先日、NHKサタデースポーツで雑誌 Number の40周年を振り返る特集が放送されました。
使い捨てじゃなく、紙の上に活字と写真が印刷された確かのものとして、指でページをめくって、紙の感触とインクの匂いを、味わいながら読むことで、アリの呼吸が聞こえるような、彼の実態に少し近づけているような錯覚を起こしてくれるのです。
もちろん、そんなのアナログ人間の戯言かもしれません。
さらに「最近」なんて言っても、TIME誌アリ特集は2016年発行の雑誌ですから、4年に1回しかありがたみを感じることがない紙媒体なんて、やはりその存在意義は脆弱です。
ちゃんと説明しないとわからない「論理国語」を持ち出してしまい、いつも以上に論理的でない支離滅裂話になってしまいましたが、以前も書きかけだったこのテーマは、またどこかで続きます。
紙媒体の雑誌に強烈な逆風が吹き続けて約15年。
日本唯一のスポーツ総合誌はピーク時に48万部に達した発行部数が、12万部にまで落ち込んでいるそうです。
Number誌に速報性を期待する読者はいませんが、それでもデジタルメディアの侵略は容赦がありません。
かつては海外の試合展開・結果をそこで初めて知ることも多かったボクシングマガジンなどの専門誌は、速報性という魅力を完全に喪失、その深刻度はNumberどころではありません。
Number誌の売上激減を見るまでもなく、ネットメディアは試合結果などを報道する圧倒的なスピードだけではなく、情報量も膨大なものがあります。しかも、多くのケースで無料です。
1980年代、シュガー・レイ・レナードやマービン・ハグラーの試合は、ほぼリアルタイムで見ることができましたが、その試合の寸評や専門家の声、両者の試合後記者会見の内容を知るのは、どうしても日本に届くまでにタイムラグのあるリング誌ではなく、ボクマガかボクワーでした。
ボクマガで特別号が出されることがあっても、それはせいぜい翌週のことでした。
ボクマガで特別号が出されることがあっても、それはせいぜい翌週のことでした。
それが今では専門家の記事はもちろん、スコアカードやパンチスタッツまでもが即座に確認でき、試合後記者会見もリアルタイムで見ることが出来ます。
ESPNやリング誌をはじめ多くの電子版ボクシングメディアから何週間も遅れて書店に並ぶボクマガとボクビーは、その間に更新された新情報はフォローできず、新鮮味に欠落するだけでなく質量ともにあまりに魅力に乏しく、なおかつ約1000円も出して購入するには高額過ぎるのです。
もちろん、ネットでは詳細報道が捉えきれない日本タイトルマッチの展開や選手の声はマガやビーでないと拾うことはできませんが、それでも紙媒体である必要があるのか、疑問です。
リング誌的な「ボクマガ.TV」をオープンしたら私のようなボクシングマニアならプリントバージョンも付いて年間1万円程度ならまでなら絶対買いますが、多くのボクシングファンは日本レベルまで見たいと思わないのではないでしょうか。
エキマ目当てでWOWOWを視聴しているファンにとっても、世界ではなく日本に特化した「ボクマガTV. 」は〝興味アンテナの圏外〟な気がします。
私は毎月、マガかビーのどちらかを購入。リング誌と英国ボクシングニューズ(BN)誌はプリントバージョンと電子版を定期購読しています。
マガ&ビーを購入する動機は「日本レベルの現状や過去のエピソードを詳しくカバーしてくれる」からで、なおかつ電子版が事実上存在しないからです。
では、リング誌とBN誌は電子版の購入でプリントバージョンの内容も100%カバーできるのに、どうして高額の配送料までかかるプリントバージョンを買うのか?
リング誌だと電子版だけなら1ヶ月1ドル99セント(もちろん世界共通)。
プリントバージョン(電子版付き)だと12ヶ月で米国なら39ドル99セント=1ヶ月3ドル33セント。日本だと59ドル99セント=4ドル99セント。
私はクリスマスのキャンペーン期間に18ヶ月とかで申し込んでいるのでもう少し割安ですが、それでも電子版だけなら2分の1以下のコストで済みます。
なぜ、リアルなプリントにこだわるのか?正直、自分でもわかりません。
より大きな画面で美しく見れるのに、紙に印刷された活字も写真も見にくい、保管場所まで必要なプリントバージョンの利点がうまく説明出来ません。
あえて言うなら、これはもうアナログ人間のDNAとしか答えられないです。
昨日のサンデースポーツでは、紙媒体の優位性として「じっくりと一人のアスリートや、一つの試合に向き合った深みのある記事が提供できる」という意味のことが挙げられていました。
しかし、それはデジタル媒体で出来ないものではなく、デジタルならわざわざ書店などで購入する手間もありません。
現在は非常に特殊な環境下ですが、この状況下もまさにデジタル、オンラインが圧倒的なアドバンテージを発揮しています。
プリントがデジタルに対する優位性を見つけるのは至難の業、というよりも不可能に思えます。
さらに、国語力が著しく低下している最近の若い世代は、想像力を掻き立てられる読み物よりも、無料で速報性が高い=パッと見てすぐわかるネットに溢れる使い捨ての記事を好む傾向にあるのは間違いありません。
先日、教育関係者と仕事があり「論理国語」が話題になりました。これは、若者の国語力を懸念した文科省が重い腰を上げた新科目です。
論理的な国語力の向上を目指すと同時に、主体的な表現力の育成を図るとして、2022年度から高校国語の新しい学習指導要領として実施するのが論理国語です。
「実社会において必要になる、論理的に書いたり批判的に読んだりする力の育成を重視した科目」「社会的な話題に関する論説文や資料を読み、自分の考えを論述したり討論したりする」「複数の文章を読み比べて論じる」が三本柱だそうです。
「話す」「書く」「読む」のが国語ですが、国語として最も重要なのは「読む」です。
今の若者は「話す」「書く」は、過去の時代に生きた若者同様に(その時代だけ)斬新なスタイルを楽しんでいます。
プリントがデジタルに対する優位性を見つけるのは至難の業、というよりも不可能に思えます。
さらに、国語力が著しく低下している最近の若い世代は、想像力を掻き立てられる読み物よりも、無料で速報性が高い=パッと見てすぐわかるネットに溢れる使い捨ての記事を好む傾向にあるのは間違いありません。
先日、教育関係者と仕事があり「論理国語」が話題になりました。これは、若者の国語力を懸念した文科省が重い腰を上げた新科目です。
論理的な国語力の向上を目指すと同時に、主体的な表現力の育成を図るとして、2022年度から高校国語の新しい学習指導要領として実施するのが論理国語です。
「実社会において必要になる、論理的に書いたり批判的に読んだりする力の育成を重視した科目」「社会的な話題に関する論説文や資料を読み、自分の考えを論述したり討論したりする」「複数の文章を読み比べて論じる」が三本柱だそうです。
「話す」「書く」「読む」のが国語ですが、国語として最も重要なのは「読む」です。
今の若者は「話す」「書く」は、過去の時代に生きた若者同様に(その時代だけ)斬新なスタイルを楽しんでいます。
それは、私の時代や、あらゆる時代の若者たちが遊んできた特権ともいえるもので、いい意味でも悪い意味でも〝使い捨て〟です。
もちろん、現代では多くのネット記事がそうであるように、多くの「読む」までもが使い捨てになっています。
別に、古典や名作を読めるようになる必要はありません。文科省が心配しているのは、普通のビジネス文書ですら正確に読めない若者が増えてきているということです。
誤解を恐れずに言うと、大学入試などはほとんど全てが馬鹿問題です。問題文を正確に読めれば「正解」出来ます。
「問題文を正確に読んで正解を書く」とは「出題者が期待している答えを書く」ということだけです。
かわいそうに、今の若者たちは国語に限らず「使い捨て」が溢れる世界に生きているのです。
…なんとなく、紙媒体を愛おしく思う心理が少しだけわかりかけました。
もちろん、現代では多くのネット記事がそうであるように、多くの「読む」までもが使い捨てになっています。
別に、古典や名作を読めるようになる必要はありません。文科省が心配しているのは、普通のビジネス文書ですら正確に読めない若者が増えてきているということです。
誤解を恐れずに言うと、大学入試などはほとんど全てが馬鹿問題です。問題文を正確に読めれば「正解」出来ます。
「問題文を正確に読んで正解を書く」とは「出題者が期待している答えを書く」ということだけです。
かわいそうに、今の若者たちは国語に限らず「使い捨て」が溢れる世界に生きているのです。
…なんとなく、紙媒体を愛おしく思う心理が少しだけわかりかけました。
使い捨てじゃない、という愛情ですね。
使い捨てではない。形あるものとして取っておきたい、という思い。
最近、読んで感動極まったもの、ボクシング関連だと断然、TIME誌のモハメド・アリ特集です。使い捨てではない。形あるものとして取っておきたい、という思い。
使い捨てじゃなく、紙の上に活字と写真が印刷された確かのものとして、指でページをめくって、紙の感触とインクの匂いを、味わいながら読むことで、アリの呼吸が聞こえるような、彼の実態に少し近づけているような錯覚を起こしてくれるのです。
もちろん、そんなのアナログ人間の戯言かもしれません。
さらに「最近」なんて言っても、TIME誌アリ特集は2016年発行の雑誌ですから、4年に1回しかありがたみを感じることがない紙媒体なんて、やはりその存在意義は脆弱です。
ちゃんと説明しないとわからない「論理国語」を持ち出してしまい、いつも以上に論理的でない支離滅裂話になってしまいましたが、以前も書きかけだったこのテーマは、またどこかで続きます。

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