攫千金を夢見る荒くれ者が集うラスベガスでは、その当時からサルーン(居酒屋を兼ねた宿)が主催するベアナックルの試合が定期的に開催されていました。
一方で、英国では17世紀に公式ルールを発表、世界史上初のプロスポーツ選手、プロボクサーが存在していました。
1840年代末にカリフォルニア州で金脈が 発見されるとゴールドラッシュが巻き起こり、ラスベガスはカリフォルニアへの中継地点、宿場町として栄えます。
一攫千金を夢見る荒くれ者が集うラスベガスでは、その当時からサルーン(居酒屋を兼ねた宿)が主催するベアナックルの試合が定期的に開催されていました。
一方で、英国では17世紀に公式ルールを発表、世界史上初のプロスポーツ選手、プロボクサーが存在していました。
さらにロンドン・プライズリング・ルール(1838年)、クイーンズベリー・ルール(1867年)が整備され、英国でも酒場で賭けの対象とされることが多かったボクシングは「スポーツ化」の道を一直線に突き進みます。
英国とそれに倣った米国東海岸はチャンピオンシップの仕組みも作り上げ、現在のボクシングとほぼ変わらないシステムが出来上がりました。
もちろん、西部の果ての砂漠の中の町、ラスベガスはそんなルール整備やスポーツとしての洗練とは無縁でした。
しかし、グローブをはめた世界ヘビー級タイトルマッチ(ジョン・L・オサリバンvsジェームス・J・コーベット)が1892年に行われると、ラスベガスではありませんがネバダ州カーソンシティが1897年にコーベットとボブ・フィッツモンズのタイトルマッチを招致します。
ゴールドラッシュの宿場町として栄えたラスベガスも、サルーンの経営者が東部で行われるようなビッグファイトをカネの力で砂漠の町に引っ張り込むようになりました。
カリフォルニアの金脈が尽きると、宿場町として栄えたラスベガス経済には不穏な雲行きになりましたが、ボクシングのビッグファイトを招致するという「町興し」で起死回生を狙います。
そんなサルーンの敏腕経営者の一人が、のちに史上最高のプロモーターと呼ばれ、その資金力でリング誌を創刊させたテックス・リカードでした。
宿場町で荒くれ者を相手に酒場をハンドリングした〝恐竜〟リカードが、プロモーターの原型です。
英国貴族がルールを整備、スポーツ化したボクシングの「正統性」と「上品さ」を巧みに利用して米国で一大産業に発展させたのがリカードのメソッドでした。
そう考えると、100年以上先の私たちが目にするプロモーターも、恐竜の遺伝子を継いだ山師であることが納得できるでしょう。
たとえ、ハーバード大卒の元法律家のボブ・アラムですら、やってることは100年以上前に酒場宿の主人リカードがやったことをなぞっているだけです。
資源も産業もないラスベガスは1931年に賭博を完全合法化、そしてボクシングの大試合だけではなく軍事基地や、核実験場まで招致することで巨額のカネを飲み込み、米国政府中枢部へのコネクションも強めていきます。
ラスベガスは第二次世界大戦後にベンジャミン・シーゲル(バグジー)がフラミンゴヒルトンを建設したのを機にマフィアが続々とホテルやカジノを築き、現在のカジノ&リゾート産業が形成されます。
しかし、その歴史を振り返れば「マフィアがラスベガスを作った」というのは全くの的外れの誤解です。
正確には「ラスベガスがマフィアを招致した」のです。
核実験場からマフィアまでーーカネになるものならどんなものでも飲み込むブラックホール、それがラスベガスの正体です。
ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンや、東京ドームは興行主が使用料を支払ってイベントを打つのが普通です。
それに対して、ラスベガスはメガファイトを招致、すなわち会場を提供するラスベガスが招致フィーを支払うという真逆のビジネススタイルです。使用料は一切かかりません。
フロイド・メイウェザーやマニー・パッキャオの試合は、MGMグランドが1000万〜2000万ドルで招致していましたが、宿泊客やハイローラーが落とすカネで潤うMGM側の経済効果は4000万ドル前後と言われています。
もちろん、そんな莫大な招致フィーが発生するのは、ほんの一握り、特別な階級の特別なボクサーだけです。
街の真ん中にあるMSGや後楽園ホールではほとんどが日帰り客になり、当然ハイローラーは詰め掛けませんから、招致フィーではなく使用料が発生するのは当然です。
MGMグランドガーデンアリーナではなく、宴会場にリングと特設して行われた西岡利晃vsラファエル・マルケスは経済効果が全く期待できないため(WOWOWの観戦ツアーなどがありましたが)、招致フィーではなく使用料が請求されていたことは疑いようがありません。
それどころか「日本人は米国とラスベガスに異様に憧れている」と足元を見られて〝憧れ料〟込みの割高な請求書を受けたかもしれません。
いずれにしても、ボクサーがラスベガスで成功するには、金目のものはなんでも飲み込むブラックホールが食指を伸ばすような、招致フィーを支払って呼ばれるような存在になるしかありません。
もちろん、宴会場で大手ケーブルテレビに無視されながらも「ファイトマネー1億円」を手にしたと伝えられた西岡を「成功」と見なすなら、招致フィーもブラックホールも全く関係ない話になりますが…。
井上尚弥の方向は現状のバンタムやジュニアフェザーでは「西岡路線」ですね。ネバダ州アスレティック・コミッションからは課税対象のファイトマネーは対戦相手も含めて公表されず、日本のメディアが「100万ドル」と報じるパターンです。
英国とそれに倣った米国東海岸はチャンピオンシップの仕組みも作り上げ、現在のボクシングとほぼ変わらないシステムが出来上がりました。
もちろん、西部の果ての砂漠の中の町、ラスベガスはそんなルール整備やスポーツとしての洗練とは無縁でした。
しかし、グローブをはめた世界ヘビー級タイトルマッチ(ジョン・L・オサリバンvsジェームス・J・コーベット)が1892年に行われると、ラスベガスではありませんがネバダ州カーソンシティが1897年にコーベットとボブ・フィッツモンズのタイトルマッチを招致します。
ゴールドラッシュの宿場町として栄えたラスベガスも、サルーンの経営者が東部で行われるようなビッグファイトをカネの力で砂漠の町に引っ張り込むようになりました。
カリフォルニアの金脈が尽きると、宿場町として栄えたラスベガス経済には不穏な雲行きになりましたが、ボクシングのビッグファイトを招致するという「町興し」で起死回生を狙います。
そんなサルーンの敏腕経営者の一人が、のちに史上最高のプロモーターと呼ばれ、その資金力でリング誌を創刊させたテックス・リカードでした。
宿場町で荒くれ者を相手に酒場をハンドリングした〝恐竜〟リカードが、プロモーターの原型です。
英国貴族がルールを整備、スポーツ化したボクシングの「正統性」と「上品さ」を巧みに利用して米国で一大産業に発展させたのがリカードのメソッドでした。
リング誌創刊号(1922年2月号)をカバーしたのは、当時の人気者ジャック・デンプシーではありません。ラスベガスの酒宿場の経営者リカードと、ボクシングの発展に寄与した英国貴族ロンズデール卿でした。プロボクシング、ラスベガスはその誕生からして清濁併せ呑んでいたのです。
そう考えると、100年以上先の私たちが目にするプロモーターも、恐竜の遺伝子を継いだ山師であることが納得できるでしょう。
たとえ、ハーバード大卒の元法律家のボブ・アラムですら、やってることは100年以上前に酒場宿の主人リカードがやったことをなぞっているだけです。
資源も産業もないラスベガスは1931年に賭博を完全合法化、そしてボクシングの大試合だけではなく軍事基地や、核実験場まで招致することで巨額のカネを飲み込み、米国政府中枢部へのコネクションも強めていきます。
ラスベガスは第二次世界大戦後にベンジャミン・シーゲル(バグジー)がフラミンゴヒルトンを建設したのを機にマフィアが続々とホテルやカジノを築き、現在のカジノ&リゾート産業が形成されます。
しかし、その歴史を振り返れば「マフィアがラスベガスを作った」というのは全くの的外れの誤解です。
正確には「ラスベガスがマフィアを招致した」のです。
核実験場からマフィアまでーーカネになるものならどんなものでも飲み込むブラックホール、それがラスベガスの正体です。
ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンや、東京ドームは興行主が使用料を支払ってイベントを打つのが普通です。
それに対して、ラスベガスはメガファイトを招致、すなわち会場を提供するラスベガスが招致フィーを支払うという真逆のビジネススタイルです。使用料は一切かかりません。
フロイド・メイウェザーやマニー・パッキャオの試合は、MGMグランドが1000万〜2000万ドルで招致していましたが、宿泊客やハイローラーが落とすカネで潤うMGM側の経済効果は4000万ドル前後と言われています。
もちろん、そんな莫大な招致フィーが発生するのは、ほんの一握り、特別な階級の特別なボクサーだけです。
街の真ん中にあるMSGや後楽園ホールではほとんどが日帰り客になり、当然ハイローラーは詰め掛けませんから、招致フィーではなく使用料が発生するのは当然です。
MGMグランドガーデンアリーナではなく、宴会場にリングと特設して行われた西岡利晃vsラファエル・マルケスは経済効果が全く期待できないため(WOWOWの観戦ツアーなどがありましたが)、招致フィーではなく使用料が請求されていたことは疑いようがありません。
それどころか「日本人は米国とラスベガスに異様に憧れている」と足元を見られて〝憧れ料〟込みの割高な請求書を受けたかもしれません。
いずれにしても、ボクサーがラスベガスで成功するには、金目のものはなんでも飲み込むブラックホールが食指を伸ばすような、招致フィーを支払って呼ばれるような存在になるしかありません。
もちろん、宴会場で大手ケーブルテレビに無視されながらも「ファイトマネー1億円」を手にしたと伝えられた西岡を「成功」と見なすなら、招致フィーもブラックホールも全く関係ない話になりますが…。
井上尚弥の方向は現状のバンタムやジュニアフェザーでは「西岡路線」ですね。ネバダ州アスレティック・コミッションからは課税対象のファイトマネーは対戦相手も含めて公表されず、日本のメディアが「100万ドル」と報じるパターンです。

コメント
コメント一覧 (3)
アメリカにラスベガスにこだわるというか、媚びる日本ボクシング界にあきれます。
元オリンピア金メダリスト、世界ミドル級セカンド王者の村田諒太をうまくつかうことでしょう。
西岡の場合箔をつけるためにあのような演出をしたのだと思います。
西岡は云い選手だと思いますよ。
渡辺二郎のときは、アメリカだと、安いから
強敵ローマンと闘うまえに、交流があったパルパルジムとの選手とやっとこかーてな感じでしょ。
ラスベガスで稼ぎたきゃ、ミドル級の選手を世界と闘わせることしかないとおもいます。
フシ穴の眼
が
しました
1967年→1867年
だと、思います。
フシ穴の眼
が
しました