私の場合、テネシー州と聞いて真っ先に思い浮かぶのは「ジャック・ダニエル」に代表されるテネシーウイスキーです。
しかし、世間的には州都ナッシュビルがミュージックシティの異名で呼ばれるように音楽産業で有名な地域です。

「テネシーワルツ」が州歌の一つとして公式に認定されているほどカントリーを中心に音楽との結びつきが強い一方で、スポーツのイメージは希薄です。

特にプロボクサーとなると、1985年12月2日にIBFバンタム級王者ジェフ・フェネックに挑戦したジェローム・コフィー(3−0の判定負け)くらいしか思い浮かびません。

コフィーはアマチュアで200戦以上をこなし、全米タイトルを何度も獲得したエリートでしたがフェネックに敗れてからは22戦10勝12敗1分、最後は7連敗でグローブを吊るしました。

フェネックと世界戦を戦っていなければ、よほどのボクシングマニアの記憶にも残っていないボクサーです。

あれから30年以上の歳月を経て、ナッシュビルから史上初の世界王者が誕生しました。

今年1月にIBFスーパーミドル級王者ホセ・ウスカテギを番狂わせで破ったケイレブ・プラントです。

試合後にリング誌のインタビューで故郷に錦を飾った感想を聞かれたプラントは「Absolutely, I'm a Trailblazer」(当たり前だ、私はパイオニアになったんだ)とまくしたてました。

〝Sweethands〟と呼ばれるプラントが産まれたのはナッシュビルの北西20マイル、人口5000人のアッシュランドでした。

彼の両親、リッチーとベスはベビーベッドを買うことができないほど貧しく、衣装ダンスの上でプラントは寝かされていました。

アッシュランドは、貧しさと治安の悪さは切り離せないセットであることを象徴するような街でした。

ドラッグとアルコール、犯罪が渦巻く環境は少年少女にとって、道を踏み外すのは最も簡単な生き方でした。

キックボクサーでもあったリッチーは息子が非行に走らないように、犯罪から身を守れるようにと9歳のときから格闘技を教え込みます。

プラントは、10代でキックボクサーとして9つの国内タイトルと5つの世界タイトルを獲得。キックで大成しながら、ボクシングにも並行して取り組んでいました。

父子はボクシングのトーナメントに出場した翌週にはキック…そんなサイクルで戦い続けましたが、プラントは「どちらかに絞るべきだ」と考えるようになります。

「成人前にアマチュアの世界タイトルを獲ったことでキックには達成感があった。もちろん職業として見てもキックとボクシングの間には迷う必要がない格差があった」。

「それに子供の頃からモハメド・アリやフロイド・メイウェザー、ロイ・ジョーンズJr.に憧れていた」。

父親との二人三脚で97勝20敗のアマチュア戦績を残し、ロンドン五輪では控え選手として参加しました。

この頃、プラントの才能に気づき、ヘッドコーチになったのがジャスティン・ギャンバーです。当時、ギャンバーはラスベガスに出向いてアンディ・ルイスJr.をコーチしていましたが、ナッシュビルに帰ってジムを開くことを決心します。

「才能があるボクサーが、そこに一人いたからだ。スピードと身体能力に優れて、天性のタイミングを持っていた。それがプラントだった」。

「欠点はキック時代に染み込んだ後ろ重心の癖と、ボクシングの基本が身についていないことだったが、二つとも修正するのは難しいことではなかった」。

新しいヘッドコーチはプラントを研ぎ澄まし、2013年には私生活でも恋人カーマン・ジーン・ブリスコーとの間に娘が誕生します。

二人がアライアと名付けた娘は生まれつき脳に難病を患い、日に何百回も発作を起こすこともありました。

「ほとんど動けず、自力で食べることも飲むことも出来なかった。心拍計と酸素吸入器、それに胃袋に栄養を送るチューブ、彼女はずっと寝たきりだった」。

カーマンはアライアの看病のため仕事を辞めます。

プロデビューを控えたプラントには複数のプロモーターが契約の話を持ち込んでいましたが、アライアが難病で産まれ経済的にも逼迫した状況を知ると、彼らは「プラントはボクシングに集中できない」とオファーを撤回しました。

それでも、あえてプラントと契約を結んだのはアル・ヘイモンでした。

「他のプロモーターが離れていく中で、ヘイモンだけが一貫して契約の姿勢を崩さなかった。私を信じてくれた」と感謝するプラント。

怪人ヘイモンは回想します。

「娘のことは病院に任せてボクシングに集中しろ、とプラントに助言したんだ。そうしたら契約すると。彼はなんて言ったと思う?今は娘と一緒に戦うときだ。娘のそばにいながら戦うことが許されないなら、契約の話はなかったことにしてくれ、と啖呵を切ったんだ」。

「私の目の前で契約書を突き返してきたのはヤツが最初で最後だよ。生まれ持ってのファイターだと確信した。もちろん、私が譲歩して契約したさ」。

2014年、WBCヘビー級王者決定戦バーメイン・スティバーンvsクリス・アレオラの前座でデビュー。この年は5戦全勝4KO。

試合に向けた練習でもプラントはアライアの病室の控え室で寝て、翌朝そこから練習場に向かうことも度々でした。

医師は「絶望的だ」とアライアの生命維持装置を外すことも考えるように促したが、プラントは聞く耳を持ちません。

「アライアが病気なんかに負けるわけがない。あいつは必ず病気に打ち勝つ」。

2015年1月29日。プラントが病院に着くと、アライアは昏睡状態。

プラントは全く動かず、チューブまみれのアライアを見ていると「生まれてからずっとお前に『病気に負けるな』『頑張れ』なんて言葉しかかけてこなかった私は父親として失格だ」と涙がこみ上げてきました。

「何か私に父親として出来ることはないか?」。

アライアが「お父さん、ありがとう」と語りかけた。そして「でも疲れちゃったよ」と。

酸素吸入器で口も顔も覆われているアライアが、昏睡しているアライアが、まだ生後21ヶ月のアライアが言葉を発するわけなどないはずなのに。

プラントはついに医師の助言を受け入れます。

気が狂いそうになるほど不幸な出来事はプラントとカーマンの仲まで引き裂いてしまいました。

デビュ−2年目のその年、プラントは6試合を戦い全勝4KO。

「悲劇を忘れるために戦っているのか?」と聞くインタビュアーには「誰が忘れるものか。アライアはいつだってそばにいる。アライアに負けるなと何度も励ました父親が、そのことを忘れたり負けたりすることは絶対に許されない」と噛み付きました。

2016年1月、ロスアンゼルスのダウンタウン、クラブ・ノキアでの試合。前日計量でジョーダン・ハーディと出会います。

ネバダ大学で陸上競技をしながらジャーナリズムの学士だったハーディは、のちにフォックス・スポーツのレポーターになります。

二人は最初から気が合いました。

「人生の中で素晴らしい出会いが、ボクサーとしても素晴らしい転機になるとは限らない。しかしプラントはハーディと出会ってから戦い方に幅が出るようになった」(ギャンバー)。

プラントの無敗街道は続き、世界王座を見据えるポジションにまで登り詰めます。

ターゲットはIBFのジェームス・デゲイル。

2018年の夏にロッキー・フィールディングとの挑戦者決定戦がセットされますが、プラントが左拳を骨折してキャンセル。

デゲイルがタイトル返上、ウスカテギが王者に昇格します。そして、IBFはプラントを指名挑戦者に選ぶのです。

強打のウスカテギに対して、強豪との対戦がないプラントの実力にはいくつもの疑問符が貼り付けられました。

アメリカの白人が大きな成果を残せていない現状も、プラントの低評価の大きな一因でした。

しかし、プラントはウスカテギから2度のダウンを奪って快勝。番狂わせを起こします。

「4ラウンドに頭が当たって右目上を深く切ってしまった。血が目に入って大きな危機に立たされたけど、アライアの戦いと比べたらどうってことはない。そのラウンドにダウンを追加したんだ」。

試合後、歓喜に沸く控え室でプラントはハーディにプロポーズします。

プラントとハーディにとって最高の瞬間でした。
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世界王者ケイレブと、PBCコメンテーターのジョーダンはボクシング界で最も成功したカップルです。

しかし、またも不幸がプラントを襲いかかります。

3月9日に母親のベスが死亡してしまいます。病院へ搬送中のベスがナイフを振り回して暴れ、射殺されたというのです。

それでもプラントは前を向きます。「自分がコントロールできることに集中するだけだ」。

大勝負が迫っていました。初防衛戦です。それだけではありません。

7月20日、MGMグランドガーデンアリーナ。フォックスがPPVで全米生中継するメガイベントのセミファイナルに抜擢されたのです。

「パッキャオvsサーマンのセミ、とんでもない大舞台だがプレッシャーは?」。そう聞かれたプラントは笑い飛ばします。

「プレッシャー?なんだそれは?生命維持装置を付けて戦う娘を見てきた私がリングの上で萎縮することはありえない。さっさと試合を終わらせてパッキャオの試合をゆっくり見させてもらうさ」。

宣言通りに無敗の挑戦者マイク・リーを3ラウンドで片付けたプラントは「私はニューヨークやロスを拠点に整備されたマッチメイクで世界王者になったんじゃない。いいか?何もないところから、私は世界王者になったんだ」。

「最終目標はスーパーミドル級で史上初の完全統一王者になること。そしてその座を長く守り続けること」。
 
 カネロ・アルバレスも片足を乗せているスーパーミドル級はタレント豊富なクラスですが、プラントはまだ27歳。

パッキャオのセミではなく、カネロやカラム・スミスとメガファイトのメインを飾ることも夢ではありません。

そして、悲劇的な事件がもう2度と起きないという保証もありません。 

それでも、彼は突き進むでしょう。 

「悲劇としか思えない経験をしたが、それで私か何かが奪われたわけではない。アライアもベスは今だって私と一緒にいる。 私はまだまだ強くなる」。