昨日、ESPNとリング誌をはじめ多くのメディアがPFP1位と評価するアンドレ・ウォードが引退を発表しました。
これにより2位以下のボクサーが自動的に繰り上がり、ゲンナディ・ゴロフキンが1位に就く見通しです。
専門家パネルの投票によって順位を決定するESPNでは、早速ランキングを更新、1位はやはりゴロフキンでした。2006年のプロデビューから足掛け11年、ついに世界最高のボクサーという評価を勝ち得たのです。
本題からはズレてしまいますが、我が井上尚弥も10位でランクイン。投票ポイント(1位10点、2位9点…10位1点)で争われるESPNですが、井上は14点をゲットしました(GGGは83点)。
14点というのは数字的には11位のシーサケット・ソールンビサイと同点でしたが、今回投票に参加した9人の専門家では井上を最も高く評価したのがナイジェル・コリンズ(元リング誌編集長)で4位(7点)、シーサケットはやはりコリンズが投じた7位(4点)が最高、「同点なら最高順位が上回るボクサーを上位にランキングする」というルールに則り、井上がトップ10に滑り込みました。
コリンズというのは、振り返ってみるとノニト・ドネアを3位に評価してファンやメディアから大バッシングを食らった過去もあり(直後にリング誌を離れました)、アジア贔屓なのかもしれません。
【上:GGGが念願の1位へ。今回の投票者9人中6人が1位に投じたとはいえ、1位得票率は2/3です。残りの3人はワシル・ロマチェンコを支持しました。パッキャオ、メイウェザー時代は文句無しの全員一致の1位というのが珍しくありませんでしたが、二人が玉座を離れてからはPFP1位争いも本命無き戦国時代です。下:井上の最高順位はコリンズが投じた4位。シーサケットの7位を上回り、同じ14点ながら上位にランクされました。】
本題にもどって、triple Gのお話です。
旧ソ連のシステムを引き継いだ、才能を効率的に選抜していく過酷な競争をゲンナディは容易に勝ち残り、国際大会で出色のパフォーマスを披露していきます。
2000年、18歳でジュニア世界選手権のブダペスト大会、ライトウェルター級で優勝。
2001年には、プロでも拳を交えることになるダニエル・ギールらを殴り倒して、東アジア大会ウェルター級金メダルを勝ち取りました。開催地は日本大阪、GGGは大阪でも戦っていたのです。それにしてもカザフスタンが「東アジア」という地理的感覚は、日本人には違和感がありますねぇ。中東もアジアですから、それ以東は東アジアという定義なのでしょうけど。
2002年、地元カザフスタン、アスタナで開催されたワールドカップ大会でライトミドル級、銀メダル。
2003年、世界選手権タイ・バンコク大会でミドル級金メダル。3回戦でルシアン・ビュテを鮮烈にKOしたシーンは、プロ入り後に「GGGがいかに強いか」を喧伝する多くの動画の一つとなりました。この大会では、アンディ・リー(29−9)、マット・コロボフ(19−10)も撃破しています。
そして2004年アテネ五輪。アンドレ・ディレルらを倒して決勝に進むも、ロシアのゲバルベク・ゲバルベコフに判定負け、銀メダルに終わります。
アマチュア時代に世界を股にかけて活躍したGGGは、ボクシング以外にも傑出した才能を持っていました。語学です。
ソ連の衛星国家に生を受け、幼少からロシア語とカザフ語を使いこなしていたGGGは、息を吸うように新しい言語を習得していきました。
「ロシア語でコーヒーを頼み、2杯目はドイツ語、ウェイターとはスペイン語で冗談を言い合い、勘定は英語で済ませる…ゲンナディ・ゴロフキンはそんな男だ。かれのパスポートはスタンプだらけだが、彼がコレクションしたのはスタンプだけじゃない」…リング誌がGGGを最初に特集した時の、冒頭です。
勝利インタビューを受ける彼が複数の言語を使い始めると、2カ国語の素養しかない通訳はたちまち混乱してしまうが、GGGが一人二役で通訳までやってのけると、今度は通訳がGGGのマイクを取り上げて「誰だ?私を呼んだのは!?」。会場はドッと湧きかえります。
その戦いぶりも、ファンサービスも、いずれもエンターテインメントがぎっしり詰まった強打者の未来は明るい。誰の目にもそう思えました。
リング上で勝ち続ける限り、聖歌隊のコーラスボーイの容姿と、情け容赦ない破壊者のスタイルを併せ持った怪物がスターダムの頂点まで駆け上がるのは、当然だと。
カザフスタンで育ち、馬乳と郷土料理が大好物のGGGでしたが、彼が戦う舞台となる世界の都市では馬乳が飲めるカフェなどありません。カザフ料理の店ですら、まず見つけることができません。
それでも、異文化に適応するため、現地の言葉を習得し、食事も受け入れてきたGGGでしたが、この稀代のボクサーを抱きとめてくれる土地はありませんでした。
これにより2位以下のボクサーが自動的に繰り上がり、ゲンナディ・ゴロフキンが1位に就く見通しです。
専門家パネルの投票によって順位を決定するESPNでは、早速ランキングを更新、1位はやはりゴロフキンでした。2006年のプロデビューから足掛け11年、ついに世界最高のボクサーという評価を勝ち得たのです。
本題からはズレてしまいますが、我が井上尚弥も10位でランクイン。投票ポイント(1位10点、2位9点…10位1点)で争われるESPNですが、井上は14点をゲットしました(GGGは83点)。
14点というのは数字的には11位のシーサケット・ソールンビサイと同点でしたが、今回投票に参加した9人の専門家では井上を最も高く評価したのがナイジェル・コリンズ(元リング誌編集長)で4位(7点)、シーサケットはやはりコリンズが投じた7位(4点)が最高、「同点なら最高順位が上回るボクサーを上位にランキングする」というルールに則り、井上がトップ10に滑り込みました。
コリンズというのは、振り返ってみるとノニト・ドネアを3位に評価してファンやメディアから大バッシングを食らった過去もあり(直後にリング誌を離れました)、アジア贔屓なのかもしれません。
【上:GGGが念願の1位へ。今回の投票者9人中6人が1位に投じたとはいえ、1位得票率は2/3です。残りの3人はワシル・ロマチェンコを支持しました。パッキャオ、メイウェザー時代は文句無しの全員一致の1位というのが珍しくありませんでしたが、二人が玉座を離れてからはPFP1位争いも本命無き戦国時代です。下:井上の最高順位はコリンズが投じた4位。シーサケットの7位を上回り、同じ14点ながら上位にランクされました。】
本題にもどって、triple Gのお話です。
旧ソ連のシステムを引き継いだ、才能を効率的に選抜していく過酷な競争をゲンナディは容易に勝ち残り、国際大会で出色のパフォーマスを披露していきます。
2000年、18歳でジュニア世界選手権のブダペスト大会、ライトウェルター級で優勝。
2001年には、プロでも拳を交えることになるダニエル・ギールらを殴り倒して、東アジア大会ウェルター級金メダルを勝ち取りました。開催地は日本大阪、GGGは大阪でも戦っていたのです。それにしてもカザフスタンが「東アジア」という地理的感覚は、日本人には違和感がありますねぇ。中東もアジアですから、それ以東は東アジアという定義なのでしょうけど。
2002年、地元カザフスタン、アスタナで開催されたワールドカップ大会でライトミドル級、銀メダル。
2003年、世界選手権タイ・バンコク大会でミドル級金メダル。3回戦でルシアン・ビュテを鮮烈にKOしたシーンは、プロ入り後に「GGGがいかに強いか」を喧伝する多くの動画の一つとなりました。この大会では、アンディ・リー(29−9)、マット・コロボフ(19−10)も撃破しています。
そして2004年アテネ五輪。アンドレ・ディレルらを倒して決勝に進むも、ロシアのゲバルベク・ゲバルベコフに判定負け、銀メダルに終わります。
アマチュア時代に世界を股にかけて活躍したGGGは、ボクシング以外にも傑出した才能を持っていました。語学です。
ソ連の衛星国家に生を受け、幼少からロシア語とカザフ語を使いこなしていたGGGは、息を吸うように新しい言語を習得していきました。
「ロシア語でコーヒーを頼み、2杯目はドイツ語、ウェイターとはスペイン語で冗談を言い合い、勘定は英語で済ませる…ゲンナディ・ゴロフキンはそんな男だ。かれのパスポートはスタンプだらけだが、彼がコレクションしたのはスタンプだけじゃない」…リング誌がGGGを最初に特集した時の、冒頭です。
勝利インタビューを受ける彼が複数の言語を使い始めると、2カ国語の素養しかない通訳はたちまち混乱してしまうが、GGGが一人二役で通訳までやってのけると、今度は通訳がGGGのマイクを取り上げて「誰だ?私を呼んだのは!?」。会場はドッと湧きかえります。
その戦いぶりも、ファンサービスも、いずれもエンターテインメントがぎっしり詰まった強打者の未来は明るい。誰の目にもそう思えました。
リング上で勝ち続ける限り、聖歌隊のコーラスボーイの容姿と、情け容赦ない破壊者のスタイルを併せ持った怪物がスターダムの頂点まで駆け上がるのは、当然だと。
カザフスタンで育ち、馬乳と郷土料理が大好物のGGGでしたが、彼が戦う舞台となる世界の都市では馬乳が飲めるカフェなどありません。カザフ料理の店ですら、まず見つけることができません。
それでも、異文化に適応するため、現地の言葉を習得し、食事も受け入れてきたGGGでしたが、この稀代のボクサーを抱きとめてくれる土地はありませんでした。
コメント