Clang,clang,clang
ハンマーがゴングを叩く、その鋭い反響音は、いつだって私の全身を震わせた。
タイムキーパーが知らせる、ラウンドの開始と終了を知らせるこの金属音ほど私にとって聞き慣れた、親近感のある音は他にない。
しかし、あの年の12月の夜に聴いた第1ラウンド開始を告げる、その音は、いつもとは全く違って聞こえた。いつもよりも甲高く大きく、ゴングに感情などあるはずがないのに、あの夜はヤツが怒っているようにさえ聞こえたのだ。
私はすでに全階級を通じて世界最高のボクサーと評価されていたが、この試合は世界中の誰もが「私が負ける」と決めつけていた。ボクシングの世界では、小さな男は大きな男には勝てないことになっていたからだ。
まっすぐ、リングの中央に進んだ。いつものように前に横に、後ろに、つま先で小さなステップを刻んでキャンバスの感触と自分の感覚を確認した。
自分の体が思い通りに動いてくれる、相手のパンチが全部見える、相手がどのパンチを打ち込もうとしているのか、一瞬前にわかる、そんな本当に小さな予備動作までが見えていた。
ゴングよりはるかにボリュームのでかい大歓声が四方八方から沸き上がって、この小さなリングに雪崩うっているはずなのに、私にはもう何も聞こえなかった。
音のない狭い世界に、私とオスカー・デラホーヤだけが、これからバレエを踊るように向き合って、お互いの距離を確かめていた。
〜マニー・パッキャオ「PACMAN 希望と努力と信念の物語」第1章 バナナツリーより〜
**************

1978年12月17日、エマニュエル・ダピドラン・パッキャオは、フィリピンのミンダナオ島ブキドノン州キバウェで生まれました。
森の中にバナナの皮で作った家が、家族の〝家〟でした。何日も食事にありつけないこともあるほどの、極貧でした。
「壁や屋根のある家に住むのってどんなに良い気分だろう?」。
バナナの皮の屋根の隙間から見える星空を見上げながら、「屋根や壁があったら夜に雨が降っても気づかないから毎日朝まで眠れるな」、そんなことを兄弟で話していました。
〝家〟の近くには病院も薬局もありませんでした。大きな病気を患ってしまうと、死ぬしかありませんでした。
Even if there were medical service,my family didn't have the money to afford such luxury. もし病院があったとしても、私たち家族には薬を買ったり、医療を受けたりする、そんな贅沢をするお金なんてなかった。
一家は、マニーが2歳の時に、さらに街から離れた山間部に移り住みます。サランガニ州タンゴでの生活は、さらに過酷なものでした。
「両親はジャングルの奥に行けば、自然の食べ物にありつけると思ったのかもしれない」とパッキャオは笑って回想していますが、空腹に耐える厳しい毎日は変わりませんでした。
5歳になる頃には、空腹で力が入らない体でも、遠くの井戸から重い水瓶を家まで運び、家族を助けるようになります。
「水瓶は信じられないくらいに重いし、足を取られるジャングルのぬかるみは最悪だったけど、ジャングルには無限の種類の鳥がいて、すごく美しい声で鳴くんだ。それを聞くのは楽しかったな」
「今ではゴングの音の方が聞き慣れてしまったけど…どっちが好きかと聞かれたら?。答えるのはやめよう。その答えはどちらにしても、きっと、あなたをガッカリさせてしまうから」。
かの国で小さな子供が働くのは特別なことではありませんが、マニーが自分の体と同じくらいの大きな水瓶を運ぶ姿は「あんなに細くて小さいのにどうしてあんなに力があるんだ」とそれを見た大人たちを驚愕させました。
街に出ると、最も貧しいマニーの兄妹は陰湿なイジメに遭いました。年上で体格も栄養状態も良い子供は、みすぼらしいマニーの兄妹を見つけると残酷な目で追いかけ回し、殴ったり蹴ったり、つばを吐きかけたりしていじめました。
しかし、そんなことは長くは続きませんでした。兄妹をいじめる年長の子供たちは、マニーが駆けつけると彼らの方が逃げるようになり、そのうち誰も兄妹に手を出すことは無くなりました。
小さなマニーが、何人もの大きな子供たちを追い払う。
ある意味、異様な光景です。いったい、あの小さな子供の何を、大きないじめっ子たちが恐れているのか。
きっと、マニーに喧嘩で負かされたということでしょう。それでも、卑怯ないじめっ子がよってかたって小さなマニーをやっつけることも出来たはずなのに。棍棒や鉄パイプでも持っていけば、あんな小さなマニーなんて、叩きのめすことは簡単なはずなのに。
いや、もしかしたら、よってたかっても、棍棒を打ちふるっても……。
栄養失調で衰弱した小さなマニーが、何人もの大きくて卑劣な年上のいじめっ子を相手にして、喧嘩で勝つなんてことがあるのでしょうか?
フィリピンの辺境で起きた、子供達のささいなイジメです。当時の動画や画像など証拠があるわけありません。
マニーの兄弟や、いじめっ子が通っていた学校の教師、その現場を目撃した人たち。複数の証人がいるだけです。
「マニーが殴ると、どんなに大きな相手でも吹っ飛んだんだ。大げさではなく、本当に宙を吹っ飛んだんだ。それで全ては終わりだ。周りを取り囲んだ誰もが、次は自分が吹っ飛ばされると思ったら、あいつらの行動はたった一つだけ、逃げるだけだ。相手が百人だろうが千人だろうが、一緒だったろう」。マニーの後を追ってボクサーになったボビーが振り返ります。
マニー・パッキャオの幼少期は、喧嘩無敵の子供が、草拳闘のリングに上がって、誰が聞いても「そんなの絶対に嘘だ」というような伝説に散りばめられています。
しかし、成長してからも「そんなの絶対に嘘だ」という大番狂わせを何度も起こしていくのですから、幼少期の伝説も、きっと、きっと本当のことなのです。
もう④だというのに、まだマニーは草拳闘も始めていません、ゼネラル・サントスにも行っていません。7月のマティセ戦までには「マニラの建設現場で働くマニー」までは漕ぎ着けたいのですが…気長にお付き合いくださいませ。
ハンマーがゴングを叩く、その鋭い反響音は、いつだって私の全身を震わせた。
タイムキーパーが知らせる、ラウンドの開始と終了を知らせるこの金属音ほど私にとって聞き慣れた、親近感のある音は他にない。
しかし、あの年の12月の夜に聴いた第1ラウンド開始を告げる、その音は、いつもとは全く違って聞こえた。いつもよりも甲高く大きく、ゴングに感情などあるはずがないのに、あの夜はヤツが怒っているようにさえ聞こえたのだ。
私はすでに全階級を通じて世界最高のボクサーと評価されていたが、この試合は世界中の誰もが「私が負ける」と決めつけていた。ボクシングの世界では、小さな男は大きな男には勝てないことになっていたからだ。
まっすぐ、リングの中央に進んだ。いつものように前に横に、後ろに、つま先で小さなステップを刻んでキャンバスの感触と自分の感覚を確認した。
自分の体が思い通りに動いてくれる、相手のパンチが全部見える、相手がどのパンチを打ち込もうとしているのか、一瞬前にわかる、そんな本当に小さな予備動作までが見えていた。
ゴングよりはるかにボリュームのでかい大歓声が四方八方から沸き上がって、この小さなリングに雪崩うっているはずなのに、私にはもう何も聞こえなかった。
音のない狭い世界に、私とオスカー・デラホーヤだけが、これからバレエを踊るように向き合って、お互いの距離を確かめていた。
〜マニー・パッキャオ「PACMAN 希望と努力と信念の物語」第1章 バナナツリーより〜
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1978年12月17日、エマニュエル・ダピドラン・パッキャオは、フィリピンのミンダナオ島ブキドノン州キバウェで生まれました。
森の中にバナナの皮で作った家が、家族の〝家〟でした。何日も食事にありつけないこともあるほどの、極貧でした。
「壁や屋根のある家に住むのってどんなに良い気分だろう?」。
バナナの皮の屋根の隙間から見える星空を見上げながら、「屋根や壁があったら夜に雨が降っても気づかないから毎日朝まで眠れるな」、そんなことを兄弟で話していました。
〝家〟の近くには病院も薬局もありませんでした。大きな病気を患ってしまうと、死ぬしかありませんでした。
Even if there were medical service,my family didn't have the money to afford such luxury. もし病院があったとしても、私たち家族には薬を買ったり、医療を受けたりする、そんな贅沢をするお金なんてなかった。
一家は、マニーが2歳の時に、さらに街から離れた山間部に移り住みます。サランガニ州タンゴでの生活は、さらに過酷なものでした。
「両親はジャングルの奥に行けば、自然の食べ物にありつけると思ったのかもしれない」とパッキャオは笑って回想していますが、空腹に耐える厳しい毎日は変わりませんでした。
5歳になる頃には、空腹で力が入らない体でも、遠くの井戸から重い水瓶を家まで運び、家族を助けるようになります。
「水瓶は信じられないくらいに重いし、足を取られるジャングルのぬかるみは最悪だったけど、ジャングルには無限の種類の鳥がいて、すごく美しい声で鳴くんだ。それを聞くのは楽しかったな」
「今ではゴングの音の方が聞き慣れてしまったけど…どっちが好きかと聞かれたら?。答えるのはやめよう。その答えはどちらにしても、きっと、あなたをガッカリさせてしまうから」。
かの国で小さな子供が働くのは特別なことではありませんが、マニーが自分の体と同じくらいの大きな水瓶を運ぶ姿は「あんなに細くて小さいのにどうしてあんなに力があるんだ」とそれを見た大人たちを驚愕させました。
街に出ると、最も貧しいマニーの兄妹は陰湿なイジメに遭いました。年上で体格も栄養状態も良い子供は、みすぼらしいマニーの兄妹を見つけると残酷な目で追いかけ回し、殴ったり蹴ったり、つばを吐きかけたりしていじめました。
しかし、そんなことは長くは続きませんでした。兄妹をいじめる年長の子供たちは、マニーが駆けつけると彼らの方が逃げるようになり、そのうち誰も兄妹に手を出すことは無くなりました。
小さなマニーが、何人もの大きな子供たちを追い払う。
ある意味、異様な光景です。いったい、あの小さな子供の何を、大きないじめっ子たちが恐れているのか。
きっと、マニーに喧嘩で負かされたということでしょう。それでも、卑怯ないじめっ子がよってかたって小さなマニーをやっつけることも出来たはずなのに。棍棒や鉄パイプでも持っていけば、あんな小さなマニーなんて、叩きのめすことは簡単なはずなのに。
いや、もしかしたら、よってたかっても、棍棒を打ちふるっても……。
栄養失調で衰弱した小さなマニーが、何人もの大きくて卑劣な年上のいじめっ子を相手にして、喧嘩で勝つなんてことがあるのでしょうか?
フィリピンの辺境で起きた、子供達のささいなイジメです。当時の動画や画像など証拠があるわけありません。
マニーの兄弟や、いじめっ子が通っていた学校の教師、その現場を目撃した人たち。複数の証人がいるだけです。
「マニーが殴ると、どんなに大きな相手でも吹っ飛んだんだ。大げさではなく、本当に宙を吹っ飛んだんだ。それで全ては終わりだ。周りを取り囲んだ誰もが、次は自分が吹っ飛ばされると思ったら、あいつらの行動はたった一つだけ、逃げるだけだ。相手が百人だろうが千人だろうが、一緒だったろう」。マニーの後を追ってボクサーになったボビーが振り返ります。
マニー・パッキャオの幼少期は、喧嘩無敵の子供が、草拳闘のリングに上がって、誰が聞いても「そんなの絶対に嘘だ」というような伝説に散りばめられています。
しかし、成長してからも「そんなの絶対に嘘だ」という大番狂わせを何度も起こしていくのですから、幼少期の伝説も、きっと、きっと本当のことなのです。
もう④だというのに、まだマニーは草拳闘も始めていません、ゼネラル・サントスにも行っていません。7月のマティセ戦までには「マニラの建設現場で働くマニー」までは漕ぎ着けたいのですが…気長にお付き合いくださいませ。
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