今日は上野で仕事でした。


上野といえば「あしたのジョー」にもたびたび登場する、東京の元玄関口です。

安宿や独立系の飲み屋が軒を連ねるディープな上野は健在でした。


むかーし、昔。

東京の大学に通っていた頃、陸上競技部関係の知り合いに、何をどう血迷ったのか、東京芸藝術大学のヤツがいました。

藝大で陸上競技やるやつなんて、どんな物好きなんだ?

そもそも体育会なんて存在しない大学です。

そいつと、キャンパスで待ち合わせて上野で飲んだことがありました。

私にとって藝大生って、なにか敷居が高いというか、違う世界の住人というか、走って飲んだくれてる自分とは対極にあるような、そんな存在でした。


お昼休みに、あの当時が懐かしくなって上野から恩賜公園を抜けて藝大へ向かいました。

…あれ?こんなに駅から遠い場所だったっけ?

あの頃、時間を気にする必要のない大学生の私にとって、この程度の距離を歩くことなんて何でもないことだったのかもしれません。

ああ、しかし、午後イチの会議に遅刻してしまいました。

それにしても、東京藝大を訪れたのはその一度きり、30年近くも前の話です。

どこまで歩いても、全く懐かしさも思い出も湧いて来ません。

初めて歩く道みたいでした。

が、しかし!

藝大正門まで辿り着くと、はっきり思い出しました。

こじんまりとした赤煉瓦造りの正門と、そこから見える小ぶりだけど年季もののやはり赤煉瓦の二棟の建物は、しっかりと記憶に残っていました。

ああ!ここだ!!!
IMG_1533
こっちの〝赤門〟の方が格好いいかも?
いやー、毎日ひたすら楽しかった学生時代の思い出って、長い時間が経った後に、こうして一人で耽ると感傷的になってしまうのはなぜででしょうか。


それにしても、こっちはくたびれたオッサンになったのに、藝大の赤煉瓦はあの頃のままに、そこにありました。

あの頃でも崩れ落ちそうだったのに、30年後の今もまだ、かなり怪しいながらもそこに建っていました。

すぐ後ろから、私の名前を呼ぶ友人の声が聞こえても不思議じゃない、タイムスリップした気分でした。

それにしても、煉瓦の建物っていいものですね。特に赤煉瓦。

IMG_1535
IMG_1534
「赤レンガ2号館」は1886年、明治44年に建てられたといいますから、クイーンズベリールールが実際のリングに適用された1992年よりも6年も前のことです。

老舗と紹介されるリング誌が創刊される1922年なんて、まだまだ先の〝紀元前〟です。


「オリジナル8」どころか、ヘビー、ライト、ミドルしかない〝原始三階級時代〟です。

ハエ(フライ)もチャボ(バンタム)も羽毛(フェザー)も、ましてや麦わら(ストロー)なんぞ、まだ産まれてもいない、重い(ヘビー)か軽い(ライト)か、その中間(ミドル)か、その三つしかなかった創世記です。

というか、まだ実質ベアナックル時代です!!

そんな歴史的な建物が、まだ現役とは!

考えてみると大学って、煉瓦造りの建物が結構残っています。

学生時代はよその大学の友人も出来て、多くのキャンパスを訪ねました。

陸上競技関係の事務仕事で、お互いの大学や原宿の岸体育館などに行く機会が、少なからずあったのです。

当時は面倒な仕事を押し付けられたくらいにしか考えられませんでしたし、いろんな大学のキャンパスや建物への関心も高くはありませんでした。

それなのに、こうして30年ぶりに東京藝大の赤煉瓦を目の前にすると、とても愛おしく思えてきます。

ボロい煉瓦を積み上げた藝大の小さな門なんて、あの頃は何も感じなかったのに。

年をとると、若い頃は何てこともなかった石ころの記憶でも、宝石の記憶に昇華することがあります。

年を取るのも、悪くはありません。 

感傷に浸るのも束の間、仕事を終えて夜になれば、ご招待いただいた中華会食を丁重にお断りして(よほど気の合う内輪でないと酒席まで付き合うのは御免なさいな人生です)、さあ、上野の酒場に繰り出します。

「これぞまさに!」という飲み屋街へ。
IMG_1549
馬肉のモツ煮込みで有名な「大統領」は広い店の奥まで満席、空いてた串カツ屋で海鮮モノを、キンキンのホッピーと得体の知れないウイスキーで流し込みました。

しかし、この界隈、高齢の方が多い!

私がハナタレ小僧な空間で、一人、リング誌の世界に酔いとともに引き込まれるのは、これ以上にない心地良さでした。