現在、日本人のボクシング世界王者は13人、男子だけで10人が〝世界一〟に君臨しています。同一種目のスポーツで、13人もの現役世界王者を擁し、なおかつ相当な人数の世界王者予備軍もスタンバイしている、異常な〝黄金時代〟を迎えています。

世界王者が一人もいない「空白の時代」は、1988年11月13日に井岡弘樹がナパ・キャットワンチャイと〝疑惑の初戦〟を受けての再戦で完敗、WBCストロー級王座を手放してから、1990年2月7日に大橋秀行が崔漸煥からやはりストロー級のWBCバージョンを取り戻すまでの、1年3ヶ月を最後に、経験していません。

それ以来30年近くもの間、いつも必ず世界チャンピオンがいてくれたのです。

しかし、過去を遡れば、空白時代は当たり前、世界王者が存在するだけで有難い、そんな悲しい極貧の時代がありました。

最も長い空白時代は、60年以上前の1954年11月26日から、1962年10月10日までの、なんと7年11ヶ月、およそ8年間です。

1952年、日本人初の世界王者となった「議論する余地の無い(正真正銘の)世界フライ級王者」白井義男が、1954年11月26日にパスカル・ペレスに敗れてタイトルを喪失してから、1962年10月10日にファイティング原田がポーン・キングピッチから白井が奪われた「正真正銘の世界フライ級王者」のベルトを取り戻すまでの、地獄の8年間です。

8年。それにしても、なんという長い歳月でしょう。当時のボクシングファンが、日本から2度と世界王者は生まれない、そう諦観していたとしてもなんら不思議ではありません。8年というのは、それほど長い時間です。


【王者ダド・マリノ(米国)vsランキング1位白井義男の世界タイトルマッチのポスター。1952年5月19日、舞台となった後楽園球場は最安値の外野後部席200円(大卒の初任給が約5000円の時代ですから、現在の貨幣価値だと約8000円といったところでしょうか)、最高値のリングサイドは3600円(約14万4000円)という破格のチケットがソールドアウト。NHKが TV放送を開始するのは翌年のことでしたが、このメガファイトが1年遅く行われていたら、その視聴率は、日本歴代最高の96.1%(1955年の白井vsペレス第二戦)を超えていたでしょう。】

この8年にも及ぶ厳冬の時代、白井(フライ級:ペレス)、米倉健志(フライ級:ペレス、バンタム級:ホセ・ベセラ)、矢尾板貞夫(フライ級:ペレス)、高山一夫(フェザー級:デイビー・ムーア×2戦)、関光徳(フライ級:キングピッチ)、野口恭(フライ級:キングピッチ)の述べ6人の精鋭が、合計8試合の正真正銘の世界タイトルに挑み、儚く散りました。

原田は、世界挑戦8試合連続失敗という忸怩の8年に見事ストップをかけたわけですが、大橋がピリオドを打った1年3ヶ月の空白時代には、なんと21試合連続もの失敗を繰り返していたのです。

8年で8試合、1年余りで21試合。この数字の大きなギャップの背景に存在するのは、原田の時代よりも日本が豊かになって気軽に世界戦を開催できるようになった、という経済的な理由ではありません。

大橋の時代には、かつてたった一つしかなかった正真正銘の世界王座が2つに分裂、10しかなかった階級は17にまで増殖、世界挑戦のチャンスが爆発的に拡大したという事実が、そこには横たわっているのです。


【WBC世界ストロー級タイトルマッチ、第9ラウンド。大橋の左ボディがナイフのように突き刺さり、崔がこのラウンド2度目のダウン。のたうつ崔にテンカウントが告げられた時、1年3ヶ月続いた〝冬〟が終わりました。「ストロー級なら大橋に敵はいない」とまで言われましたが、このとき、その男の足音は近づいていました。ボクシング120年の歴史で、最も精巧に完成されたボクサーの一人、リカルド・ロペスです。】

常時、男子だけで10人前後の世界王者を抱えて〝ボクシング黄金時代〟を迎えている現在、日本のエースの位置で世界タイトルのベルトを巻く山中慎介と井上尚弥の試合の視聴率は10%前後、大きな話題を呼んだ村田諒太の世界挑戦でも17.8%でした。通常は5%前後、世界戦でも生中継はもちろん、そもそもTV放送されないことまであることを考えると、この3人の視聴率でも傑出しているのです。

一方で、日本ボクシング界が直面した最も過酷なはずの8年間では、1955年:ペレスvs白井(96.1 %)、1959年:ペレスvs米倉(88.0%)、1959年:ペレスvs矢尾板(92.3%)、1960年:ベセラvs米倉(78.7%)、1961年:キングピッチvs関(64.9%)と、厳冬の空白時代にもかかわらず、軒並み60%を超える、今では信じられないほどの熱い視線を日本中から集めていたのです。

とはいえ、街頭TVに多くの人が群がり、なによりTVコンテンツが恐ろしく貧弱で限定的だった時代と、携帯端末からでもTV視聴でき、動画コンテンツが無限に溢れる現代を単純比較することには、明らかに無理があります。

そう、時代が、違うのです。

長嶋茂雄とイチローは、野球選手としての実績だけで見るとその優劣は明らかですが、日本列島に与えた感動や影響の絶対量は前者が圧倒的に上回ります。両者を分け隔てているのは、時代です、それだけです。

長嶋は、時代に愛されました。しかし、大リーグへ挑戦する、最高峰を目指すというアスリートの本能、欲求を満たすことは非常に難しい時代でした。アスリートの本能を満たすという点では、イチローの方が遥かに恵まれていると言い切れます。

しかし、ボクサーの場合はどうでしょうか。

山中や井上は、ファイティング原田らと比較すると、日本全国に与えた感動や影響の総量が圧倒的に少ないばかりか、アスリートの本能、正真正銘の世界一、最高峰を目指すという点ですら重たい足枷に繋がれてしまっているのです。

さらに、人気に比例するとはいえ、報酬面でも大きく水をあけられてしまっています。約50年、半世紀も前というのに、原田が1試合で手にした報酬は3000〜6000万円を超えていたのです。もはや「当時の6000万円を今の貨幣価値に換算したら」とか比較するのも憚られる、尋常ではない格差です。

原田の時代は、目の前に真っ直ぐ伸びる一本道を、ただひたすら全力疾走したら、その先に正真正銘の世界王座を掴むことが出来ました。世界チャンピオンになるには、地球上に10人しかいない世界チャンピオンを己の拳で倒す以外の道、方法はなかったのです。

なんという、当たり前でわかりやすい時代でしょう。おそらく原田は「誰に勝ったのか」という、現代のボクサーについて回る忌々しい評価などを気にしたことはなかったでしょう。「世界王者=正真正銘の世界一」という、常識の方程式がボクシング界でも通用していた時代ですから。

あの頃は、世界戦が今では想像もできないほどの注目を集め、世界王者になれば、プロ野球の高給選手の何十倍もの報酬を手にすることが出来たのです。


【キングピッチを11ラウンドKOで攻め落とし、8年間の冬の時代を終わらせた原田。現在なら数億円の報酬を受け取ったアスリートの祝勝会ですが、どう見てももそうはみえない、とてものどかで癒される風景です。】

原田にとっては「たまたまジョフレだっただけ」です。もし、原田が現代のボクサーなら、ジョフレを避けて別団体の王者に挑戦したり、ジュニアバンタムやジュニアフェザー級の王座の一つを狙っていたはずです。

今の時代、世界王者はよほどのマニアでも正確にわからないくらいに粗製乱造され、最強が誰なのかはメディアやファンが推定することしか出来ず、乱立したアルファベット団体は、我田引水の汚れたランキングを捏造し続けています。

真の最強を求めて、海外の強豪王者と統一戦を行なおうとしても、条件面で大幅な譲歩が求められ、莫大な資金ものしかかってきます。

強い王者からベルトを奪いたい。強い挑戦者を倒して本物の王者と認められたい。

そんな、まともなスポーツなら当たり前の希望すら、叶えられることが途轍もなく難しい時代に、山中や井上は生きています。

長谷川穂積は、 WBO王者のフェルナンド・モンティエルとの統一戦を実現させるために、自らの報酬の減額まで訴えました。けして評価も人気も高くなかったモンティエルとの試合を組むのでも、至難の作業だったのです。

西岡利晃は、世界王者になってからもその地位に満足することは出来ませんでした。「世界王者=世界一」の方程式が完全に瓦解した時代では、最強と推定されるノニト・ドネアに勝つことしか、正真正銘の世界王者であることを証明する手段が無いとわかっていたからです。

内山高志が、11度もの防衛戦を重ねたモチベーションには本当に頭が下がります。ジュニアライトという世界的な強豪が通過点とする階級で、彼らがこの階級を踏み台にしていく後ろ姿を見ながら、ついに世界の強豪と拳を交えるチャンスを一度も与えられることなく、グローブを吊るしたのです。

長谷川の熱望、西岡の執着、内山の我慢…本来はアスリートが気にすること、考えることではありません。生まれるのが50年早ければ、彼らも目の前に現れる敵をぶっ倒すだけで、人気も報酬も評価も、全てを手に入れることが出来たでしょう。

もちろん、その時代にこの3人が拳を振るっていたら、長谷川と内山の10度以上もの防衛は間違いなく不可能だったでしょうし、西岡も世界挑戦で同じ相手に4連続で失敗したにもかかわらず5度目のチャンスが用意されるなんて不条理は、絶対にありえなかったでしょう。そもそも、3人とも世界王者になれていなかったかもしれません。

それでも、どちらの時代がボクサーが良かったかといえば、50年前の方がはるかに恵まれていました。

あの、8年にも及ぶ長い長い厳冬の時代では、毎日のようにボクシングの試合が各局でゴールデンタイムに流され、日本ランカーでもその名が全国に知らしめられました。世界戦ともなると、日本列島が沸き立ち、野球や相撲では味わうことの出来ない「国際試合」の熱狂と興奮に、誰もが手に汗握って応援し、その残酷な結果にみんなが肩を落としたのです。あの8年間は、本当はボクシング黄金時代だったのではないか、そう思えてくるほどです。

今、13人の世界王者を抱えていても、現実は過酷な冬の時代です。

8月15日、この終戦の日に山中は具志堅に並ぶ連続13度の防衛をかけて、ルイス・ネリーと戦います。この相手はWBCでこそ1位に付けてますが、他団体ではランク外です。しかし、承認団体の思惑、営利が反映されないリング誌(6位)とESPN(8位)のランキングに入っていることは評価できます。

とはいえ、このWBC王者とWBC1位の試合をバンタム級最強決戦と考えている人は、日本でも世界でも誰一人としていないでしょう。

世界評価という点で、山中にとっては勝っても得るものは少なく、負けたら大きなものを失う、ハイリスクローリターンの相手です。

本心は、ハイリターンの本物の強豪と戦いたいでしょう。それでも、ともすれば揺らいでしまいそうなモチベーションを、具志堅用高の記録更新に集中させて、ネリーを圧倒的な差を見せて倒すことしか、アスリートである山中には出来ません。


【リング誌9月号 STATE OF THE GAME から。山中がバンタム級で最も評価が高いボクサーであることは間違いありません。そして、注目すべきは、この階級で世界が最も見たい試合は山中vs井上なんです!!このカードを、山中の14連続防衛の記録更新を賭けて日本で開催したら、どれほどの熱狂を呼ぶことでしょう。やらない理由があるとしたら、それは一体何なのでしょうか?】

そして、9月9日には井上尚弥が米国デビューを果たします。このSUPERFLYと銘打たれた興行は、HBOではWorld Championship Boxingの下に位置づけされるBoxing After Dark で全米生中継されます。

人気階級でリングに上がる亀海喜寛の試合は、来る8月26日のミゲール・コット戦はもちろん、昨年のヘスス・ソト・カラスとのノンタイトル2連戦でもWorld Championship Boxingでオンエアされましたから、米国で注目度の低いジュニアバンタム級を中心に組まれたSUPERFLYに出る井上には「俺にはこの舞台は小さすぎる!」と強烈にアピールするような衝撃的な試合を是非見せて欲しいですね。

今の時代、プロボクシング、世界チャンピオンにとっては非常に厳しい時代です。「黄金時代」なんて、少なくとも過去の盛り上がりと比べて言っているのなら大嘘です。世界王者の数だけで黄金時代と呼ぶのなら、4団体以外のアルファベットタイトルも認めたら、もっともっとすごい〝黄金時代〟が到来します。

今は、世界王者になっても、10度以上防衛しても「正真正銘の世界最強」と認めてもらえない、名前すらも覚えてもらえない時代です。

リングで戦うボクサーには、一片の責任もありません。こんな時代によくぞ、このスポーツに命を賭けてくれた!その感謝しかありません。

全て、このスポーツを取り巻く環境が悪いのです。しかし、時代や環境を嘆いていても何も始まりません。

「自分がコントロール出来ることにだけ集中する」。アスリートの基本です。

こんな報われることの少ない環境でも歯を食いしばって、アスリートなら本来気にする必要などのない「誰に勝ったか」を希求しながら、この過酷なスポーツで戦い続けている現代の世界チャンピオンは、限りなく美しく、感動的です。

険しくとも、その山を登れば、必ず頂上に正真正銘の世界でたった一人のチャンピオンが待っていた時代のボクサーは、本当に幸せでした。その山頂を見上げれば、エデル・ジョフレや、ポーン・キングピッチら議論する余地のない世界最強が、そこに鎮座している姿が、はっきりと目に見えていたのですから。

今のボクサー、世界チャンピオンは評価も待遇も何もかもが恵まれていませんが、最初からそこにある山を登るのではなく、自分の拳で「誰に勝ったか」を積み上げて、目に見えない正真正銘の世界一を目指す、そんな峻厳な道無き道を掻き分けて、前進しているのです。

その姿は、恵まれた時代にはない、自律的で、美しく、感動的な魅力があります。

山中慎介と、井上尚弥。そして、それに続く勇敢な若者たち。

彼らの進むその先に、必ず、明るい未来が用意されていますように。