ボクシングの試合で最も議論を呼ぶのは、判定です。

最近の日本のリングでも「村田諒太vsアッサン・エンダム第1戦」(2017年5月20日)、「井上尚弥vsノニト・ドネア」(2019年11月7日)がすぐに思い出されます。

前者は、「誰がどう見ても勝利が盗まれた」(ESPN)村田の圧勝劇で、ヒルベルト・メンドサJr.会長までが誤審を謝罪するほど。

後者は、ジャッジの1人ロバート・ホイルが114-113とスコア。井上のキャリアでは最大の苦戦とはいえ、勝利は明白で、1点差にしか見えなかったホイルは「ジャッジ席に座る前に目医者に行くべき」(リング誌)でした。


そして、スコアカードだけではなく、リング上の第三の男=レフェリーが下す判断も数多くの議論を巻き起こして来ました。

「フリオ・セサール・チャベスvsメルドリック・テーラー」で〝あと2秒〟でテーラーの勝利を奪ったリチャード・スティールや、ケニー・ベイレスら、ネバダ州の名レフェリーによく見られる早過ぎるストップは、その典型です。

それでも、スコアカードやストップのタイミングは、そのジャッジにしか見抜けなかった真実や、最も近くで見ていたレフェリーだから下せた決断などが、百歩譲ればあるかもしれません。

「マニー・パッキャオvsファン・マヌエル・マルケス第1戦」でパッキャオが3度ダウンを奪った初回を10−7(本来は10−6とすべき)とつけたバート・A・クレメンツのような、百歩譲っても有り得ない採点やストップも、少なからずありますが…。

しかし、言い訳の効かない、素人でも「おかしい!」と声を上げてしまうレフェリーの不可解な判断もあります。

ロングカウント。10秒を超える不可解なカウントは、その代表です。

世界がロングカウントに揺れた「二つの大事件」を英国ボクシングニューズ誌2月6日号が特集、それにまだ生々しい記憶「井上尚弥vsノニト・ドネアの11ラウンド」をリレーします。

ポール・ギャリコについてなど加筆しています。
 

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TUNNEY’S LONG COUNT

1927年9月22日、シカゴはソルジャーズ・フィールド。

世界ヘビー級タイトルマッチ。王者ジーン・タニーが1年前に大番狂わせでタイトルを奪った元王者ジャック・デンプシーを迎え撃つ大一番です。

運命の第7ラウンド。デンプシーロールから放たれたすくい上げるようなアッパーがタニーの顔面にヒット、王者が痛烈にダウン!

当時、ニューヨーク・デイリー・ニューズ社の新聞記者だったポール・ギャリコは「デンプシーの左右の強打でタニーがダウン!」と長距離電話でレポート(デンプシーとのインタビューはもちろんスパーリングまでしたギャリコは「ポセイドンアドベンチャー」など映画やテレビドラマの原作となる小説をいくつも著した人気作家になります)。

伝説を通り越して神話の時代です。

レフェリーのデイブ・バリーはカウントを取ろうと右腕を振りますが、すぐ横でデンプシーが立ち上がったらすぐに襲いかかろうと鬼の形相で構えているのに気付き、ニュートラルコーナーに下がるよう指示しました。

デンプシーが世界王者になってから8年の歳月が流れ、タニーに王座を追われたのは3年のブランク明けでした。

In winning the title from Jess Willard eight years before, the rules had been vastly different.

この8年間で、ボクシングのルールは大きく様変わりしました。

「ダウンを奪った選手はニュートラルコーナーに下がって待機しなければならない」という新ルールもその一つです。

デンプシーはこのルールを知らなかったのです。

納得できない表情で、すぐ近くのコーナーに下がったデンプシーでしたがバリー主審は「そこじゃない!」とニュートラルコーナーを指さしました。

Tunney-Dempsey-II


このタイムラグで生き延びたタニーは、続く8ラウンドにダウンを奪い返して判定勝利をものにします。

デンプシーはこの試合を最後にグローブを吊るしてしまいました。

…もし、あのロングカウントがなかったら…?

デンプシーの評価は、リベンジの重要性を重んじる欧米での評価は、間違いなくもっと高いものになっていたでしょう。

ただし、このロングカウントは主審に責任はありません。バリーは自分の仕事を完璧にこなしました。

新しいルールを知らなかったデンプシーの責任が100%です。


そして、次の大事件の舞台は68年の歳月と7000㎞以上の距離を隔てた、1990年2月11日の東京で起こります。