When Winter Never Ends 

【琉球新報】世界最高峰の総合格闘技団体UFCのフライ級3位・平良達郎(26)=ザ・ブラックベルト・ジャパン、那覇市出身=が10日(日本時間)、同級王者ジョシュア・ヴァン(ミャンマー出身)とのタイトル戦に挑んだが、5R(ラウンド)TKO負けを喫した。日本人で初めてとなるUFC王者には惜しくも届かなかった。

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これまで、8人の日本人挑戦者をことごとく拒んできたUFC王座。

◾️2000年12月16日:UFC29
①山本喧一(vsライト級王者パット・ミレティッチ)
②近藤有己(vsミドル級王者ティト・オーティズ)

◾️2001年2月23日:UFC30
③宇野薫(バンタム級王者決定戦vsジェンス・パルヴァー)

◾️2002年3月22日:UFC36
④桜井速人(vsウエルター級王者マット・ヒューズ)

◾️2003年2月28日:UFC41
⑤宇野薫(ライト級王者決定トーナメント決勝vsBJ・ペン=1−1の引き分け)

◾️2011年8月27日:UFC134
⑥岡見勇信(vsミドル級王者アンデウソン・シウバ)

◾️2015年4月25日:UFC186
⑦堀口恭司(vsフライ級王者デメトリアス・ジョンソン)

◾️2024年12月7日:UFC310
⑧朝倉海(vsフライ級王者アレッシャンドリ・パントージャ)


その8人、9度の失敗は以上の通りですが、2000年12月16日に山本と近藤、2人の日本人が人気階級への挑戦を許され、2001年と2003年に宇野がバンタム級とライト級で決定戦に臨んでいることからも、この時期のUFCは日本のMMAファイターにとって雲の上の存在ではありませんでした。

しかし、宇野の2度目のアタックから2011年に岡見が挑戦するまでは8年もの歳月を待たねばなりませんでした。この間、何が起きていたのかというと(1)UFCの権威とレベルアップ、(2)日本人のUFC参戦の減少の二点です。

ボクシングのように4団体17階級が存在していたなら、とっくの昔にタイトルを手にしていたでしょうが、UFCの1団体統括で8階級しかない状況では、ボクシングでは当たり前の「何度でも挑戦」は顰蹙の領域に入ってしまいます。

かつてボクシングでも言われていた「タイトル挑戦のチャンスなんて一生に一度あるかどうか」という世界がUFCには醸成され、ボクシングよりも厳格なランキング制度は、ヴァンvs平良でも見られたようにオクタゴンの中に「挑戦者に弱い奴はいない」「王者はみんな強い」という当たり前の常識を確立しました。

2015年にタイトル獲得を失敗した堀口がUFCを離脱する理由について「試合を組んでもらえない。人気がないと使ってもらえない」とフライ級日本人の悲哀を吐露、軽量級のファイトマネーが極端に安かったこともあって、高待遇を提示したRIZINに乗り換えます。

レベルの高い世界最高峰のUFCは超弩級のハイリスク、そして茶番劇まがいのレベルでも十分な報酬と名声が得られるハイリターンな国内市場ーーーこのことが、次の挑戦まで9年11ヶ月も要することにつながってしまいます。

MMAは米国でマーケットとしても人気としても完全にボクシングを逆転。(1)UFCの権威とレベルアップ、(2)日本人の挑戦機会の減少 という傾向に一層拍車がかかってしまいます。

UFCタイトル挑戦から最も長く離れた約10年のち、2024年にUFCデビュー戦でタイトル挑戦したのがRIZINの朝倉海であったことは、非常に象徴的な出来事でした。

MMAファイターとして無視できないほど権威が増大したUFCへの抑えきれない闘魂と、UFCにとってビジネスが脆弱な軽量級に日本人スターを迎えたいという強い商魂、この二つの魂が浮き彫りになったのです。

「UFC王座に未練はないのか?」と聞かれて「無い」と即答していた堀口が再挑戦しているのも、条件面で改善が見られたのは些細なことで、ステイタスが上がる一方のUFCタイトルへの情熱と渇望からに他なりません。

米国格闘技の最高峰、そこに登り詰める日本人がいつかは必ず現れるでしょう。

現在、最もタイトルショットに近いのはフライ級5位の堀口。しかし、来月20日の2位マネル・ケイプ戦を落とすようなことがあると、35歳の〝史上最強のMade In JAPAN〟がロード・バックするには時間切れです。




それにしても、まさかここまで長い時間がかかるとは…。