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「史上最年少」

1986年11月22日、マイク・タイソンがWBCヘビー級王者トレバー・バービックを空中遊泳させてノックアウトしたとき、20歳と5ヶ月の若さでした。

史上最年少の世界ヘビー級チャンピオンの誕生です。

モハメド・アリを中核に強豪がひしめいた70年代から、ヘビー級はスター不在で有象無象の a champion が割拠、人気もレベルも低落していました。

もちろん、バービックも有象無象の a champion の1人。

そこに現れたのが、タイソンでした。

神秘的なモチベーター、カス・ダマトの薫陶を受け、スラムから成り上がったタイソンの物語に酔い痴れ、弱い相手ばかりとはいえ豪快にKOを量産する姿に、スターを渇望していたボクシング界は一気に沸き立ちます。

バービック戦前、自分よりも遥かに格下の相手を屠り続けてきたタイソンの実力を疑問視する声もありましたが、戦前予想とオッズは明白に有利。

そして、タイソンは a champion たちを薙ぎ倒して主要3団体(当時)を統一、Undisputed Champion となりますが、Lineal Champion とリング誌は〝都合良く〟マイケル・スピンクスが保持していました。

後年、1980年代のディケイドPFPでタイソンよりも高い評価を集めるスピンクスですが、当時はラリー・ホームズとの歴史的な2連勝を収めた達成感に浸り、さらに古傷の膝は悪化の一途を辿っていました。

そして、スピンクスはジェリー・クーニーとのビッグファイトを楽しむなと、タイソンとの激突を先延ばし〝ハンマープライス〟を引き上げます。






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「106年ぶりの快挙」

2003年3月1日。WBAヘビー級タイトルマッチ。

王者ジョン・ルイスに挑戦するのは、ミドル級王者から階級を上げてきたロイ・ジョーンズJr.。

やはり、この試合の戦前予想もオッズもロイ・ジョーンズJr.に大きく傾いていました。

ションルイは誰もが認める穴王者、ノックアウトするのは難しくても、スピードで翻弄して大差判定勝ちを収めるだろうという大方の予想はマンマ当たります。

最も長くPFP1位にランキングされたのはフロイド・メイウェザーでもマニー・パッキャオでもなく、通算で5年以上も鎮座したロイ・ジョーンズです。

しかし…ロイは最も権威のある Sugar Ray Robinson Award には一度も選ばれていないのです。

ロイが人気階級でド派手なパフォーマンスを見せながらも今一つ華やかさに欠け、カリスマ性も感じられなかったのは、強い相手に勝っていないからでもありました。

PFPという妄想の中では、あんなに飛び抜けたボクシングを見せるロイは強いやつと戦っても勝てるはず、という二次妄想を引き起こしていたのかもしれません。



同じ妄想はナジーム・ハメドにも当てはまります。

ハメドが誰に勝ったのか?誰から逃げ続けたのか?調べればすぐにわかることです。


タイソンは誰に勝ったのか?

ロイは誰に勝ったのか?