具志堅用高は1974年5月28日、18歳でプロデビュー。
それから〝わすか〟7年足らずの眩いキャリアを突っ走り、1981年3月8日にペドロ・フローレンスにストップされた試合を最後にリングを去りました。
そして…ボクサーでは最後の国民的英雄、具志堅はそのときまだ25歳でした。

定期的なPFPランキングが発表されるようになったのは、リング誌が1980年にスタートさせたBEST FIGHTER POLL から。
1980年というと、具志堅のキャリアは最終盤、かつての輝きは完全に喪失していた時期です。
当然ながら、BEST FIGHTER POLLの1980年にも、続く1981年にも、具志堅がランキングされることはありませんでした。

しかし、リング誌が発表した1970〜79年までのディケイド・10年間を切り取ったPFPで具志堅は10位にランキングされたのです。
これが何を意味するのか?
もし、BEST FIGHTER POLLが10年早くスターしていたら、具志堅が10位内にランクされていたのは疑いようがなかったということです。
もちろん当時はインターネットなど影も形もない時代ですから、リング誌が具志堅をキャッチアップできたかどうかは疑問です。
現代のようにアジアの軽量級が積極的に評価されることは、なかったかもしれません。
ただ、このイフは今回のテーマに直接の関係はありません。
後年、具志堅が1970年代PFPで10位の評価を受けたという事実から、何が想定されるか、です。
ディケイドで10位ですから、当該10年間での最大瞬間風速は5位前後だったと考えて差し支えないのではないでしょうか?

具志堅については英国ボクシングニューズ誌も「SUPER YOKO!」のヘッドラインで特集したことを、ボクシング・マガジン1980年8月号が伝えていました。
ここにある「パウンド・フォー・パウンド(全クラスを通じて)で最強のボクサー」という表現からは、当時はPFPに順位を付ける発想が乏しく、シュガー・レイ・ロビンソンがそうであったように、全クラスを通じて1人を最強とするのがPFPであったことが窺えます。
英国ボクシングニューズ誌ーーー私が初めてその存在を知ったのは、このボクシング・マガジンの記事だったかもしれませんが、今となっては記憶は曖昧です。
次回は、ほぼ全員がアンチ亀田な日本のボクシングファンの目には、PFPとは全く無縁に映る亀田興毅です。
亀田興毅によってボクシングが社会現象的に注目されている…「亀田一家がボクシングの枠を越えて大きな話題となっている」という報道は、没落一方の米国ボクシング界で衝撃的なニュースとして受け止められました。
そして、当然ながら「米国市場にジャパンマネーを呼び込む可能性のある亀田を米国に呼べないのか?」という機運が盛り上がるのでした…。
それから〝わすか〟7年足らずの眩いキャリアを突っ走り、1981年3月8日にペドロ・フローレンスにストップされた試合を最後にリングを去りました。
そして…ボクサーでは最後の国民的英雄、具志堅はそのときまだ25歳でした。

定期的なPFPランキングが発表されるようになったのは、リング誌が1980年にスタートさせたBEST FIGHTER POLL から。
1980年というと、具志堅のキャリアは最終盤、かつての輝きは完全に喪失していた時期です。
当然ながら、BEST FIGHTER POLLの1980年にも、続く1981年にも、具志堅がランキングされることはありませんでした。

しかし、リング誌が発表した1970〜79年までのディケイド・10年間を切り取ったPFPで具志堅は10位にランキングされたのです。
これが何を意味するのか?
もし、BEST FIGHTER POLLが10年早くスターしていたら、具志堅が10位内にランクされていたのは疑いようがなかったということです。
もちろん当時はインターネットなど影も形もない時代ですから、リング誌が具志堅をキャッチアップできたかどうかは疑問です。
現代のようにアジアの軽量級が積極的に評価されることは、なかったかもしれません。
ただ、このイフは今回のテーマに直接の関係はありません。
後年、具志堅が1970年代PFPで10位の評価を受けたという事実から、何が想定されるか、です。
ディケイドで10位ですから、当該10年間での最大瞬間風速は5位前後だったと考えて差し支えないのではないでしょうか?

具志堅については英国ボクシングニューズ誌も「SUPER YOKO!」のヘッドラインで特集したことを、ボクシング・マガジン1980年8月号が伝えていました。
ここにある「パウンド・フォー・パウンド(全クラスを通じて)で最強のボクサー」という表現からは、当時はPFPに順位を付ける発想が乏しく、シュガー・レイ・ロビンソンがそうであったように、全クラスを通じて1人を最強とするのがPFPであったことが窺えます。
英国ボクシングニューズ誌ーーー私が初めてその存在を知ったのは、このボクシング・マガジンの記事だったかもしれませんが、今となっては記憶は曖昧です。
次回は、ほぼ全員がアンチ亀田な日本のボクシングファンの目には、PFPとは全く無縁に映る亀田興毅です。
亀田興毅によってボクシングが社会現象的に注目されている…「亀田一家がボクシングの枠を越えて大きな話題となっている」という報道は、没落一方の米国ボクシング界で衝撃的なニュースとして受け止められました。
そして、当然ながら「米国市場にジャパンマネーを呼び込む可能性のある亀田を米国に呼べないのか?」という機運が盛り上がるのでした…。
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