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The Japanese hit a home run to the moon!!!

あの日本人が月まで届くホームランを打ちやがった!!!


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アメリカが驚くようなロケットを作って、アメリカが想像すらできなかった遠い惑星まで飛んでゆくーーー。


月はすでにアメリカが人間を送り込んだ星ですから「想像すらできなかった遠い惑星」ではありません。

また「月まで届く」はアメリカでよく聞く慣用句です。そんなふうに絶賛されたスラッガーを紹介していたら夜が更けてしまいます。

そもそも、人間ごときがチャンドラーのメープル製バットで打った打球が成層圏を突き破って月まで届くわけがありません。


それでも…大谷翔平は何から何まで狂っています。

NPBとMLBでは、パワーが試される打撃で救いようのないレベルの差があります。

日本では外国人並みに打球を飛ばした松井秀喜でも、MLBのシーズンベストは31本。この記録は鈴木誠也によって32本に更新されます。誠也のNPBベストはMLB挑戦前のシーズンで放った38本でしたから、絶望的な隔たりはありません。

しかし、その年の誠也の打率は.317、出塁率.433。今季、32本塁打をマークした誠也の打率はあろうことか.245、出塁率は.326に過ぎませんでした。

日本で最も恐れられた誠也でしたが、アメリカでは普通に勝負されるスラッガーの1人に埋没してしまうのです。

日本でも年々成長して、適応能力の高さを見せつけた誠也ほどの才能でも、多くを犠牲にしなければMLBでは生き残れないのです。

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ところが…。

みんな忘れていますが、日米で「ありえない」とパニックを巻き起こしていた頃の大谷は、実に可愛いユニコーンでした。

日本ではベストシーズンでもたったの22本しかホームランを打てなかった貧弱で中途半端な打者が、怪物ランドに乗り込むと、毎年50本以上打っても誰も驚かなくなっているのです。

二刀流が「絶対、無理」と決めつけられていた最大の根拠は、異なる二つの才能を発揮する難しさだけではなく、規定打席と規定投球回数を同時クリアすることが人間の限界を超えていると考えられていたからです。

日本で出来たことがレベルの高いアメリカでは許されない、それが当たり前なのに、大谷はあろうことか日本で出来なかったことをアメリカで可能にしているのです。

もし、野茂英雄が存在しなかったら…大谷が野茂以来2人目※のメジャーリーガーだったなら…「日本の倍以上ホームランが打てるメジャーってレベルが低いな。村上宗隆なら100本以上打つな」なんていう予想が溢れていたかもしれません。

野茂が切り拓いた道を多くの日本人プレイヤーが挑んでくれたおかげで「村上様が100本打つ」なんて素っ頓狂なことは誰1人口にしません。

野茂はアメリカの輪郭戦を、正確にはっきりと示してくれもしたのです。


私たちは今、まさにあのアメリカが想像すら出来なかったロケットを見ているのかもしれません。


もう一回戦争してアメリカに勝つことでしかこの従属から逃れられないと思っていたことも、もしかしたら違うんじゃないか、と思えるようになりました。

昔むかし、私は死球を受けたとき、それが故意に思えたとき、投手を睨みつけてしまいました。これは、普通のことです。甲子園ではみんな抑制していますが。

今季のパドレス戦。大谷が報復死球を受けて、仲間たちがベンチを飛び出そうとしたのを、大谷本人が「出てくるな」と手の平を挙げて止めました。

NPBでも同じシーンを見たことがあります。そのときは、松井秀喜でした。

この2人は激しいタイトル争いの最中で、全く対照的な選択をしたことがありました。

2002年の松井秀喜は三冠王に向けて、福留孝介と首位打者を争いデッドヒートを繰り広げていました。

2021年の大谷翔平は、ゲレーロJr.とペレスの三つ巴で本塁打王を激しく争っていました。

松井に対して「三冠王を獲るために相手がノーマークのセーフティーバントで打率を稼げ」という意見も数多く聞かれましたが、彼は最後まで自分のバッティングを貫き、首位打者は福留に譲りました。

大谷はプレーオフ進出にわずかな望みが残る中、チームの勝利を優先して送りバントをしました。張本勲は「ホームラン王争いをしてるんだから、バントなんてしてほしくないね」と苦々しく言いましたが、それは、ファン共通の意見でもありました。

松井はバントをせず、大谷はバントをしました。

一見すると対照的ですが、ふたりとも自分のタイトル、目先のタイトルに全く興味を示さなかったという点で見事に一致しています。




きょう、プロとアマチュアが共同で野球振興を進める「全日本野球サミット」が初開催されました。

サミット終了後にソフトバンク球団会長の王貞治氏は報道陣の取材に応じ、ドジャースで歴史的な活躍を続ける大谷翔平投手について「まさかあんな選手が出てくるとは思わなかったよね。米国の中で野球やる人は出てくるんだけど、トップで米国人をひれ伏させるような選手が出てくるとは思ってなかったですよ」と、最大級の賛辞を送りました。

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そして、米国の野球界からは「社会的影響力を少しずつ失っている、No.1スポーツとは呼べなくなった野球から、他のメジャースポーツの歴史的なスーパースターと比較される選手が現代に出現したことを誇りに思う」という喜びの声も聞こえてきます。



「もう一回戦争を起こして勝つ」「アメリカには作れないロケットを作って、アメリカが届かない遠い惑星まで行く」ーーーアメリカをパワーでねじ伏せる。アメリカが想像もできなかった発想で、彼らの度肝を抜くという「絶対無理」は、実はもう別の形でひっくり返され、完遂されているのかもしれません。







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力道山がハワイでプロレスラーになるために厳しい修行をしていた1952年、ボクシングというリアルのリングで日本人のUndisputed champion が誕生しました。

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偉大な白井義男です。 

テレビ視聴率が100%に迫ったというのは、当時のチャンネル数が少なかったせいもありますが、後楽園球場や大阪球場で何度も戦ったという事実からは、白井の人気がどれほどのものだったのかを容易に想像させてくれます。

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白井は地球上で8人しか存在しかない世界チャンピオンの一人だったのです。

しかし、世界的には今以上にヘビー級への人気が集中していた時代。

地球儀の上での白井は極東の島国で熱狂的に愛された国民的英雄でしたが、その枠を突き破る存在ではありませんでした(とはいえ、島国からその枠を突き破るなど不可能です)。



◾️Cace②野茂英雄

アメリカにその名を轟かすには、アメリカで暴れなければならない。

それはゴジラでも、生身の人間でも全く同じことです。

王貞治は756号のホームラン世界記録を打ち立て、日本中を熱狂させましたが、アメリカにその名が轟くことはありませんでした。

王と同じ時期にリングの上で大活躍した具志堅用高も、当時ではウィルフレド・ゴメスの連続防衛記録を追いかけてる〝世界の具志堅〟でした。

しかし、8人しかいなかったはずの世界チャンピオンは26人にまで膨れ上がり、ジュニアフライ級というクラスからも、具志堅がアメリカで興味を持たれることはありませんでした。



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1995年、日本スポーツ界に燦然と輝く偉大な冒険野郎が太平洋を渡りました。

日本プロ野球はNo.1の人気スポーツの座を不動のものにしていましたが、そこに来る外国人選手はMLBで使い物にならなくなったポンコツか、MLBに上がることも出来ないプレイヤーでした。

そんな彼らでも日本では圧倒的なパワーと技量を見せつけ、大暴れするのです。

日本のスポーツファンは、野茂英雄が「怪物ランドに乗り込んだ」ことに戦慄したのです。

そこにあったのは大きな期待と興奮だけではありませんでした。

遡ることちょうど10年、1985年にやはり野茂が太平洋を渡ったときよりも10歳年上、36歳の江夏豊がメジャーリーグに挑戦しました。

江夏がマイナーリーグのサバイバルレースに生き残って行く姿に、僕らは誰もが熱くなりました。

僕らが熱くなったのは、失礼ながら36歳の江夏がメジャーで大活躍する未来にワクワクしたのではありません。

〝元〟日本最高の投手が最後の死に場所にメジャーを選んだ、その凄まじいプライドに感動したからでした。  

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しかし。

まだ26歳の野茂英雄の場合は違いました。

全盛期の日本最高の投手がメジャーに乗り込む…それは、日本のプロ野球ファンが最後通告を聞くことになるかもしれないという、恐怖でもありました。

もしも、あの野茂が通用しなければ、日本人は誰も通用しない…そんな現実は見たくない、だったらむしろ野茂だけは行かないで欲しい。

他の投手がメッタ打ちにあっても「日本には野茂がいるんだぜ」と強がれますが、野茂が全く通用しないなんてことになったら、そんな最後の言い訳すら踏みつぶされてしまうのですから。

古田敦也は「アマチュア時代に野茂を全く打てなかった打者がメジャーで大活躍してる。普通に通用する」と断言してくれても、やはり恐怖は拭えませんでした。

もちろん、野茂は死に場所を探していたのではなく、どこでこの花を咲かせたろか、と腕を撫していのでしょうが。

「絶対に無理」という悲観的なファン、広岡達郎に代表される「通用するわけがない。泣いて帰ってきたときに、日本の球団は野茂を受け入れてはいけない」という多数派の予想は、気持ち良く簡単にひっくり返されました。

野茂は米国でNOMOマニア、日本でトルネード旋風を巻き起こしました。

野茂は、勇気一つで空を飛びきったイカロスでした。

そこには、今では当たり前のNPBでは想像も出来ない高額の契約への驚きや羨望はありませんでした。

それどころか、野茂は近鉄時代の1億4000万円の年俸から、わずか10万ドル(当時のレートで980万円)で太平洋を渡ったのでした。



日本のトップ、特に投手はMLBでも十分通用する。

野茂が切り拓いた道を、後輩たちが高額契約で迎えられるーーー現代まで続く億万長者街道を、野茂はたったの10万ドルで切り開いたのでした。



〝野茂〟から一年前の1994年にはJリーグのスーパースター三浦知良が、当時世界最高峰のリーグだったセリエAに移籍、サッカーでも日本人が世界の最高峰を意識するようになりました。

野茂が怪物たちと互角以上に戦う中で、1998年には中田英寿もセリエAのペルージャへ移籍、開幕戦で2ゴールを蹴り込み、名門ユベントスのゴールネットと日本列島を揺るがしました。

「カズでも遠い」と諦めかけた世界を、中田ヒデがグッと引き寄せてくれた瞬間でした。

そして、ローマへの移籍を果たしたヒデが、地元の英雄トッティのオーバーラップの中で外国人選手の憂き目を味わうことになります。

それでも、野茂と中田は、日本人が世界のメジャースポーツで通用することを証明してくれました。


2001年にはイチローがMLBで首位打者とMVPを獲り、遂にアメリカに勝ってみせました。

しかし「象ではない蠅だ」とヒガまれたように、イチローはパワーの国をパワーでねじ伏せたわけではありませんでした。

ワールドシリーズには進出できず、同時代にバリー・ボンズがいたイチローは精密で丈夫な〝トランジスタラジオ〟でした。

松井秀喜はニューヨーク・ヤンキースという米国スポーツ界でも飛び抜けたビッグクラブをワールド・チャンピオンに導く大活躍を見せましたが、レギュラーシーズンで本塁打王を獲ったことは一度もなく、それどころかその争いに加わったことすらありませんでした。

それでも!

アメリカのナショナル・パスタイム(国民的娯楽)、そして日本人が最も愛するスポーツ、野球でイチローはリーディングヒッターに2度も輝き、松井は最高峰で最も特別なチームで最も高い場所に進出、MVPに選ばれたのです。



パワーの国をパワーでねじ伏せる。怪物ランドの怪物たちの度肝を抜く…それは「アメリカのメジャーでリアルに通用する」という宿願を遥かに超越した夢想でした。

アメリカが驚くようなロケットを作って、アメリカが想像すらできなかった遠い惑星まで飛んでゆくーーーそんなことは日本人だけでなく、地球上の誰にも不可能に思えました。



ーーーそして、ものすごく勝手な言い回しになってしまいますが、奥ゆかしく謙虚な私たち日本人はそこまで想像もしていなかったというか、もっと失礼な表現をすると、Beat USA!!!にそんな途轍もない次元まで求めていませんでした。








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仕事関係の大先輩と久しぶりに会って、18時過ぎから酒を飲み、あっという間の4時間。

仕事の話はほどほどに、昔むかしの銀座やら有楽町、新宿、渋谷、池袋がどんな町だったかを教えてくれる楽しいお酒でした。

こういった貴重な大先輩と飲むときに昔の渋谷の話が出て来たら「リキパレスって見たことありますか?」と聞くことがあります。

ところが、この夜は大先輩の方からリキパレスの話をしてくれました。

そんな齢80を超える方のお話に触発されて、新シリーズ、Beat USA!!!リキパレスからどんな星が見えましたか…?の始まり、はじまり。

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「日本人は戦争に負けて、自分よりも大きな進駐軍の米兵を見てビクビクしている」。

ーーー映画「力道山」の中で主人公が語る台詞です。

ダグラス・マッカーサーと昭和天皇が並んだ全身のツーショットに、日本人はアメリカに確かに負けたのだと痛切に思い知らされました。



それでも。

戦前から野球が盛んに行われるなど、米国への強烈な憧れを募らせていたのが日本人でした。

そんなアメリカに戦争を仕掛けて、本土まで蹂躙される無惨な敗戦。

敗戦後80年が経っても、アメリカとはいまだに隷属的な関係を強いられる屈辱。

この仕組みをひっくり返す方法は、ただ一つだけ。

「敗戦後」を「戦勝後」にするしかありません。

もう一回戦争して、今度は勝って立場を逆転させるのですーーーもちろん、そんなことなど出来るわけもありませんし、絶対にやってはいけません。


やはり、Beat USA!!!は永遠に叶わぬ夢なのでしょうか?



打倒アメリカ。

誰がアメリカを倒すのか?

日本がアメリカの国力を超える日は、永遠に訪れることはないでしょう。

アメリカに勝つ。それはトランジスタラジオやウォークマンで一泡吹かすだけでは全く物足りません。

日本人が夢見たのは、アメリカには作ることが出来ない巨大なロケットを作って、アメリカでは行けない遠い惑星まで飛んでゆく、奴らが見上げる光景を見せつけることでのみ完結する勝利です。

そんなの、絶対、無理。

しかし、もし、それが出来るとしたら、スポーツの世界でしょうか。

戦争にも例えられることもある、その世界で… アメリカには作ることが出来ない巨大なロケットを作って、アメリカでは行けない遠い惑星まで飛んでゆく、奴らが見上げる光景を見せつける…。



そんな「絶対、無理」に挑んだ大馬鹿者たちのお話です。

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◾️Cace①力道山

当時の日本では馴染みのなかったプロレスリングというアメリカの格闘技を日本に持ち込み、いきなり〝巨大ロケット〟の夢を見せてくれたのが、力道山でした。

もちろん…それはプロレスです。

力道山はアメリカ人の大男を空手チョップでなぎ倒しましたが、それはあくまでプロレスというショーの中での出来事でした。

そうはいっても、NHKまでもがリアルファイトとしてプロレスを中継していた頃、街頭テレビに群がった数えきれない人々の目には、力道山が打ち上げた本物の〝巨大ロケット〟が確かに見えていたはずです。


さらに、木村政彦が後世、再評価されたことも、力道山という格闘家が持つ深い奥行きを見せてくれています。

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リング誌がプロレスも扱っていた頃。力道山が私の愛したこの雑誌に扱われていたとすると、白井義男以来2人目。この画像は映画「力道山」からですが、リング誌に力道山が取り上げられたのかどうかは、不明です。



その出自も含めて、虚構の世界に躍動した力道山は、リアルの格闘技の代表であるボクシングで世界ヘビー級チャンピオンを育てる夢にまで手を伸ばしたのでした。


ーーーリアルを突き詰めた東京オリンピックが、力道山の死んだ翌年に開催されたのは、鮮やかな補色が交錯した美しいバトンリレーにも思えてきます。



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プロレスほど正体不明の競技は存在しません。

スポーツではない、だからといってエンターテイメントと呼ぶには深すぎる。

そう、プロレスはスポーツではありません。

それなのに、彼はスポーツ・イラストレイテッド誌の表紙を飾りました。

もちろん、スポーツマンとしてではありません。

プロレスラーとして、です。

それにしても、ここまでド派手であからさまなのに正体不明って、不思議でなりません。

しかし、その謎の答えはハルク・ホーガンが実在する人間だからです。

…いや?本当に実在してたのかな?

私はこのニュースもまだ半分は、信じていません。

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このゴールデンウィーク、札幌から大阪、仙台と忙しく動き回り、そんな間隙を縫ってロードショウを4本見て、ボクシングの試合を3興行見て、海外の古い友人たちとオンライン飲み会…ほとんど寝てない状態で、今日は朝からラスベガスの試合に、午後からの高校生の野球の練習試合。

大学生みたいな無茶苦茶な11日間も明日で終わり。

さて、神奈川の春季大会は明日が決勝ですが、すでに敗退した我がコーチの高校と、なかなかの強豪校の試合。

いやあ、荒れた、荒れた。眠気吹っ飛ばしてくれたわ。

海外の友人とのオンライン飲み会、プロレス好きのおっちゃんと、UFC大好きのその奥さん(アフリカン−アメリカン)との話が盛り上がって、格闘技に全く関心のない参加者にも非常に面白がってもらえました。

これが、ボクシングの話だと、知らない人まで巻き込めないんでしょうが、知識ゼロだった人でも「新日本プロレス」「UWF」「グレイシー柔術」「PRIDE」「UFC」などの〝記号〟は簡単な説明で理解できて興味を膨らませることができるんです。


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「新日本プロレス」でアントニオ猪木が目指したのは、異種格闘技戦に代表されるように「プロレスラーはリアルに強い」ということ。

その流れを受け継いだのが「UWF(正確には第二次UWF)」でした。

そこにあるのは、一貫して「プロレス」でした。

そして、プロレスの対極にあるはずの「グレイシー柔術」が、プロレスの前に姿を現します。

そもそも、プロレスとリアルファイトは、サーカスとオリンピックと同じくらい全く別物です。

ガチ童貞を頑なに貫いた前田日明は、マイク・タイソンやヒクソン・グレイシーに対戦オファーを出しましたが、それはプロレス、つまりあらかじめ勝敗が決まっているショーへの参加でした。

タイソンとは報酬だけでなく、彼の犯罪歴から日本でビジネスを行うことが難しく、ヒクソンには「フェイクは受けない」と断られてしまいます。

高田延彦は前田と違って勇気があったのか?おそらく違います。「(引退の花道に)タイソンかヒクソンと戦いたい」と語った言葉を、プロレスにロマンを見た周囲が勝手にリアルファイトで進めてしまったのです。

そして「PRIDE」という実験にインスパイアされる形で、米国で「UFC」がスポーツに昇華してみせました。

格闘技の興味のない人(興味のある人でも)にはプロレスを「八百長だから」と蔑視する人がいます。

世間的にもプロレスは、ボクシングやもしかしたらキックボクシングよりも格下と見られています。

プロレスとは何なのか?

ものすごいテーマです。こんなに深い問いが、他にあるでしょうか?

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4月はブル中野の名誉の殿堂入りに続いて、タイガー・ジェット・シンが春の叙勲で旭日双光章を受章。

今月は、世界のリングを席巻した日本人と、日本のリングで大暴れした外国人、二人の極悪ヒールの受賞月間となりました。

人が決めたものに価値はない。ましてや、国家が決めた勲章なんて…以前、勲章をもらった大先輩にもこんな憎まれ口を叩いた私ですが、タイガー・ジェット・シンなら話は別です。






中綬章等勲章伝達式は、5月10日(金)  午前11時15分からホテルニューオータニ東京ザ・メイン宴会場「鶴の間」で開催。

プロレス界は、インドの狂虎をカナダから旅費・宿泊費付きで招聘しなければなりません。

そして、タイガー・ジェット・シンは、サーベルを咥えて鶴の間に乱入しなければなりません。




こんなことを書くとシラけさせてしまうかもしれませんが、件の大先輩は「お前のいう通りで、これ質屋に流しても2万円にもならんねんで」ということでした。

とはいえ、何を研究してるのかわけわからん先輩やらとは違い、タイガー・ジェット・シンなら話は別です。

タイガー・ジェット・シン、おめでとうございます!!!

ニューオータニなら新宿伊勢丹もすぐ近く、思い出の場所もゆっくり散策してくださいませ。
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青春の条件とは何でしょうか?

まず、年齢ではありません。

100歳の人間にも青春は訪れます。

ただし、青春には心の若さ、無鉄砲さが必要かもしれません。

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この優しそうなタレ目のお姉さんが、極悪非道のブル中野だと誰が気づけるでしょうか?


ブル中野がアメリカ大陸をサーキットしたのは、今からちょうど30年前の1994年、26歳のとき。

20代後半にアメリカ大陸をサーキット…。そうです、ちょうど今の大谷翔平と同じです。

しかし、あらゆるプロスポーツの中で歴史的な高額契約を結び、日本ではほぼ神のように扱われる大谷に対して、ブル中野は「スポーツ」と呼ぶと眉をしかめる人もいるプロレス、それも女子プロレスの選手でした。

大谷の自家用車はスポンサーの欧州の高級車、アメリカ大陸を巡るのはチームのチャーター機、あるいはプライベートジェット。ユニコーンは、自分の口座から24億円が消えていても、事件に発展するまで知りませんでした。英語を話すことがほとんどできませんでしたが、チームが雇用した専属通訳が常に横にいてくれます。

ブル中野の移動は普通の旅客機のエコノミー、空港からはレンタカーで移動。より安い航空券、より安いレンタカー屋を物色しながらのサーカスライフ。しかも、英語は全く話せない状況での渡米でした。毎日のように、口座残高とにらめっこしながらのやりくりだったでしょう。そんな苦労を携帯電話なしでやってのけたのです。

月に28試合をサーカスしたというブル。競技以外でも、明日の会場までどうやって乗り繋いで行くか、どこのホテルに泊まるかで頭の中がいっぱいで「通訳がいてくれたらいいな」なんて発想すらなかったと思います。

高尚な野球の王様・大谷翔平と、下品なエンタメの女子プロレス、前者の方が後者よりも報酬も人々からの尊敬も巨大になるのは当然です。

大谷は、高校時代から彼に惚れ込んでいたLAドジャースから〝三顧の礼〟をもって迎えられました。

しかし、ブルもまた、日本でのパフォーマンスが認められて米国に呼ばれました。

もちろん、待遇と報酬は天地の差ですが、卓越したパフォーマンスで米国のファンを耽溺させたことは全く同じです。

そうです、大谷もブルもアメリカに大きな需要があったのです。

過酷な移動の先では二人を熱狂的なファンが待ってくれているのです。



♬ルイジアナ! テネシー!! シカゴ!!!

はるか ロスアンゼルスまで!!!!!

きつい旅だぜ お前にわかるかい…




山田さんもカツしていたように「あれほどのレガシーを築いたプロレスラーにしては名誉の殿堂入りが遅すぎる」という意見は日本だけでなく、米国とメキシコのメディア、ファンでも同じ論調です。

そのことについて、殿堂入りの演台でブルは頬を膨らませながらI've waiting for a lo〜ng time(長いこと待たせやがって)と茶目っ気たっぷりに文句をつけました。

あのスピーチは、カネやくだらない世間の評価なんかに囚われていては絶対に歌うことが出来ない、まさに青春讃歌でした。

ブル中野にとって、30年前の過酷な旅のゴールは、フィラデルフィアのウェルズファーゴセンターの殿堂入り式典だったのかもしれません。

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男の生き方が無限にあるように、女の生き方も無限にあります。

いや、同じ無限でも男よりも女の方が遥かに深奥があるように思えてしまうのは、私だけでしょうか?

女が見せる日本刀のように鋭い思い切りの良さと、忖度無縁の外連味の無さ。女の振る舞いにはときとして、男が晒す逡巡や怯懦がほんのひとカケラも認められないことがあります。

青木恵子もまた、そんな切れ味抜群の日本刀のように生きてきました。青木恵子。旧姓、中野恵子といってもピンとくる人は少数でしょう。

実は青木恵子には、中野恵子の他に三つ目の名前があります。

おそらく、そちらの名前なら誰もが聞いたことがあるはずです。


ブル中野。


世界の女子プロレス史にその名を刻む、威風堂々のレジェンドです。


彼女が引退を決めたのは米国での試合中に左膝の靱帯を断裂、大技に欠かせないコーナーポストに登る動作がわずかに遅れてしまうようになったからでした。

ほんのわずかでしたが「その一拍のせいで、よく見ているお客さんは沸かない」と、稀代のヒールは失意のまま引退試合も行わず、1997年に三本ロープのリングをひっそりと去りました。

彼女のプロ魂を見て、ハッとしたことがあったのは、これは男では出来ないと、男の私が観念したからかもしれません。

「一晩で焼酎の瓶を3本は空けた」「アナボリックステロイドを使用して身体を大きくした」…プロレスラーの鏡です。もちろん、重度の肝硬変に悶え、副作用に苦しむ姿など微塵も見せずに狂気の悪役を演じ切りました。

異論が多いかもしれませんが、私はプロレスラーは大酒を飲み、筋肉増強剤を、使うべきだと考えます。常人が驚くほど酒をあおり、不自然なまでに肉体を膨らませなければならないのです。

彼女は、プロレスラーとしてやるべきことを全て完遂して見せたのです。

ブル中野がHall of Famerになるのは必然でした。

極悪ヒールの顔面ペイントを洗い流したとき、彼女は一人の美しい女性に戻ります。これほどの必然も、またありえません。



ノーベル賞にアカデミー賞、グラミー賞…授賞式と名の付くものは世の中に掃いて捨てるほど溢れています。

そして、そこでのスピーチはどれも通り一辺倒で、えてしてつまらないものになりがちです。

さて。日本時間の4月6日、ペンシルバニア州フィラデルフィアのウェルズファーゴセンターで開催されたWWEの殿堂入り式典。

顔面ペイントを施した青木恵子、いやさブル中野が壇上に上がると浴びせられたのは、現役時代のブーイングではなく喝采でした。

稀代の悪役、ブル中野が一度も下を向くことなく英語でのスピーチを終えたとき、喝采は最高潮に達しました。

ヒールの仮面を脱いでブル中野は青木恵子に戻りました。

現役さながらに威嚇のペイントで顔面を彩って見せても、もう誰も怖がりません。それどころか、会場はその可憐さに息をのんでいました。


「お久しぶりです。この賞を受け取れることを本当に嬉しく思います。ずっとずっと待っていました。ここWWEで1994年、最高の経験をしました。30年前です。私は26歳でした。

WWEでの生活は本当に大変で、プロレス以外何も知らなかった私は辛い経験をしました。1カ月で28試合、本当にタフな期間を過ごしました。

何よりも大変だったのは、会場への移動です。なぜなら、私は英語が喋れませんでした。レンタカーをして、そして飛行機を乗り継ぎ会場に行く、ホテルも自分で探して携帯もない時代です。

携帯電話なんてありません。私たちは公衆電話を探しました。とてもとても大変な日々でしたが、たくさんの友人に助けられました。みなさんの手助けもあり、遠征を続けることができました。

とても楽しかったのは日々の試合、プロレスは世界共通です。英語が喋れなくとも、同じ空間で試合をしてリングに入って過ごす、そこで私は生きていると感じました。

それは夢のようでした。私の魂を込めて、心をかけて闘いました。ここで感謝したいと思います…もちろんメドューサに。

一緒に闘ってくださったこと、心の底から感謝しています。本当にどうもありがとう。

そして、ルナ・バション、が私をサポートしてくれました。今もたくさんのスーパースターと試合ができたことを感謝しています。WWE、この素晴らしい機会を与えてくださってありがとうございました。そのチャンスを無駄にしないよう努力しました。

何よりもWWEユニバースのみなさんありがとう。ブル中野を受け入れてくれて、私の心を貫きました。

私たちは永遠にプロレスを通してつながっています。もし何か生まれ変わるようなことがあれば、またブル中野として生まれ変わりたいです。そして、WWEのリングに戻ってきます。みなさんとまた、お目にかかれるのを楽しみにしています。この賞は私の宝物です。どうもありがとうございます」


ジョークも交えた柔らかいニュアンスが日本語にしてしまうとしんみりしてなかなか伝わりませんが、実際のスピーチを聞いてみて下さい。⬇︎⬇︎⬇︎


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https://www.youtube.com/watch?v=I31PiIzQpg8&t=51s



"If there is such a thing as being reborn, I want to be professional wrestler Bull Nakano again,"

WWE名誉の殿堂入り、おめでとうございます。


https://www.espn.com/wwe/story/_/id/39662389/bull-nakano-inducted-wwe-hall-fame
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モハメド・アリが、WWEの殿堂入りを果たしました。

アントニオ猪木戦が評価されたものです。

ボクシングを象徴するグレートが、プロレス殿堂にも入神する、さすがです。



しかし、フロイド・メイウェザーもWWE殿堂入りしそうです…。

というか、アリよりも先に殿堂入りしてたりして…。


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今回はちょっと番外編。

20分ほどジョギング?すると、靭帯を痛めていた膝に違和感が…。

ほぼ完治と言ってたくせに、ヤブ医者がーっ!

歩く分にはなんともないので、とろとろ歩いています。

こんなんでフルマラソン走れるのかな?

走ってる途中に満開の河津桜を発見。

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なんでこれがプロレス話なのか?

ピンと来た人は浅いプロレスファンの私と同じか、より深いプロレスファンです。

河津桜。

そこから連想するのは「河津落とし」以外にあり得ません!

ジャイアント馬場の必殺?技です。

しかし、6時開始ゴングのAmazonプライムビデオに、こんなんで間に合うのだろうか?

かなり遠くまで来てしまった…スマホの小さい画面で見るのは避けたいが…。 
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