ウズベキスタンの英雄、ムロジョン・アフマダリエフには2人のビッグネームがついて回りました。 

クラブレベルでも代表でも成功を収め、FIFAワールドカップとUEFAチャンピオンズリーグとバロンドールの3つを獲得したブラジルのフットボーラー、カカ。


大谷翔平らグレートなアスリートの証明書「タイム誌の選ぶ世界で最も影響力のある100人」にも2度選出されています。

そして、もう一人は世界のボクシング史を彩った〝ネオン〟レオン・スピンクス。

ミズーリ州セントルイス出身のモントリオール五輪・ライトヘビー級金メダリスト…というよりも生きる伝説モハメド・アリを大番狂せで破った男という方が通りが良いかもしれません。

「ヘビー級で今なお記録の史上最短8戦目でのタイトル奪取」を果たしたレオン。ウズベキスタンのメディアの中にはそこを混同して「レオンの最短記録に並んだ」という報道も目立ちます…確かに嘘ではありません、伊東市の田久保真紀市長なら「何一つ嘘はありません」とハキハキと答えるでしょう。

「レオンの最短記録に並んだ」…真実を大きく歪曲、大きな誤解を生み出す言葉ですが、確かにそこに嘘はありません。




さて、まずはカカ。

MJが生まれたウズベキスタン、ナマンガン州は起伏に富んだ丘陵地帯で、国家プロジェクトの経済特区も抱えているだけでなく、春になると美しい花が咲き誇ることから「花の街」と呼ばれています。

少年が最初に興味を持ったのは多くの仲間たちと同じくサッカー。

教師を職業とする両親は、父親がテコンドーのインストラクター、母親は元バレーボール選手でMJはその血を受け継ぎ、スポーツ万能でした。

ボールを追いかける毎日、お気に入りのカカのレプリカユニフォームを着ていたことから、MJは「カカ」と呼ばれていました。

ある日、1週間も練習に姿を現さなかった友人に「どこへ行ってたんだ?」と尋ねると「ボクシングジムに行ってたんだ」と聞かされました。

そして、MJもジムに通うようになります。

MJの特別な反射神経はすぐにコーチの目に止まりました。

「初めてのスパーリングは普通なら経験者にボコボコにされるはずなのに、あの子は圧倒してダウンを奪った。普通じゃない」。

両親は子供たちに寛容で優しかったものの、家庭は決して裕福ではありませんでした。

9歳から働き始め、米ドル日給25セントで近所の工事現場などの手伝い、そしてより良い日給の遊園地での補助員の職にありつきましたが、それでも1日1ドル50セントしか稼げませんでした。

MJも「ボクシングのグローブやシューズは高額だったので、大変な苦労だった」と回想しています。



そして、レオン・スピンクス。

大きな事故を乗り越えてアマチュアとプロで輝かしい実績を残し、国民的英雄になったMJは母国のメディアで〝ネオン〟レオンの成功になぞらえられました。

「五輪メダリストを経てプロ8戦目で世界王者になった」という共通点からでしたが、中央アジアの周辺国からは冷静な揶揄も聞こえてきました。


Akhmadaliev has reached boxing’s summit without the same weight of expectation, and while campaigning in one of the sport’s least profitable divisions.

「アリに勝利したことでレオンが直面した重圧と享楽の嵐はMJには無縁だった。理由は簡単、MJが王者になったのはボクシングで最も大きな利益を生み出すヘビー級ではなく、最も小さな利益しか生み出せない(注目度の低い)階級の一つだったからだ」。



「おらが村のヒーローは世界でも注目の的」というのは日本人だけの願望心理ではないようで…時代も階級も全く違うというのに「井上はジョー・ルイスの世界戦勝利数に並んだ」という報道が、ジョー小泉らから流布されていましたが、あれは恥ずかしいからやめてあげてくれという行為です。




ムロジョン・アフマダリエフの渾名になった「カカ」。そして、8戦目での世界タイトル奪取、「レオン・スピンクスに並ぶ世界最短」(これを笑えるのはおそらく日本のボクシングファンだけかもしれません)。

決して裕福ではなかった少年が、ボクシングの才能に目覚めて五輪でメダルを獲得、プロで団体統一王者、ウズベキスタンの国民的英雄になるのですが、その道のりはけして順風満帆ではありませんでした。