a todo cerdo le llega su San Martín


すべての豚に聖マルティヌの祭日がやって来る。



ベネズエラでもよく知られるスペインの古いことわざだ。

祭りの日、豚は屠殺される。良い悪いを超えて人は報われる、裁かれるということで、仏教でいう「因果応報」に近い意味を持つ。

そういえば、ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領はキリスト教徒でありながらヒンドゥー教のサイ・ババを信奉、輪廻転生も信じているという。だったら、彼には「因果応報」もよく理解できるはずだ。


日本時間の昨夜、あらためて強力な提携関係を確認したこの2人にはどんな因果応報が待っているのだろうか?

もちろん「a todo cerdo le llega su San Martín〜その日がやって来る」のは、彼ら側だけの話ではない。


彼らと対立するドナルド・トランプも、そして…。




Lake_Maracaibo_map




ノーベル平和賞に選ばれたベネズエラ野党指導者マリア・コリナ・マチャドが、オスロで開催される授賞式に出席することは不可能だと思われていた。

シモン・ボリバル空港からオスロ空港への直行便がなく、あったとしても飛行距離は赤道半径6378.1 kmを優に超える8330km、とんでもない遠さだから…というわけでは、もちろんない。

昨年の大統領選の結果に異議を唱えたとして政府から捜査対象とされ、カラカス郊外に潜伏してるマチャドが公の場に姿を表すと逮捕拘束されるのは間違いなかった。

ノーベル賞の授賞式。それは公の中でも最たる公で、そこでマチャドが世界に発言することはマドゥロ大統領にとって絶対に許せない忌々しいことだった。

国外に出れば「逃亡犯」になると脅されていただけでなく、国内外で数えきれないほどの殺害予告まで受けていたマチャドが生きて国外に脱出できるとは誰も思っていなかったのだ。 

ベネズエラ軍はマチャドが国外に出る航路と空路、そして沿岸部の警戒を最も厳しいレベルで実施。そして、主要な空港、港湾だけでなく、小さな町の海岸から小型ボートを使って脱出することも想定していた。

「蟻一匹も漏らさない」。

しかし、マチャドが脱出できる方法が一つだけあった。

米国の強力なサポートだ。

マチャドにとって、つまりは〝米国側〟にとって、英雄的な大脱出を演出、マチャドがオスロ入りするのは最高のシナリオだった。

男性に変装したマチャドは〝支援者〟が偽装した通行証明書で10箇所以上の検問を通過、田舎町の海岸から粗末な木造船で母国を離れる。

その海岸線は軍が警戒戦を敷いていたが〝奇跡〟が起こる。

警戒していたのはベネズエラ軍だけではなかったのだ。



〝偶然〟なことに…ここ数ヶ月、つまり新米派のマチャドのノーベル賞が決定した頃合いから、密輸される麻薬を乗せた船舶への攻撃を加速させていた米軍もまた、ベネズエラの沿岸部に細心の注意を払っていたのだ。

米軍機はそれが当然かのように、ベネズエラの領空を飛び交っていた。

マチャドが乗った小さな木造船にどれだけの麻薬が積めるのかはわからないが、米軍が攻撃する〝大物サイズ〟ではない。

粗末に見えた木造船だったが、沿岸からのベネズエラ軍の砲撃を受けてもビクともしなかった。

ベネズエラ軍が追撃を諦めたのは、木造船が見かけとは全く違う装甲を持つことに気づいたからではない。

ウォール・ストリート・ジャーナルなど複数のメディアが報じているように「少なくとも2機の米海軍F-18戦闘機がベネズエラ湾を旋回していた」からだ。

ベネズエラ軍は、F -18が木造船を麻薬戦とみなして爆撃するとはこれっぽっちも考えていなかった。

あの木造船にさらなる攻撃を加えたら、フル装備の米国戦闘機は木造船ではなく、彼らのいる沿岸を容赦なく空爆してきただろう。

マチャドは「麻薬船とみられて米軍に攻撃されないよう、事前に調整していた」と話しているが、事前の調整がそれだけだったとは信じ難い。

カラカスにいる彼女から「どの海岸から、どこを目指すのか」を米国に知らせ、攻撃しないように伝えたというのも眉唾だ。

盗聴され、海岸にたどり着くまでに襲撃される可能性もある、あまりにも危険で…〝不自然〟な行為だ。

最も〝自然〟な筋書きは、彼女の脱出ルートの全てをお誂えしたのは米国だということ。

米軍機の攻撃に怯えながら(頼もしく思いながら?)、木造船は野球ファンにはお馴染みのオランダ領キュラソー島に着く。そこには米国の支援者が手配した専用機が待機していた。

粗末な木造(に見せかけた?)船ではなく、それはオスロまで直行できる立派な航空機だった。さらに、やはり最新鋭の米軍機が寄り添うようにスタンバイしていた。

〝奇跡〟と〝偶然〟と〝不自然〟が織りなした、決死の脱出劇は、もしかしたら今回の受賞者の中で最も安全な旅だったのかもしれない。

マドゥロは、軍事クーデターで政権を握ったウーゴ・チャベスの右腕だった。チャベスが癌で亡くなると、2013年の選挙でマドゥロが当選。中国とロシアとの親密な関係を深めながら独裁色を強めていく。



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ーーーそのプロボクサーの胸に彫られていたのは、ベネズエラ国旗とチャベス大統領。

全戦全勝オールノックアウトの記録を更新中ながら、軽量級のベネズエラ人であるがゆえ米国のボクシングファンからほとんど関心を払われなかったエドウィン・バレロだ。



Mainstream fans will get their first look at Edwin Valero when he meets Antonio DeMarco on Saturday.

カジュアルなボクシングファンは、土曜日に初めて彼を目にすることになるだろう。〜ESPN



2010年2月6日、メキシコ・モンテレーでの興行はショータイムでもオンエアされたが、けして大きなイベントではなく、視聴者数も伸びなかった。それでも、バレロにとっては〝カルト〟から抜け出る一歩になるかもしれない重要な1戦だった。

試合は公開採点を聞いたデマルコが10ラウンド開始ゴングに応じず。消化不良のTKO勝利だったがパーフェクトレコードは27戦全勝27KOまで伸びた。


メインストリームのボクシングファンにもエドウィン・バレロの名前が知られる、その入り口近くまで来たというのに、28歳のベネズエラ人はこの試合を最後にリングに上がることはなかった。

この試合の71日後、彼は拘置施設の独房で自殺。

エドウィン・バレロもまた「a todo cerdo le llega su San Martín」の報いを受けた1人だったのだ。