英国ボクシングが沸騰しています。
「ボクシングはハングリースポーツ。それゆえに飢えた後進国から優れた選手が輩出される。また、後進国は民度が低い(まーどこの国でもボクシングファンの民度は低いですが)ので、簡単に世界チャンピオンを名乗ることが出来るプロボクシングの欺瞞に気づかない。逆に先進国ではサッカーに代表される、より洗練され社会的にステイタスのある球技に運動能力に人気と才能が集まり、ボクシングは衰退する」。
こうした何の根拠もない無責任なロジックが、ボクシングの人気と社会的地位が凋落していった20世紀後半の米国でまかり通っていました。
ボクシングと新興国を馬鹿にした言いがかりです。
このバカげた仮説は21世紀になって〝先進国〟の代表格、英国でボクシング人気が空前の盛り上がりを見せたことで、その論拠は完全に崩壊しました。
ボクシングは英国で生まれ、英国貴族がルール整備からビッグファイトの創出まで、プロボクシングの基盤を築き上げました。
しかし、20世紀になってこのスポーツの覇権は米国が奪い取ります。
ボクシングは、米国でスポーツを超えた存在になりました。
「殺らなければ、殺られる」。マニフェスト・ディスティニーの大義を振りかざし、フロンティアを西漸していった殺人鬼集団にとってボクシングほど共感に震えるスポーツなどありえなかったのです。
しかし、それでも英国ボクシングはけして息絶えることなく、母国のスターを生み出し続けてきました。
そしてケル・ブルックら、米国でタイトルを取ったボクサーは特別な賞賛と尊敬を集めることになります。
軽量級のカール・フランプトンから、ヘビー級のアンソニー・ジョシュアまで〝トータル・パッケージ〟でボクシング市場が盛り上がっている英国の現状は、日本はもちろん米国の歴史でもありえなかった市場活性化の理想像です。
英国を源流とする長大で、広くて、深い、このスポーツの大河で、21世紀はトータル・パッケージで隆盛を迎えた特別な時代です。大英帝国のボクシング市場が新世紀を切り開くには、当然ながら圧倒的なスターパワーが必須でした。
今の英国ボクシング隆盛につながる強烈なリードブローを放ったのは、間違いなくリッキー・ハットンでした。

140ポンド、10ストーン、英国人が親近感を覚える階級で覇権を打ち立て、ブルーカラーを絵に描いたような泥臭く、青い戦いぶり。

完璧な試合だった。ノックアウト勝利が最高だったかもしれないが、あのジューにコーナーで座ったまま「もうやめだ」と言わせたんだ。あのジューの心をへし折ったんだ。
これは、ワンパンチKOよりも最高の勝ち方だったと思う。
試合が終わって、差し向けられたマイクを受けて、最初に伝えたのはジューを尊敬しているということ、ジューは素晴らしいチャンピオンだということだ。
そしたら、ジューが私のマイクを取って同じことを言ってくれたんだ。最高だった。大歓声がいつまでも鳴りやまなかった。
リング誌とIBFのタイトルをPFP2位の世界チャンピオンから奪ったんだ。
マンチェスターに凱旋すると、誰もが「私の人生で最高の日になった、ありがとう」と感謝してくれるんだ。みんな自分のことのように喜んでくれるんだ。
私はいつだってそんな彼らと一緒にいる。どんなに成功を収めてもセレブなTVショウに出たりはしない。レッドカーペットを歩いたりもしない。
マンチェスターのパブでくだらないジョークを言って大笑いしながらビールをがぶ飲みしたり、賭けダーツに興じる方が私にとってはずっと大切だからだ。
彼らが私を応援してくれる理由は、母国を代表するスポーツ選手だからではなく、友達だからなんだ。
現在の英国ボクシングは、プロもアマも大きな盛り上がりを見せている。
アマでは五輪メダリストが、プロでも世界王者が数多く生まれている。英国は米国といい勝負をしているのだ。二つの国の人口を考えると、本当に大健闘してる。
私は今、トレーナーをしているが素晴らしい仕事だ。引退するときはいろんなことで悩み、苦しんだけど、全部過去の話だ。
私は二人のヨーロッパ王者と、一人の世界王者を育てることが出来た(世界王者はザナト・ザキヤノフ)。英国では元世界王者がトレーナーとして世界王者を育てることは珍しいから、誇りに思っている。
次の目標は、英国のファンが誇りに思うような試合をやってのける世界王者を育てることかな。
ハットンは2005年のジュー戦が評価されてPFPファイターの仲間入り、人気だけでなく実力も兼ね備えたスーパースターとなりました。
日本でもスター選手の一人ではありましたが、フロイド・メイウェザーとの英米無敗対決で痛烈にKOされ、マニー・パッキャオとの「西洋vs東洋」と銘打たれた決戦ではさらにこっぴどい敗北を突き付けられた、最も重要な2試合になすすべも無く敗れた突貫ファイターとして記憶されています。
パッキャオに沈められたとき、ハットンのキャリアで敗北は史上屈指のPFPキング2人だけ。
ファンからしたら「負けたのはメイウェザーとパッキャオだけ」というのは、もの凄いことだと思えるのですが、当のハットンにとっては受け入れがたい敗北でした。
メイウェザー戦はウェルター級でしたが、ジューを破って手に入れたジュニアウェルター級では無敵、リング誌王者とIBOのタイトルを賭けてチャンピオンとしてリングに上がったパッキャオ戦での惨敗は、マンチェスターのワーキングヒーローの心身に深刻なダメージを刻むことになりました。
アルコールとドラッグの過剰摂取で健康を損ない、廃人寸前の状況にまで自らを追い詰めてしまったハットン…。
「ボクシングはハングリースポーツ。それゆえに飢えた後進国から優れた選手が輩出される。また、後進国は民度が低い(まーどこの国でもボクシングファンの民度は低いですが)ので、簡単に世界チャンピオンを名乗ることが出来るプロボクシングの欺瞞に気づかない。逆に先進国ではサッカーに代表される、より洗練され社会的にステイタスのある球技に運動能力に人気と才能が集まり、ボクシングは衰退する」。
こうした何の根拠もない無責任なロジックが、ボクシングの人気と社会的地位が凋落していった20世紀後半の米国でまかり通っていました。
ボクシングと新興国を馬鹿にした言いがかりです。
このバカげた仮説は21世紀になって〝先進国〟の代表格、英国でボクシング人気が空前の盛り上がりを見せたことで、その論拠は完全に崩壊しました。
ボクシングは英国で生まれ、英国貴族がルール整備からビッグファイトの創出まで、プロボクシングの基盤を築き上げました。
しかし、20世紀になってこのスポーツの覇権は米国が奪い取ります。
ボクシングは、米国でスポーツを超えた存在になりました。
「殺らなければ、殺られる」。マニフェスト・ディスティニーの大義を振りかざし、フロンティアを西漸していった殺人鬼集団にとってボクシングほど共感に震えるスポーツなどありえなかったのです。
しかし、それでも英国ボクシングはけして息絶えることなく、母国のスターを生み出し続けてきました。
そしてケル・ブルックら、米国でタイトルを取ったボクサーは特別な賞賛と尊敬を集めることになります。
軽量級のカール・フランプトンから、ヘビー級のアンソニー・ジョシュアまで〝トータル・パッケージ〟でボクシング市場が盛り上がっている英国の現状は、日本はもちろん米国の歴史でもありえなかった市場活性化の理想像です。
英国を源流とする長大で、広くて、深い、このスポーツの大河で、21世紀はトータル・パッケージで隆盛を迎えた特別な時代です。大英帝国のボクシング市場が新世紀を切り開くには、当然ながら圧倒的なスターパワーが必須でした。
今の英国ボクシング隆盛につながる強烈なリードブローを放ったのは、間違いなくリッキー・ハットンでした。

140ポンド、10ストーン、英国人が親近感を覚える階級で覇権を打ち立て、ブルーカラーを絵に描いたような泥臭く、青い戦いぶり。
日本のボクシングファンは、フィジカルで相手を押し込む武骨なスタイルを〝ハットン相撲〟と揶揄しましたが、真正直に正面突破で快進撃を続ける姿がブルーカラーのサポーターの目にどれほどまぶしく映ったことか、想像に難くありません。
リング誌11月号でゲスト編集長をつとめるハットンが、自らのキャリアを振り返り、英国ボクシングの未来について語っています。
🌸🌸🌸2005年6月4日。あの日は、まさに私の日だった。
アマチュアで成功を収めてプロ転向、英国タイトルに英連邦タイトル、無敗のまま順調に階段を登っていた。
一方で、自分が過保護に育てられていることにも、少しは思い当たっていた。
「ハットンは単純な突貫ファイター。弱い相手を倒しまくる表面的な派手さで人気を集めているだけ」。そんな風に批判する人も多かった。
それでも、トレーナーのビリー・グラハムと私は世界トップを相手にしても十分に戦うことが出来る自信があった。
コスタヤ・ジューは恐るべき世界チャンピオンだった。史上最高のジュニアウェルター級の一人に数えられ、当時のPFPリストでは2位に付けていた。
英国でも「ハットンにはわずかな望みすらもない」と絶望されていたんだ。
そんな試合に勝った気分はどうかって?・・・説明出来っこない、とにかく最高の気分だった。

完璧な試合だった。ノックアウト勝利が最高だったかもしれないが、あのジューにコーナーで座ったまま「もうやめだ」と言わせたんだ。あのジューの心をへし折ったんだ。
これは、ワンパンチKOよりも最高の勝ち方だったと思う。
試合が終わって、差し向けられたマイクを受けて、最初に伝えたのはジューを尊敬しているということ、ジューは素晴らしいチャンピオンだということだ。
そしたら、ジューが私のマイクを取って同じことを言ってくれたんだ。最高だった。大歓声がいつまでも鳴りやまなかった。
リング誌とIBFのタイトルをPFP2位の世界チャンピオンから奪ったんだ。
マンチェスターに凱旋すると、誰もが「私の人生で最高の日になった、ありがとう」と感謝してくれるんだ。みんな自分のことのように喜んでくれるんだ。
私はいつだってそんな彼らと一緒にいる。どんなに成功を収めてもセレブなTVショウに出たりはしない。レッドカーペットを歩いたりもしない。
マンチェスターのパブでくだらないジョークを言って大笑いしながらビールをがぶ飲みしたり、賭けダーツに興じる方が私にとってはずっと大切だからだ。
彼らが私を応援してくれる理由は、母国を代表するスポーツ選手だからではなく、友達だからなんだ。
現在の英国ボクシングは、プロもアマも大きな盛り上がりを見せている。
アマでは五輪メダリストが、プロでも世界王者が数多く生まれている。英国は米国といい勝負をしているのだ。二つの国の人口を考えると、本当に大健闘してる。
私は今、トレーナーをしているが素晴らしい仕事だ。引退するときはいろんなことで悩み、苦しんだけど、全部過去の話だ。
私は二人のヨーロッパ王者と、一人の世界王者を育てることが出来た(世界王者はザナト・ザキヤノフ)。英国では元世界王者がトレーナーとして世界王者を育てることは珍しいから、誇りに思っている。
次の目標は、英国のファンが誇りに思うような試合をやってのける世界王者を育てることかな。
この私のようにね。🌸🌸🌸
ハットンは2005年のジュー戦が評価されてPFPファイターの仲間入り、人気だけでなく実力も兼ね備えたスーパースターとなりました。
日本でもスター選手の一人ではありましたが、フロイド・メイウェザーとの英米無敗対決で痛烈にKOされ、マニー・パッキャオとの「西洋vs東洋」と銘打たれた決戦ではさらにこっぴどい敗北を突き付けられた、最も重要な2試合になすすべも無く敗れた突貫ファイターとして記憶されています。
パッキャオに沈められたとき、ハットンのキャリアで敗北は史上屈指のPFPキング2人だけ。
ファンからしたら「負けたのはメイウェザーとパッキャオだけ」というのは、もの凄いことだと思えるのですが、当のハットンにとっては受け入れがたい敗北でした。
メイウェザー戦はウェルター級でしたが、ジューを破って手に入れたジュニアウェルター級では無敵、リング誌王者とIBOのタイトルを賭けてチャンピオンとしてリングに上がったパッキャオ戦での惨敗は、マンチェスターのワーキングヒーローの心身に深刻なダメージを刻むことになりました。
アルコールとドラッグの過剰摂取で健康を損ない、廃人寸前の状況にまで自らを追い詰めてしまったハットン…。
しかし、母国ではあれだけの人気者です。
パッキャオ戦でも、英国から3000人ものファンがMGMグランドアリーナに詰めかけ、ハットンのオリジナル応援歌を合唱、サッカーのサポーターのように声を枯らして声援を送っていたのが印象的でした。
とにかく、あれほど愛されたハットンです。
パッキャオ戦でも、英国から3000人ものファンがMGMグランドアリーナに詰めかけ、ハットンのオリジナル応援歌を合唱、サッカーのサポーターのように声を枯らして声援を送っていたのが印象的でした。
とにかく、あれほど愛されたハットンです。
どん底に落ちた彼を、その試合を見て勇気をもらったワーキングクラスの多くの友達が、今度は彼を支える番だと、英雄であり友達でもあるハットンを地獄から引き上げてくれたのでしょう。
コメント
コメント一覧 (2)
ハットンは日本人が誰も獲得したことがない年間最高選手賞も獲得した実力者ですが、いかんせん人気が絶大だっただけに過大評価と見られがちでした。
Jr.ウェルター級では強豪をほとんど蹴散らしましたからね。メイパックの引き立て役というのも普通の強豪王者では出来ない役回りです。
フシ穴の眼
が
しました
ハットンを相撲王子と揶揄する風潮が嫌いだった自分には気持ちの良い記事。感動しました。
フシ穴の眼
が
しました