まだ「地球」が大きく、海外が遠い彼方だった時代、日本人にとってボクシングの世界タイトルマッチとプロレスだけが、世界を体感出来る舞台でした。

白井義男が世界王者になったときのインパクトは、野茂英雄の比ではなかったでしょう。

そして、力道山のプロレス(全盛期はスポーツとして報道されていました)がスポーツでなくなった瞬間から、ボクシングの四角いリングだけが「世界」と触れることが出来る出島となりました。

もちろん、大相撲とプロ野球も人気スポーツではありましたが、土俵や野球のグラウンドからは「世界」の風は感じることは出来ませんでした。

ファイティング原田の試合の視聴率が、それが世界戦でなくとも巨人大鵬を軽く凌駕するのは全く不思議なことではない時代だったのです。

しかし、1964年東京オリンピックで正真正銘の世界を体験してから、ボクシングの〝世界〟の存在感はどんどん希薄になっていきます。


=リング誌電子版(2010年6月25日)から「フライ級のトップは東京を目指す」

昨年11月に旭日小綬章を受章した原田の現役時代に、もし国民栄誉賞があれば間違いなく選ばれていたでしょう。ポスト原田の時代もボクシングは何とかメジャースポーツの一角に踏み止まります。

1976年2月17日に輪島功一が圧倒的不利予想を覆して柳済斗から世界ジュニアミドル級王座を奪還した翌日、新宿の銀行に人質をとって立てこもった強盗犯人に警官が「昨日の輪島を見たか!あの根性を見習って人生をやり直せ!」と説得したエピソードはあまりに有名です。

これは現代では通用しませんね。「昨日の井上尚弥を見たか!」と言われても銀行強盗の方が「誰だ?それは?」と戸惑ってまうでしょう。今では、ボクシングは完全にマニアのスポーツに転落、世界王者は誰もが知っていて当たり前の「共通語」ではなくなりました。

その輪島の時代ですら、ボクシングの地盤沈下が危惧されていました。原田の時代には週に5日!もゴールデンタイムで定期放映されていたプロボクシング番組は激減、日本タイトルマッチですら生中継されないことが珍しくなくなりました。

ボクシングの地位が凋落していく一方で、日本は世界の経済大国としての道を一気に駆け上がります。円の強さは圧倒的で、貧困に喘ぐ国の選手が多い軽量級では世界戦を招致することは以前にも増して難しいことではなくなり、世界中の軽量級選手が「ボクシングの本場・日本」を目指す傾向が決定的になりました。

70〜80年代に世界の軽量級を彩ったアレクシス・アルゲリョ、ウィルフレド・ゴメス、ジェフ・チャンドラー、エウセビオ・ペドロサといったビッグネームも、世界王者として日本のリングに立ちました。彼らですら、強い経済基盤を持つ日本人挑戦者に対してはBサイドに回らざるをえなかったのです。

米国人のチャンドラーは世界王者になっても、アメリカでは無名の存在であることを嘆いていましたが、村田英次郎との2戦は日本のファンの記憶に永遠に刻まれています。

70年代まではフェザー以下の軽量級だけでなく、ジュニアライトやジュニアウエルター、ジュニアミドルといったいわゆる「隙間階級」でも豊かな円を背景に日本のリングは強烈な磁場を放って世界戦を引き寄せ続けました。

80年代になってウエルター級のスーパースター達が続々とジュニアミドルに進出する過程で、この階級は「隙間階級」の性格を急速に失っていき今に至ります。今日、カネロ・アルバレスを後楽園ホールに呼んで日本人と試合させるなんて想像すら出来ませんが、ジュニアミドルの聖地が日本だった時代も間違いなくあったのです。

聖地は巡ります。

70年代までは「フェザー以下と隙間階級」で日本、「ヘビー級を筆頭に人気階級」ではアメリカと玉虫色に分けられていた〝聖地〟は、スター選手が中量級の隙間階級を埋めていく中で、日本が聖地である階級は「フェザー以下の軽量級(メキシコの人気選手は例外)」に集約されていきます。

聖地は巡ります。