無敗のウエルター級王者が激突する史上3度目の統一戦。過去の2度を振り返ると…。

ドナルド・カリー対ミルトン・マクローリーのゴングが鳴らされたのは、1985年12月6日ラスベガスはヒルトンホテル。同じ年の4月15日やはりベガスのシーザースパレスでミドル級のマービン・ハグラーがトーマス・ハーンズを衝撃的な3ラウンドKOで屠り、全階級を通じて最高のボクサーとして頂点に立ったものの、その無骨な戦い方と愛想の無さからヒールのイメージを拭い去れずにいました。世界が求めていたのは、ただ強いだけのハグラーではなく、モハメド・アリからシュガー・レイ・レナードへと禅譲された華麗なヒーローの後継者でした。アリからレナードへ繋がれたヒーローの座は、レナードが眼疾のために引退を余儀なくされたことで空位のままでしたが、そこにハグラーが腰掛けることに嫌悪感を抱くファンもいました。

ひとたびリングに上がると、コブラの猛毒のような一閃の右カウンターで相手を沈めるWBA王者カリーは、普段は謙虚で恥ずかしがり屋、ウォールストリートジャーナルを購読する勤勉な一面も持ち合わせる、誰もが空位の玉座にふさわしいと感じていた好青年でした。一方のWBC王者マクローリーもクロンクジムでエマヌエル・スチュワートの薫陶を受けた長身強打のスラッガーでしたが、戦前からどちらが主役かは誰の目にも明らかでした。この時、カリーが24歳、23勝18KO無敗。マクローリーは23歳、27勝22KO無敗、1分。最も層が厚く、それゆえレベルも高いウエルター級で WBAと WBCの2団体しかなかった当時の統一戦は、パウンド・フォー・パウンド(PFP=全階級通じて最高のボクサー)決定戦と言っても過言ではありませんでしたが、PFP1位には驚くほど強いあの男が君臨していました。この試合の勝者が、レナードの後継者となりハグラーを打ち破る、そしてその勝者はカリーでなければならないーボクシングファンが描いた夢の青写真です。

オッズ、戦前の予想はわずかにカリーに傾いていましたが、二人の実力差は小さいと考えられていました。しかし、試合が始まると誰もが速い決着を予感します。カウンターパンチャーのカリーがプレッシャーをかけ、マクローリーが後退を強いられる予想外の展開。2ラウンド、カリーが強烈な左フックで最初のダウンを奪って勝負あり。何とか立ち上がったマクローリーには、猛毒をふんだんに仕込んだカリーの右ストレートはもはや見えませんでした。圧倒的な実力差を見せてレナード以来初めてウエルター級を統一したカリーはリング上で「マクローリーの左ジャブが予想以上に遅かったから簡単にカウンターを返すことが出来た」と淡々と答えましたが、その声は会場に湧き上がる大歓声でもみ消されてしまうほどでした。

マクローリーの左ジャブ。レナードやハグラーですら手を焼いたクロンクジムの先輩ハーンズ仕込みの超速のフリッカージャブにはカリーでも苦しめられると予想した多くの専門家もそのインタビューを聞いて「マーベラス」と驚き、ハグラーと戦う資格があると認めました。しかし、ハグラーとの最終決戦のゴングはついに鳴らされることなく、カリーは手痛い挫折を重ねながら表舞台からフェイドアウトしてしまうのですが、それはまた別の話。


1986年のリング誌PFP(85年の結果を反映したもの) リング誌:2017年4月号から

カリー対マクローリーから15年後の1999年9月18日ベガスのマンダレイベイホテルで、WBC王者オスカー・デラホーヤとIBF王者フェリックス・トリニダードが激突しました。この時、デラホーヤは31戦25KO無敗、対するトリニダードは35勝30KO無敗。年齢はともに26歳。全盛期のスーパースター二人の激突はFIGHT OF THE MILLENNIUM(1000年に一度の対決)と銘打たれ、ボブ・アラムとドン・キングの代理戦争としても両陣営の舌戦がヒートアップ、注目度ではカリー対マクローリーを上回るものでした。現地ラスベガスのブックメーカーのオッズはデラホーヤ有利ながらも限りなく1対1に接近、専門家の予想も真っ二つ。全米ボクシング記者会からも何度も表彰され世界屈指のカメラマンとして大活躍している福田直樹氏もボクシングマガジンに寄せた展望記事で「予想の極めて難しいカード」と認め「試合がノックアウトで決まることだけは間違いない」と見ていました。しかし現実の試合は、自己採点でリードを確信したデラホーヤが10ラウンドから消極的な逃げ切り体勢に入り、凄まじいブーイングが巻き起こる中、まさかの判定決着に。結果は2−0のマジョリティデジションでトリニダードの手が挙げられました。互角の対決と見られていた通りの僅差の試合と言えばそれまでですが、五輪金メダリストから鳴り物入りでプロ転向、スター街道を順調に走り続けていたでラホヤにはこの一戦でも1500万ドル約16億円がペイパービュー歩合を除いて最低保障されていました。ゴールデンボーイは、26歳の若さで勇気の橋を目の前にして逡巡してしまうほど老成していたのかもしれません。

多くの専門家がKO決着を予想した中で、一人のトレーナーの的確な予想が目を引きました。「両者の技術と経験にはほとんど差がない。明確な決着は付かないが、守りに入った方が負けるだろう。それは、より守るものが多いデラホーヤになる可能性が高い」。そして、この試合の約1年後にこの名伯楽が主宰するワイルドカード・ボクシングジムの扉を小さなフィリピン人がノックします。当時アメリカでは全く無名だったこのフィリピン人こそが、デラホーヤの紡いだ物語の最終章にあまりにも鮮烈なピリオドを打ち込むことになるのです。