あと一週間を切りました。

今日は、日本のボクシング、村田諒太が、世界からどう見られているのか?

村田がプロ転向を表明、2013年のデビュー戦を圧巻の内容で勝利したことは、ネットはもちろん世界中のボクシングメディアで大きく報じられました。「金メダリスト、東洋太平洋王者を全く寄せ付けず」。もちろん、多くの記事で「ミドル級の東洋太平洋王者の実力は世界基準から大きく劣る」という事実もきっちり伝えられていましたが。

2014年2月にリング誌が村田を6ページに渡って特集しました。ざざっと超訳させていただきます。

【村田諒太は「あしたのジョー」ではない。】

『村田諒太:待ち受けるのは輝ける〝あした〟か?=五輪金メダリストは変わったルートを辿ってスターダムを目指す=』

日本のボクシング界は、非常に興味深いファンタジーに彩られてきた。

なんとそれは、パルプフィクション、〝マンガ〟だ。マンガがクール・ジャパンの代名詞であることは誰でも知っているが、クール・ジャパンと日本のボクシングはどうしても結びつかないだろう。しかし、これは事実なのだ。嘘だと思うなら、日本の友人に聞いてみるがいい。彼(彼女)は日本の世界王者の名前は一人も知らないだろうが、「あしたのジョー」は必ず知っているから。

矢吹丈〜1968年にコミック初版が出されてからTVアニメや映画、ビデオゲーム、あらゆるメディアで人気を博した「あしたのジョー」の主人公の名前だ。1990年には辰吉丈一郎というイミテーションまで登場、日本のリングで最大のスターとなった。

貧しい一匹狼のジョーが生きて行く場所は、リングの中にしか無かった。英国だろうが日本だろうが、フィラデルフィアから東京まで、世界中どこでもいつでも、ボクシングのテーマは変わらない。「ロッキー」がそうであるように「あしたのジョー」もまた、ボクシングの世界の共通言語なのだ。

どん底から這い上がった若者が、エリートの王者を叩きのめす。

そして、日本における矢吹丈の地位は、米国のロッキー・バルボアをはるかに凌駕する。日本に存在する「バンタム級への憧憬」は、ファイティング原田に起源すると思い込みがちだが、それは大きな勘違いだ。バンタムは矢吹丈の階級だから、日本人にとっては特別なのだ。

しかし、村田は「あしたのジョー」ではない。彼はどん底や、バンタム級とは対極に立っている人間だ。

ロンドン五輪で金メダル、それもミドル級で獲得した村田は、薄汚れた河川敷の粗末なバラック小屋のジムで練習などしない。彼のプロモートは世界最高(トップランク)と日本最高(帝拳)が共同で行っている。

ボブ・アラムは「村田はスーパースターの有力候補だ」と断言する。アラムに虚言癖があることは誰でも知っているが、それは彼の仕事の一部でもある。しかし、村田に関しては、いつもの大げさな言動だと片付けられない。トップランクの世界戦略において、村田が重要なプレイヤーであることは疑う余地もない。

ワシル・ロマチェンコやゾウ・シミン、アラムは多くの五輪の金メダリストを青田買いしているが、ボクシングの歴史とインフラが整った日本の金メダリストは他のメダリストとは商業的な可能性が全く違うのだ。

トップランクが最も魅力を感じている国は、経済界同様にもちろん、中国。しかし、この共産主義国は、毛沢東がボクシングを禁止した時代からまだ40年しか経っていない。

中国市場を開拓するのは、ゼロからのスタート。プールの無い国で、次代のマイケル・フェルプスを探すようなものだ。


【リング誌が日本人ボクサーの特集に何ページも割くことはありません。もちろん、村田が注目されるのは日本人だからではなく、「ミドル級の金メダリスト」だからですが。〜アマチュアとプロは違う。しかし、ただ一つ言えることは村田の右はすでにプロの世界レベルに達している。〜】

テキサスレンジャースのダルビッシュ有、ニューヨークヤンキース(当時)の鈴木一朗は、選手として貢献するだけでなく、無視できない額のジャパンマネーをチームにもたらしている。日本には野球のインフラが米国では信じられないほどに整っているからこそ、の現象だ。

ボクシングに関しても、野球ほどではないにしろ、インフラは十分に整っている。日本のスポーツファンは〝心の準備〟が出来ているのだ。村田がラスベガスのビッグファイトのリングに上がる時、日本の大企業が何社も広告を出し、惜しみない支援することは疑いようがない。

また、日本の歌謡曲やアイドルがアジアで圧倒的な人気を集めているように、村田の試合はアジアの大都市でもスムースに歓迎される可能性まである。

日本国内では村田はすでに、最高のスポーツセレブの一人だ。最も強力なTV局の一つ(フジテレビ)と、最も影響力のある広告代理店(電通)が村田が乗った神輿を担いでいるのだから、当然といえば当然だが、世界王者にもなっていないボクサーとしてはかつてなかった現象だ。

「村田以前」のボクサーは、ジムとの契約に縛られ、日本ボクシングコミッションは、自分たちの管理からはなれて海外で試合を行うことを好まない。世界で3番目の経済大国、日本はあらゆるビジネスで国内市場だけで完結できる。それはボクシングも同じで、日本人ボクサーは海外に出なくとも十分な報酬を受け取って来た。

アメリカで危険を冒して戦うよりも、東京のリングに上がる方が大きな報酬を受け取れるのだから当たり前の話である。どこの世界にハイリスク・ローリターンを選択する人間が存在するだろうか。このこともまた、この国のボクサーが海を渡らない大きな理由になっている。

日本で唯一(最も価値のある「モダン部門」)の殿堂入りボクサーで、あのエデル・ジョフレを倒したただ一人の男、ファイティング原田ですら海外で戦ったのはバンコクとロスアンゼルス、シドニーのわずか3度だけ。もし、偉大なジョフレが日本に行くことを拒んでいたら、原田の存在感はここまで大きなものではなかっただろう。

もし、ゲンナディ・ゴロフキンが日本人の軽量級選手なら、ベルトをクローゼットに隠して、世界的には無名のままだったはずだ。しかし、ゴロフキンは日本人ではなかった。軽量級だったとしても、ボクシングのインフラが整っていないカザフスタンにとどまる選択肢はなかった。ミドル級のカザフスタン人がボクシングを職業に選んだ時、もはや選択肢は一つしか無い。国境の外で戦うしか、生きる術は無いのだ。

【日本の中だけで戦うつもりはない。この階級で本物と認められるためには、世界の舞台で勝つしかないのは十分わかっている。】

村田は経済大国、日本に金メダルをもたらしたボクサーだが、信じられないことに、日本のコミッションはライトヘビー級のランクすら持っていない。ほとんど全てのボクサーは、軽量級なのだ。

どうしてそんな環境でミドル級の金メダリストが生まれたのか?その問いには誰も答えることは出来ない。「アジアでは時として神秘的なことが起きる」のだ。

つまり、日本人のスター選手としては考えられないことだが、村田は海を渡らなければその実力を証明することが出来ない。ミドル級の世界王者になって日本で試合が組めるとしたら、全く無名の挑戦者を呼ぶか、電通とフジテレビがスポンサーから今以上の金をかき集める以外に方法は無い。

村田はカザフスタン人ではない。最も恵まれた国の一つ、日本のプロボクサーだ。しかし、彼がミドル級であること、たったそれだけの事実でも、やはり選択肢は一つしか無い。国境を、海を越えて戦うしか、その職業を全うする手段が無いのだ。

村田がリングに向かう時、その背中には「パイレーツ・オブ・カリビアン」のテーマが流れる。その意図は明らかだ。〝自分の国〟を持たない村田は、海を越えて、敵国で富を略奪するしか無いのだ。

海外で戦うということは、日本の軽量級のスター選手が恩恵を授かる地元判定も期待できないということだ。海賊から自国選手を守るために、その逆の洗礼は受けるだろうが。

それでも、村田には軽量級選手では絶対に手にすることが出来ない、巨大で残酷なハイリスク・ハイリターンが待っている。

我々(米国)も海賊の侵略をやすやすと許すつもりなど毛頭無い。海賊は叩き返す。

ただし、海賊ではなく覇王であるなら話は別だ。ボクシングの世界は常に覇王の誕生を心待ちにしている。村田がマニー・パッキャオに次ぐ太平洋を越えてきた二人目の覇王なのか、それとも波打ち際で門前払いできるつまらない蛮族なのか。

…村田諒太の「明日はどっちだ?」。