“This condition isn’t related to my boxing career nor is it hereditary. It was just My turn.”
これはボクシングで激闘したからでも遺伝でもない。言ってみればそういう巡り合わせだったんだよ。
引退から10年以上も経つというのに、彼のファイトは今も生々しく多くのボクシングファンの記憶の中で生き続けている。
殴られたら殴り返せ。
ジュニアフェザー級(122ポンド)のタイトルを三度獲得した男は今、静かにソファに腰を沈めリラックスしながら語り始めた。
イスラエル・バスケス。
パンデミックがボクシング産業も直撃する中で、Showtime は過去の名勝負を再放送し、生の試合を楽しめないファンの心を慰めている。
その中でもマニアを喜ばせているのがバスケスとラファエル・マルケスが繰り広げた歴史に残る激闘「3」連戦だ。
「もう10以上も前のことなのに、まだよく覚えてくれているファンがいることは、どう表現したらいいのか、とにかくすごく嬉しいよ」。
43歳になるMagnifico は現役時代、ボクシングファンが最も好むスタイルを身につけていた。
殴られたら殴り返す。
一歩も引かない。
どちらかが倒れるまで殴り続ける。
実は、ボクシングはそれだけの簡単なスポーツだ。そこから逃げるからブーングを浴びるのだ。
しかし、ファンに溺愛されたバスケスに、人生の神様は冷淡だった。
激闘のキャリアとの引き替えに神様は、彼の右目をその代償として差し出させた。
さらに昨年は全身性強皮症=SSc(※)と診断され、体重は112ポンドまで削られてしまった。
※皮膚が硬くなる原因不明の病気。多彩な臓器、特に心臓や肺などの重要臓器にも病変を伴うこともある。
「1年近くもこの厄介な病気と付き合ってるんだ。免疫機能がやられるから他の病気にもかかりやすくなるし、皮膚だけじゃなく筋肉や内臓もやられてしいまう。何も治療しないと死んでたところだ」。
それでも、適切な治療を受けたバスケスの症状は安定してる。
「私の身に何かが起きると『ボクシングの後遺症だ』と決めつける人がいるけど、ああいうのはうんざりだ。これはボクシングのせいじゃないし、遺伝でもない。言ってみればそういう巡り合わせ(turn)だったってことだけだ」。
「ラファエルとの3試合で眼球を傷めてしまったけど、正常に回復して2試合を戦っている。何度か手術したけど右目は良くならなくて、摘出して義眼を埋め込んでいるけどね」。
「一生アスリートのつもりだし、体を動かすことが大好きなんだ」というバスケスだが、SScの治療のため安静にしていなければならない。
「そりゃ辛いよ。でも乗り越えてみせる。少しずつ良くなってるからね。どんな逆境にも絶対に挫けない、それが人間と他の動物の違いだ。リングの中と同じ、周りから絶体絶命に思えても、1%しか見えてない可能性を拳で掘り起こす、それがファイターだ」。
当代きってのアクションヒーローだった現役時代の戦績は、44勝32KO5敗。
根性勝負。不利と予想された通りの展開だったジョニー・ゴンザレス戦でしたが、ジョニゴンの精神的な弱さを引きずり出すような展開で逆転KO勝ち。
前戦でフェルナンド・モンティエルとのホープ対決を制したものの「二人ともチキン」と酷評される内容で、ジョニゴンにとって名誉挽回の一戦でしたが、この試合でさらに評価を落としてしまう。
ジョニゴンが過大評価だったのはその後も凡庸な相手に失態を重ねたことから明らかでしたが、この夜は相手も悪かった。
素晴らしい数字だが、その中身はもっとMagnifico=荘厳だ。だからこそ、今も多くのボクシングファンが彼に惹きつけられる。
「鼻血が止まらないから棄権した」なんて発想は、バスケスの頭の中を隅々まで探しても欠片も見つからないだろう。
ラファエル・マルケスとは四度拳を交えたが、最初の3試合は歴史に残る大激闘だった。2007年3月3日の初戦から2008年3月1日までの12ヶ月、25ラウンドに渡って殴り合ったスペクタクルはボクシングの本質が全てパッケージされていた。
21世紀はじめは、バスケスvsマルケスに並んでアーツロ・ガッティvsミッキー・ウォード、マルコ・アントニオ・バレラvsエリック.モラレスと歴史に残るトリオロジーが誕生した。
「素晴らしい試合というのは互いが持てるもの全てをぶつけ合うから出来上がる。その意味ではラファエルも私も何もかも全てを最後の一滴まで絞り尽くして戦った」。
「あくまで私の見方だけど、バレラvsモラレスは初戦を除くと非常にスマートに戦った。もちろん、素晴らし試合だったけど、二人とも考えすぎていたね」。
「最高のトリオロジーは私とラファエルだろう。最初から楽に勝とうなんてこれっぽっちも思っていなかった、あいつも私も」。
バスケスはメキシコシチーの葬儀会社の家族として育った。
そして、なけなしのカネを握りしめて、国境を越え、縁もゆかりもない米国の土を踏んだ。もちろん、英語なんて一言も話せなかった。
バスケスの癒しは妻のラウラだった。もちろん、一緒に〝ボーダー〟を越えた。
彼女は行きつけの散髪屋の理髪師だった。
そして、バスケスも自分で理髪店を開いて彼女と切り盛りした。
「働きながら戦うのを、誰もが『大変な苦労だろう?』と心配してくれるが、実はそうじゃない。生きるってどういうことか?がよくわかるんだ。大金持ちの資本家や、ボクシングに集中出来るウェルター級のチャンピオンには理解できないかもしれないけど」。
「ただ、これはあくまでも私の意見だけど、資本家やウェルター級のスターよりも私は人生を楽しんでいるし、幸せだ。そして、間違いなく彼らよりも強い」。
「彼女がいなければとっくの昔に挫けていた。みんな私を生まれながらのファイターだと思うかもしれないけど、そんな奴は絶対にいない。みんな本当は弱い人間だ」。
「ラウラとは18歳のときからずっと一緒、いろいろあったけどずっと一緒だ。7年間経営していたヘアサロンを家族のために閉めて、母親に徹してくれた」。
「私が逆の立場なら、家族を捨ててボクシングを選んだかもしれない。そう考えたら、絶対に負けられなかった。万一負けても、ラウラが『頑張った、ありがとう』と言ってくれるような負け方でないと、自分が許せなかった。私が三度も世界王者になれた一番大きな理由は、ラウラの存在だ」。
「人生最大の誇りは妻と家族だ。私の人生は、リングの中と外しかなかった。そして一番大切なのがリングの外であるのは言うまでもない。でも、リングの中でいえば誰にも負けなかったのが誇りだ。記録で敗北となっているのは、全部誰かが決めたことだ。自分で参ったとは言っていない」。
「リングの中の思い出も掛け替えのないものだけど、日々の生活との戦い、これこそが人間の営みそのもの。そして、それが一番タフなのは誰もがわかっている」。
There is always one final question which needs to be asked of every fighter.
「あらゆるプロボクサーは引退する日に、ファイナルアンサーをしなけりゃならない。この苛酷な仕事をやり遂げて、それは割に合うものだったのか?それとも代償ばかりが多かったのか?」。
ボクサーでなくても、何かの仕事に全身全霊を打ち込んだ人間にとって、すぐに答えるには難しいことだ。
「この問題は実は簡単だ。カネや名誉、地位、それを〝割に合う〟の基準にしてしまうと、きっと答えに詰まる」。
バスケスの言う通りだ。
「カネは溜まったけど」「名誉と地位は手に入れたけど」…。
バスケスは淡々と話す。
「私には何の後悔もない。この右目が義眼であること、治療法のない難病に冒されたこと、これが例えばボクシングのせいだったとしよう。そんな不幸な私は今こうして英国のメディアから長いインタビューを受けているわけだ。英国だけでもこれが初めてじゃない。私は10年前に引退したボクサーなのに。私を不幸だと思うかい?」。
「私は損得を考えて戦ったことは一度もない。1秒1秒を全力で戦ってきただけだ。相手にひるんだ1秒は、一度もなかった。ただ、その結果が、今こうして巡り巡ってくれているのだとしたら、それもまた巡り合わせってことだ」。
バスケスへのインタビューを終えたいま、正直にいおう。
最初はバスケスを同情していた。神様から見放された男だと思いかけていた。
今は、バスケスが羨ましい。
右目が健康でも、忸怩たる人生を生きている人は数え切れない。私もその1人かもしれない。
神様は、重い代償をバスケスに要求しすぎだと思ったこともあったが…。それはきっと間違いだ。
この難病を突きつけた神様は、また何かしらの代償をバスケスに求めてるのかもしれない。
それにしても、ボクシングファンだけでなく、神様にまで愛され、付きまとわれるなんて。
バスケスがひたすら羨ましい。
いや、バスケスが、たまらなく、妬ましい…。
もちろん、神様がバスケスを好きになる理由はよくわかる。
そして、それが私や多くの人が持っていない、いやもっと正確に言うなら持とうとしない勇気であることもわかっている。
それだからこそ、余計にバスケスが妬ましい…。



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フシ穴の眼
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フシ穴の眼
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