プロ転向、カザフスタンを出て、現在の米国カリフォルニアにたどり着くまでの道のりは、ドイツ、ギリシャ、モナコを漂流、長く険しいものでした。

現代のアマチュアのエリートボクサーがプロ転向するとき、大きな障壁が二つ存在します。

最初の壁は、スタイルです。

現代のアマエリートの多くは、ヘッドギアとタッチボクシングに馴化したボクサーです。アリやレナードの時代とは、決定的に違うのです。

そして、誤解を恐れすに言ってしまうと、プロボクシングは、技術を売り物にはしていません。

先日、引退表明したアンドレ・ウォードが、米国人でありながら、その実力に見合った人気と報酬を獲得できたかとなると、答えはNOです。彼は、途轍もない技術は持っていましたが、その試合ぶりの多くは退屈で「また見たい」と思わせる代物ではありませんでした。

フロイド・メイウェザーは、当初は攻撃も意識した非常に面白いボクサーでしたが、その人気は伸び悩みました。1000万ドルを超える大金を稼ぐようになるのは、メディアやファンを欲求不満のどん底に突き落とす防御優先の試合を繰り返しながら、自らを「銭ゲバ」と呼んで、完全ヒールに変身したからです。

そして、この20年、プロボクシングは、さらにアマチュアスタイルを嫌う傾向が加速しています。その底流にあるのがメキシカンスタイルへの偏愛です。男気を見せ合う、正面衝突を何よりも好む、メキシコ人、メキシコ系米国人が、本場のボクシング(米国西海岸を本場と呼ぶのなら)を支えているのですから当然の帰結です。



もはや、バドワイザーもクアーズも檜舞台からは締め出され、テカテとコロナの天下なのです。

マニー・パッキャオは当初、メキシコ人にとっては不倶戴天の敵でしたが、その攻撃的なスタイルはメキシコ人も完全に受け入れました。

攻めるパッキャオと、逃げるメキシコ人。メキシカンはたとえ自国の選手でも、勝負に応じない戦い方は認めません。日本人を最後の最後まで応援する日本ではありえないことです(亀田兄弟は例外ですが、あれは単なる弱いものイジメです)。

先週の試合でカネロ・アルバレスに罵声が飛んだのは、不可解な判定に対してだけではありません。メキシコ人が憤ったのは、GGGの攻勢に、カネロが下がり続けたからです。

かの地で、パッキャオに粉砕されたマルコ・アントニオ・バレラとエリック・モラレスが、フィリピンの伝説を一撃で沈めたファン・マヌエル・マルケスを大きく上回る人気を擁している最大の要因は、スタイルの違いです。

メキシカンでないパッキャオやメイウェザーですら、そのメガファイトがメキシコの記念日、祭日である5月と9月に開催されることが多かったことからも、ボクシングの世界でいかにメキシコナイズが進行しているかが伺えるでしょう。

2番目の壁は、アウエーの壁です。

ボクシングが、メキシカンに支えられるスポーツに完全に移行したことで、米国人ですら人種のアドバンテージが大きいとは言い難い状況が出来上がってしまいました。

シュガー・レイ・レナードの1980年代に、ウォードがタイムスリップできれば、これほどセールス面で苦戦することはなかったでしょう。メイウェザーも、ベビーフェイスのままで大金を手にすることが出来たかもしれません。

米国人でも苦労するのに、キューバや旧ソ連のアマエリートたちにとって、メキシコナイズされた米国西海岸で実力通りの人気を得ることは至難の技です。

ギレルモ・リゴンドーやエリスランディ・ララが、そのスタイルからトップランクと、ゴールデンボーイ・プロモーションから冷遇を受けたことは周知の通りです。

モハメド・アリを崇拝し、米国リングを目指したウラジミール・クリチコも、「本場」は歓迎しませんでした。

さて、GGG。そのスタイルは、ウォードやリゴンドーとは一線を画します。最初の壁、スタイルの壁は、易々とクリアです。

「メイウェザーのように戦え、と言われれば簡単にできる。ただ、それではファンは満足できないだろう。ファンが見たいのはドラマだ。ビッグドラマショウを私はお見せしたいんだ」。

しかし、2番目の壁は高く、分厚いものでした。パッキャオがこの壁までを軽く飛び越えることが出来たのは、メキシカンのライバルが揃いも揃っていたからです。

しかも、アマチュア実績はもちろん、プロ入り後のキャリアも、この小さなフィリピン人を過小評価することしかできない脆弱なもので、メキシコの強豪たちがパッキャオを敬遠する理由は見当たりませんでした。

もし、パッキャオがその獰猛な拳をふるって、バルセロナ五輪で金メダルに輝き、プロのリングでも無敵の快進撃を続けていたなら…バレラやモラレスが簡単に試合を受けることはなかったはずです。

一方の、GGGはアマチュア時代から「殺戮兵器」と呼ばれ、その勢いはプロ入り後も加速、人気選手や王者は彼との対戦をことごとく回避します。

「強い相手との対戦が無い」「まともな相手はダニエル・ジェイコブスただ一人だけ」。よく言われる批判は間違いではありませんが、GGGには全く責任はありません。

セルヒオ・マルチネスも、ミゲール・コットも、ピーター・クイリンも、ビリー・ジョー・サンダースも、そしてカネロも、対立王者や実力者、人気者は、強力な攻撃力を持つカザフの英雄からあからさまに逃避したのですから。

誰だって、村田諒太のように同胞の熱い応援に後押しされ、電通とフジテレビと帝拳の支援を受けながら、補助輪付きの自転車で練習するようにキャリアを進めて、母国のリングで世界タイトルマッチを行いたいものです。

しかし、リング上で無敵のGGGの行く手に待ち受けていたのは、リング外に張り巡らされた茨の道でした。

2006年、プロ転向したGGGはトップランクでもゴールデンボーイ・プロモーションでもない、ドイツのユニバーサム傘下に入ります。ここで最初の洗礼を受けます。プロモーターは、明らかに実力の劣るフェリックス・シュトルムや、セバスチャン・ズビクに世界戦の舞台を用意する一方で、GGGを干しました。

「物事には順番がある」。そう告げられます。

つまりドイツ人が優先で、次が欧州やドイツに馴染みのあるトルコの選手、GGGらはその次、ということです。

2010年、18戦全勝15KOと素晴らしい快進撃を続けていたGGGも28歳になっていました。ボクサーとして残された時間は、けして多くはありません。

GGGはユニバーサムを相手取り訴訟を起こし、契約無効を勝ち取って独立、GGGプロモーションを立ち上げました。

目指すは自由と平等の国、アメリカです!