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レギュラーに定着した1968年頃には、その頑健な肉体と当時の背番号から「鉄人28号」と呼ばれていたそうですが、物心も付いていない私にはその記憶はありません。私が彼を知った時は、すでに偉大なレジェンドでした。


死球にもいろいろあります。

手元が狂った死球。内角を狙って外れた死球。当たっても仕方がないと投げる死球。最初からぶつけるつもりで投げる死球…。

手元が狂ったりコントロールし切れないボールと、意図があって体に向かってくるボール。この二つのボールの違いは、多くの場合、打者にははっきりとわかります。

後者の場合、悪意のある死球を受けた打者のほとんどは、怒りを隠すことは出来ません。

松井秀喜は「そりゃ心の中では腹も立ちますよ。でも、その感情を表に出していいことは何もない」と怒りを完全に隠すことの出来る非常に優れたアスリートでした。

しかし、たとえ手元が狂ったボールでも、石のように固い硬球が体にぶつけられる痛みは尋常ではありません。打者にとっては「コントロール出来ないボールを投げるな!」という怒りが湧き上がります。

突然の死球で引き起こされる怒りの感情をもコントロール出来る松井ら一部の選手は、素晴らしい教育と訓練を受けたアスリートでした。



20世紀のプロ野球。メジャーリーグは遠い別世界のおとぎ話の時代、読売ジャイアンツだけに人気が偏向していた仄暗い時代です。

20世紀、昭和のプロ野球に松井秀喜を凌駕する、おそるべき打者が存在しました。

死球を受けて倒されても、どんなときでもすっくと立ち上がり、ユニフォームについた砂をパッパッと払うと、自分に硬球をぶつけた投手に「気にするな」と軽く手を挙げて一塁に走る男。

そのあまりに自然な所作からは、教育と訓練によって感情をコントロールしているようには到底見えませんでした。どう見ても、心の底から、たった今自分に硬球をぶつけた投手を許しているようにしか思えませんでした。

あらためて紹介するのが恥ずかしくなりますが、1979年8月1日、広島球場で起きた有名なエピソードを書かせて下さい。

7回裏、巨人・西本聖が投じた内角球を素晴らしい反射神経で背中で受けたものの、肩甲骨を亀裂骨折、救急車で病院に搬送されてしまいました。

西本は内角をえぐるシュートが持ち味の投手、この回だけでもすでに二人に死球を与えていました。

そして、連続試合出場を続けていたこの男は、当時でもすでに鉄人と呼ばれ、伝説的なプレーヤーの地位を確立していました。

西本はこのイニングだけで三人目、しかも大きな記録を更新中の伝説に死球を当てたのです。

普通なら乱闘になっても不思議ではありません。広島ベンチが怒りを抑えることができたのは、マウンドの西本に詰めかけることを、当の鉄人が最も忌み嫌うと知っていたからです。

その夜、陳謝の電話をかけた西本は、衣笠から「あの死球のあと二塁打を打たれたな。動揺したのか?君らしくない。7−1で勝ってる試合をあれから引き分けてしまったんだぞ。何をしてるんだ、もったいない」とこんこんと説教されたそうです。

電話で骨折の具合を何度も聞いて心配する西本には「大丈夫だから気にするな」と一喝したそうです。

西本は連続試合出場を止めてしまったと罪悪感に苛まれましたが、翌日、その男は代打でバッターボックスに向かうのです。

そして、江川卓の剛速球を渾身のフルスイングで三球三振。

試合後に報道陣から状態を聞かれた鉄人は「一球目はファンのため、二球目は自分のため。そして三球目は西本君のために振りました」と語りました。

鉄人兼天才詩人か…?

強い広島が憎たらしかった阪神ファンで野球少年だった小学生の私は「こんなセリフを言える人間がいるのか」とひたすら感動しました。

鉄人への尊敬。自分は同じ野球をやっているだけのちっぽけな人間のくせに、野球が大好きな自分が誇らしくてたまりませんでした。

あの日以来、彼のように強くなりたい、彼のように優しくなりたい、そう思って生きてきましたが、強くもなれない、優しくもなれない、情けない人生を歩んでいます。

それでも、本当に優しくて、本当に強い人間を目指して、これからも毎日生きていきます。