最初にボクシングの試合を見たのは、テレビ。具志堅用高のWBAジュニアフライ級タイトルマッチでした。
同じ時期に世界ヘビー級王者モハメド・アリの防衛戦(vsレオン・スピンクス初戦)を、子どもにとっては深夜番組、イレブンPMで見ました。
英語は分かりませんでしたが、会場が大番狂せに湧いているのは伝わって来ました。
内容的には大凡戦でしたが、ラスベガスのボクシング会場の華やかさが新鮮でした。
それからすぐに世界のボクシングに惹き寄せられ、高校の図書室が定期購入していたスポーツ・イラストレイテッド誌やリング誌などから米国ボクシングの深みにハマっていきます。
米国で関心を集めるのはヘビー級や、ライト級以上のクラスで、日本とは無縁の華やかでハイレベルな攻防が繰り広げられていました。
ほぼ全てのボクシングファンが軽量級に興味を持っていないこともよく分かりました。経済力で日本と同等かそれ以上の先進国では軽量級は蔑ろにされています。だから、日本が好き勝手できるのです。

リング誌では軽量級の特集記事も見つけることができましたが、そこでしっかりフォーカスされるのはほんの一握りのファイターだけでした。
リアルタイムで知ることのできなかったビセンテ・サルディバル、ルーベン・オリバレス、カルロス・サラテ…。
そして〝なんとか間に合った〟ウィルフレド・ゴメス、サルバドール・サンチェス、アレクシス・アルゲリョ…。
サルディバルに敵地で勝利を収めた柴田国明がメディアとマニアから破格の印象を与えたのは当然として、ファイティング原田がさらに高い評価を得ていることは驚きでした。
当時の私にとって、日本史上最高のファイターは防衛記録を伸ばすたびに首相官邸に招かれ、国民栄誉賞も取り沙汰された具志堅用高だったからです。
ネットも動画配信もない当時に関わらず、ボクシングマガジンの記事から、リング誌だけでなく英国ボクシングニューズ誌でも「全階級を通じて最も優れたファイターの1人」と紹介されていたことを知りました。

のちにリング誌の1970年代(ディケイド)PFPで10位評価を受けていることからも、当時PFPランキングが存在していたなら具志堅は中位を回遊していたはずです。
では、ディケイド1位なら?10年間3650日以上にわたってずっと1位をキープしたわけではないでしょうが、長期政権を敷いていたはずです。
1960年代のディケイドPFP1位のエデル・ジョフレとは、まさにそんな傑物でした。
ただでさえディケイドPFP1位はグレートだというのに、ジョフレの場合は、ボクシングの社会的ステイタスが現在よりもはるかに高かった時代に、〝The Greatest 〟モハメド・アリを抑えての1位でしたから、その評価の特別さがよく分かるでしょう。
プロボクシンにおいて評価の根本、「誰に勝ったのか?」という命題は時代が進むにつれて重要さを増してゆきます。
階級と団体が増えるだけでなく、それぞれの団体の自己都合(自分たちの地域タイトルで囲った承認料の支払いの良い選手をランキングで優遇する)でタイトルマッチを運営、穴王者や雑魚挑戦者が犬の糞のように転がっている時代になりました。
計量オーバーでタイトルを失うのは珍しいことではありません。タイトルの価値がここまで暴落すると、体重超過で失格になってもまた挑戦のチャンスがすぐ訪れます。複数階級制覇を見据えると、秤の上でタイトルを失うのもちょうどいいタイミングです。
タイトル挑戦が「一生一度のチャンス」なんて時代はとうの昔に終わっています。
西岡利晃や比嘉大吾らの〝チャンスは無限〟にめくじらを立てる人はいません。それどころか、スティーブン・フルトンのようにジュニアライト級で体重超過を犯したにもかかわらず、1階級上のライト級タイトルマッチに変更されるという笑劇まで披露されました。

原田はポーン・キングピッチ、エデル・ジョフレと2人の殿堂入りファイターに勝利を収めています。当時、PFPランキングがあったなら、ジョフレに勝った時点で上位に入ったのは確実。再戦で、明白に返り討ちにした時点で1位になっていた可能性も十分です。
世界王者は強い。世界ランカーに弱い奴はいない。当たり前のことが当たり前ではなくなった、現代のボクシング。
ただでさえ「誰に勝ったのか?」が問われる世界で、現代はその傾向がますます強くなっています。
しかし、それを言い出すとファイティング原田を凌ぐ日本人は未来永劫生まれないことになってしまいます。
例えば、井上尚弥はジュニアフライ級でリング誌などで非常に高い評価を受けていたドニー・ニエテスを選ぶべきだったかもしれません。
フライ級をスキップしたのはWBA王者ファン・カルロス・レベコとの調整がつかなかったからですが、当時PFP1位の座を盤石にしていたWBC王者ローマン・ゴンサレスに挑戦していたなら。
バンタム級時代に散々挑発されたエマヌエル・ナバレッテに対して「縁がない」なんて言わないで、せめて「俺と戦いたいならバンタムに降りてこい」と返していたなら。そんなことを言って「じゃあバンタムで」と降りてこられても困りますが。
もちろん、原田が現代に生まれていてもニエテスやチョコラティト、ナバレッテなんて絶対に選ばなかったでしょう。
専門家やマニアでなければ「アドリアン・エルナンデスは超強豪」「オマール・ナルバエスを沈めて世界に衝撃が走った」という大本営発表を鵜呑みにするのも仕方がありません。
また、ニッチスポーツ、マイナースポーツに没落したボクシングが茶番化の方向にも大きく舵を取っている現状からは「誰に勝ったのか?」なんてまともな議論は不要の段階に入っているのかもしれません。
同じ時期に世界ヘビー級王者モハメド・アリの防衛戦(vsレオン・スピンクス初戦)を、子どもにとっては深夜番組、イレブンPMで見ました。
英語は分かりませんでしたが、会場が大番狂せに湧いているのは伝わって来ました。
内容的には大凡戦でしたが、ラスベガスのボクシング会場の華やかさが新鮮でした。
それからすぐに世界のボクシングに惹き寄せられ、高校の図書室が定期購入していたスポーツ・イラストレイテッド誌やリング誌などから米国ボクシングの深みにハマっていきます。
米国で関心を集めるのはヘビー級や、ライト級以上のクラスで、日本とは無縁の華やかでハイレベルな攻防が繰り広げられていました。
ほぼ全てのボクシングファンが軽量級に興味を持っていないこともよく分かりました。経済力で日本と同等かそれ以上の先進国では軽量級は蔑ろにされています。だから、日本が好き勝手できるのです。

リング誌では軽量級の特集記事も見つけることができましたが、そこでしっかりフォーカスされるのはほんの一握りのファイターだけでした。
リアルタイムで知ることのできなかったビセンテ・サルディバル、ルーベン・オリバレス、カルロス・サラテ…。
そして〝なんとか間に合った〟ウィルフレド・ゴメス、サルバドール・サンチェス、アレクシス・アルゲリョ…。
サルディバルに敵地で勝利を収めた柴田国明がメディアとマニアから破格の印象を与えたのは当然として、ファイティング原田がさらに高い評価を得ていることは驚きでした。
当時の私にとって、日本史上最高のファイターは防衛記録を伸ばすたびに首相官邸に招かれ、国民栄誉賞も取り沙汰された具志堅用高だったからです。
ネットも動画配信もない当時に関わらず、ボクシングマガジンの記事から、リング誌だけでなく英国ボクシングニューズ誌でも「全階級を通じて最も優れたファイターの1人」と紹介されていたことを知りました。

のちにリング誌の1970年代(ディケイド)PFPで10位評価を受けていることからも、当時PFPランキングが存在していたなら具志堅は中位を回遊していたはずです。
では、ディケイド1位なら?10年間3650日以上にわたってずっと1位をキープしたわけではないでしょうが、長期政権を敷いていたはずです。
1960年代のディケイドPFP1位のエデル・ジョフレとは、まさにそんな傑物でした。
ただでさえディケイドPFP1位はグレートだというのに、ジョフレの場合は、ボクシングの社会的ステイタスが現在よりもはるかに高かった時代に、〝The Greatest 〟モハメド・アリを抑えての1位でしたから、その評価の特別さがよく分かるでしょう。
プロボクシンにおいて評価の根本、「誰に勝ったのか?」という命題は時代が進むにつれて重要さを増してゆきます。
階級と団体が増えるだけでなく、それぞれの団体の自己都合(自分たちの地域タイトルで囲った承認料の支払いの良い選手をランキングで優遇する)でタイトルマッチを運営、穴王者や雑魚挑戦者が犬の糞のように転がっている時代になりました。
計量オーバーでタイトルを失うのは珍しいことではありません。タイトルの価値がここまで暴落すると、体重超過で失格になってもまた挑戦のチャンスがすぐ訪れます。複数階級制覇を見据えると、秤の上でタイトルを失うのもちょうどいいタイミングです。
タイトル挑戦が「一生一度のチャンス」なんて時代はとうの昔に終わっています。
西岡利晃や比嘉大吾らの〝チャンスは無限〟にめくじらを立てる人はいません。それどころか、スティーブン・フルトンのようにジュニアライト級で体重超過を犯したにもかかわらず、1階級上のライト級タイトルマッチに変更されるという笑劇まで披露されました。

原田はポーン・キングピッチ、エデル・ジョフレと2人の殿堂入りファイターに勝利を収めています。当時、PFPランキングがあったなら、ジョフレに勝った時点で上位に入ったのは確実。再戦で、明白に返り討ちにした時点で1位になっていた可能性も十分です。
世界王者は強い。世界ランカーに弱い奴はいない。当たり前のことが当たり前ではなくなった、現代のボクシング。
ただでさえ「誰に勝ったのか?」が問われる世界で、現代はその傾向がますます強くなっています。
しかし、それを言い出すとファイティング原田を凌ぐ日本人は未来永劫生まれないことになってしまいます。
例えば、井上尚弥はジュニアフライ級でリング誌などで非常に高い評価を受けていたドニー・ニエテスを選ぶべきだったかもしれません。
フライ級をスキップしたのはWBA王者ファン・カルロス・レベコとの調整がつかなかったからですが、当時PFP1位の座を盤石にしていたWBC王者ローマン・ゴンサレスに挑戦していたなら。
バンタム級時代に散々挑発されたエマヌエル・ナバレッテに対して「縁がない」なんて言わないで、せめて「俺と戦いたいならバンタムに降りてこい」と返していたなら。そんなことを言って「じゃあバンタムで」と降りてこられても困りますが。
もちろん、原田が現代に生まれていてもニエテスやチョコラティト、ナバレッテなんて絶対に選ばなかったでしょう。
専門家やマニアでなければ「アドリアン・エルナンデスは超強豪」「オマール・ナルバエスを沈めて世界に衝撃が走った」という大本営発表を鵜呑みにするのも仕方がありません。
また、ニッチスポーツ、マイナースポーツに没落したボクシングが茶番化の方向にも大きく舵を取っている現状からは「誰に勝ったのか?」なんてまともな議論は不要の段階に入っているのかもしれません。
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