ボクシングのメガファイト、巨大スタジアムといえば…そうです、ヤンキースタジアムです!

ニューヨーク・ヤンキースの本拠地は長らくポログラウンズでしたが、そこはニューヨーク・ジャイアンツとの共用でした。

今は無きポログラウンズもまた、アジア初の世界チャンピオン、パンチョ・ビラが誕生したリングが設営された巨大スタジアムで、ボクシングの大試合も数多く行われました。

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【日本には馴染みのない馬上ホッケー「ポロ」というクラシックなネーミングからは、幻想的な魅力が発散されていますが、実際にはポロ競技が行われたことはないと言われています。】

ヤンキースは1920年にレッドソックスから移籍したMLB史上最大のスター、ベーブ・ルースの活躍で莫大な入場料収入を売り上げ、それを元手にヤンキースタジアムを建設、1923年に竣工しました。まさしく「The house that Ruth built (ルースの建てた家)」でした。

1950年代、マジソン・スクエア・ガーデンの常連だったシュガー・レイ・ロビンソンは、ポログラウンズでも2回、ヤンキースタジアムでも4回、そのリングに上がリ、ニューヨークのスーパースターになります。

やはり1950年代の伝説、ロッキー・マルシアノもヤンキースタジアムのリングに4度も登場しましたが、この世界最高の野球場で行われたメガファイトを一つだけ選べ、と聞かれたら、誰もが口を揃えてこう答えるでしょう。

「ジョー・ルイスvsマックス・シュメリング第2戦だ」と。

ときは、1938年6月22日。ヤンキースタジアムに詰めかけた観客は、7万人を超えました。

アドルフ・ヒトラーから「アメリカを倒せ」と送り込まれたシュメリングは、2年前にやはりヤンキースタジアムでルイスをノックアウト、〝褐色の爆撃機〟のキャリアに初黒星をつけていました。

ファシズムが猛威を振るい、世界を脅かしていた、そんな時代の真っ只中です。

シュメリングは今回もヒトラーから激励され、ルイスはフランクリン・ルーズベルトから必勝の命を受けます。

試合はルイスの速攻が功を奏し、1ラウンド2分4秒で〝ヒトラーの刺客〟を撃退しました。

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【シュメリングはあの時代に生きながら、一貫してナチス入党を断り、ナチスから「ユダヤ人のマネージャーを解雇しろ」と命令されても従いませんでした。「ナチス最強の兵器」「ヒトラーの刺客」という表現は実は虚構です。「国のためにルイスと戦うんじゃない。最高のボクサーになりたいから、最高のボクサーと戦う、それだけのことだ」。リングの中はもちろん、リングの外でも強かったシュメリングは人間としてもチャンピオンだったのです。】

ルイスvsシュメリングは、もはや巨大スタジアム云々の枠では語れない、悪い意味でもボクシングを超えた戦いでした。

♣️「アメリカ対ナチス」の代理戦争とも、「第二次世界大戦の一部」とも言われますが、21世紀の村田諒太になぞらえると…いえいえ、こういう戦いはもう二度とあってはいけません。

政治や国家やイデオロギーの腐臭が漂うリングなど、見たくもありません。

しかし、「最高のボクサーになりたいから、最高のボクサーと戦う」。シュメリングのその信念は、どんな時代のボクサーも絶対に忘れてはならない言葉です。

最高のボクサーになるためには、最高のボクサーを倒すしかないのです。穴王者や雑魚挑戦者を何人蹴散らしても、綺麗な戦績が空虚に残るだけで、誰も最高だと評価はしてくれません。

村田にも最高のボクサーを倒していただきましょう。ミドル級です。いくらでもいます。

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=写真=リング誌2016年9月号「ROLL WITH THE PUNCH」から。時代は違っても縁の深い二人のボクサーを、より少ない対戦相手を辿って巡り合わせるゲームです。

「アラバマ州出身の世界ヘビー級チャンピオン」という共通点を持つジョー・ルイスと、デオンティ・ワイルダー。ルイスが初めて世界王者になったのは1937年、わずか6ステップで80年のときを飛び越えワイルダーと邂逅します。

「ルイスvs①マルシアノvs②アーチー・ムーアvs③モハメド・アリvs④ジョージ・フォアマンvs⑤シャノン・ブリッグスvs⑥セルゲイ・リャコビッチvsワイルダー」