フロッグ・ジャンプ。階級またぎの離れ業は、自己顕示欲をジャンピングボードにしてより高く飛びます。

この偉人もそうでした。歴代PFPの豪奢な宴会場で、シュガー・レイ・ロビンソンのすぐ隣に席を用意されるヘンリー・アームストロングです。
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【二匹目の偉大なカエル】ヘンリー・アームストロング(米国)

この画像はリング誌が特集した「アルファベット26文字」それぞれを頭文字に持つボクサーを一人選ぶというお遊び企画から、です。

複数階級制覇に焦点を絞ったものではありませんが、選考基準はただ一つ「ボクサーとしてどれほど偉大だったか」です。

頭文字Aは誰でもモハメド・アリを思い浮かべるでしょうが、リング誌が選んだのはアームストロング。

リングを超越した社会的な影響力まで考慮するとアリ以外にはありえません。しかし「ボクサーとしてどちらが偉大か?」、つまりリングの中だけに絞り込んで考えると逆に「アームストロング以外にありえない」のです。

身長166㎝/リーチ170㎝。これはマニー・パッキャオのサイズと全く同じです。

1930年代、8階級しかなかった時代にフェザー級→ウェルター級→ライト級の順にわずか10ヶ月で三階級制覇、それも同時保持の離れ業をやってのけた Homicide Hank 。

2000年代末にやはりジュニアライト級→ライト級→ウェルター級でやはりわずか10ヶ月でビッグネームをことごとく打ち倒したPacman。

二人は、ともに抑えようのない自己顕示欲の塊でしたが、そのステイタスには大きな差がありました。

当時でパッキャオはすでにPFP1位として世界最高評価を獲得、その人気も第一集団でした。

しかし、PFPのような生っちょろい脳内妄想など影も姿もない30年代はヘビー級の時代、アームストロングには折悪くジョー・ルイスが君臨していたのです。

10ヶ月で三階級制覇はルイスに叩きつけた〝挑戦状〟でした。

90年後の現在、PFP評価でアームストロングの上にルイスをランキングする専門家は極めて少数派です。

Homicide Hankの挑戦は間違いなく大成功を収めました。

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アームストロングはミシシッピー州コロンバスの貧しい小作農の家庭に生まれました。15人兄弟の11番目で、本名はヘンリー・メロディ・ジャクソンJr.。

家族は、メロディが幼いときにミズーリ州セントルイスに引っ越します。「引っ越し」というと、真実が伝わりにくいかもしれません。それは、極貧の南部の黒人たちが、北部の工業地帯に職を求める〝生きるための〟民族大移動でした。

黒人専門の小学校・中学校に通い、学業でも優秀な成績を収めますが、当時は人種差別が認められていた時代で、やはり折悪くメロディが17歳のときに大恐慌が起きてしまいます。

工事現場で働きづめのメロディは、疲弊して家路につく道端に捨てられた新聞を見つけます。

1929年8月29日、ニューヨーク・ポログラウンズで行われた122ポンド12回戦。キッド・チョコレートがアル・シンガー チョコレートをスプリットデジションで下した試合が報じられていました。

メロディが目を瞠ったのはチョコレートの報酬です。自分たちが何年かけても手にできない報酬を、同じ黒人のチョコレートがたった1試合で手にしていたのです。

パインストリートに黒人でもボクシングが習えるジムがあると聞き、すぐに飛び込みました。そこで彼の才能を見抜いた年長のボクサーと運命的な出会いが待っていました。

何も教えないでサンドバッグを打たせると、その破壊力にまず驚きました。基本を教えてスパーリングをさせると、飲み込みの早さと怖がらないハートに「普通じゃない」と確信しました。

そして激しいラウンドで息が上がっても、60秒間のインタバルで心拍数は元通りになるのです。メロディの心拍数が平時まで下がるのを計った年長のボクサーは計り間違いだと何度も確認しました。

激しく3分間のスパーリングを終えたボクサーが60秒でどこまで回復するかを計っているです。誰だってそうしたでしょう。60秒で平時まで戻るのも驚きですが、メロディはさらに普通ではありませんでした。

60秒休んで、次のラウンドに立ち上がったときの心拍数は29だったのです。

アマチュアで3試合をこなして1931年に、メロディ・ジャクソンとしてプロデビュー。ファイトマネーは35ドルでした。世界大恐慌の最中、デビュー戦で受け取る報酬が35ドルというのはとんでもなく高額に思えます。

メロディがインスパイアされた試合でチョコレートが得た報酬も7万5000ドル!という記述もBoxRecなどで散見されますが、俄かに信じられません。

1920年代は大恐慌までバブルを謳歌していたとはいえ、現在の軽量級ボクサーでも一部の世界王者でないと手に出来ない金額です。何より、貨幣価値が現代とは全く違うはずなのに。

プロボクサーが職業として成立していた時代は確かにあったのです。

そのデビュー戦でメロディは、まさかの3ラウンドKO負け。トレーナーについた年長ボクサーは「良いところが何一つ出せなかった」と頭を抱えました。

プロ2戦目を判定で拾うと、二人はより大きな試合を求めてロスアンゼルスに向かいます。ロスを選んだのは、もう一つ理由がありました。

1932年に開催されるロスアンゼルス五輪に出場するためです。

もちろん、すでにプロで公式戦を戦っているメロディは五輪出場資格に抵触する可能性大です。

予選会のエントリー会場でメロディはトレーナーを指差しながら「私はハリー・アームストロングの弟、ヘンリー・アームストロングだ」と語り、その名で書類にサインをしました。

それにしても、なんというおおらかな時代でしょう。

五輪にエントリーするのに本人証明の書類等は必要なかったのでしょうか?

I don't know how many people know  that  Armsyrong had one of the most-amazing streaks in history in 1937 and 1938 ー 37straight victories, with 35 knockouts. And that wasn't to start his career. He fought some of the best fighters of the era during that period.


バート・シュガーは「アームストロングの偉大さは10ヶ月で三階級制覇をやってのけたことでも、ウェルター級で19度の防衛記録を持っていることでもない」と切り捨てます。

「全盛期の1937〜38年に37連勝(35KO)をマークしたことだ。しかも、バーニー・ロスやルー・アンバースらその時代を代表する強豪をことごとく倒したのだ」。