那須川天心は、自分を閉じ込めた檻を蹴り破り、殴り倒し、常にそこから抜け出そうとしてきました。

まるで、運命に抗うように。


一方で、井上拓真は自分を縛る幾重もの荒縄を引き千切ろうともせずに、ボクシングと井上家の中で自分を抑え続けてきました。

まるで、それが宿命であるかのように。




もしも。

これがプロ野球や別のスポーツの世界だったなら…。



天心の言動、発信はもっと前向きに受け入れられたでしょう。他のスポーツを極めた選手、例えば天心がクリケットのスーパースターで、プロ野球でも一定の成績をを残せば…アンチなど1人も存在していないかもしれません。

そして、拓真は傑出した成績を残す兄の存在に霞むことは少なく「拓真は献身的な良い選手」と高く評価され、自らのポジションを自信を持って守っていたかもしれません。



しかし、現実は違います。

これは、ボクシング。

偏狭で無知なファンが幅を利かす観客席。リングの上の結末は、どこまでも残酷。

他のスポーツでよく耳にする「死ぬ気で」。もちろん、それは修辞に過ぎません。軽い〝ものの例え〟です。

野球でもボクシングでも使われる「3回持たずにノックアウト負け」のような表現があります。しかし、野球とボクシングでは全く意味が違います。

テニスごときの試合でも「ヘビー級のボクサーが打ち合うようなラリー」なんてよく聞きます。アホか?ヘビー級のラリーなんてありえません。お上品な球遊びに、軽々しくボクシングを持ち出すな。




天心と拓真の共通点を無理やり見つけるなら…。

天心には、帝拳の先輩である浜田剛史の悲壮は見出せません。拓真にも、血を分けた尚弥の修羅は全く感じられません。


ただ、天心も拓真も、紛うことなく浜田や尚弥と同じ世界の住人、獣人です。

悲壮や修羅とは無縁で、この競技に身を投じることなど出来なしないのですから。