スポーツの世界は、誇大広告のバーゲンセールで溢れています。

「天才」があちこちにゴロゴロ転がって、数えきれない「伝説」が語られまくっています。

それでも、プロボクシングの物語には、長い歴史を抱えるがゆえに、本物の天才が現れ、正真正銘の伝説が紡がれてきました。

1867年にクイーンズベリー・ルールが発表され、19世紀末には現代の形がほぼ完成していたプロボクシングは、他のどんなプロスポーツよりも職業として発展し長い歴史を持ち続けてきました。

フロンティアが消滅したのは1890年とされていますが、それはすでに〝ノンパレル(天下無双)〟ジャック・デンプシーが初代ミドル級王者に就いたあとのことです。

「Gunfight at the O.K. Corral(OK牧場の決斗)」(1957年:パラマウント映画/上映時間122分)を見たことがなくても、名前を聞いたことがない人はいないでしょう。

そして、ボクシングファンにはガッツ石松の「OK!牧場」でもお馴染みのはずです。

今から70年前の西部劇、それ自体がもはや伝説ですが、あの映画は史実に沿ったもので実在する人物や出来事が描かれていました。

主人公はワイアット・アープ。彼は最も有名な保安官であり、その相棒が極悪人のドク・ホリデイであることも、多くの人が耳にしたことがあるでしょう。


せっかく面白い視点のお話なのに、うまくまとまっていないので大々的にアレンジしました。

レフェリーの話なのに、現代のレフェリーの紹介から始めないから、多くの読者はポカーンです。






♬ O.K. Corral〜O.K. Corral〜

レフェリー。

そう聞いて、あなたは誰を思い出すでしょうか?

最近、ボクシングに興味を持ち始めた方ならケニー・ベイレスか、もう少し前ならリチャード・スティール、さらに前となるとアーサー・マーカンテ、そんな〝名裁き〟がすぐに思い浮かぶかもしれません。

日本のボクシングファンなら「染谷路朗!」と胸を張るかもしれません。

しかし「最もその名を馳せたレフェリーは?」と、1人だけを聞かれると答えに窮するかもしれません。

答えは、もちろんワイアット・アープです。

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「いやいやいや!それは知ってたけど、あれは伝説のガンマンでボクシングのレフェリーとして記憶している人は、一部のボクシングファンだけでしょう。それに、あの伝説がボクシングの試合を捌いたのは記録上はたった1試合だけのはず!」。

そう反論される方もいるかもしれませんが、これは「最も名を馳せたレフェリー」ですから、アープ以外の答えは全て不正解です。

そして、ワイアット・アープが捌いたのは、1896年12月2日の水曜日にカリフォルニア州サンフランシスコで行われた世界ヘビー級タイトルマッチ、少なくともタイトルマッチはこの1試合だけです。

サンフランシスコ最大のアリーナ、メカニクス・パビリオン。1982年竣工のメカニクス・パビリオンは2代目で、ボクシングは1884年にジョン・L・サリバンのヘビー級4回戦が行われたのが最初。

1万1000人キャパの大アリーナはボクシングの中心地の一つになりますが、1906年4月18日のサンフランシスコ大地震によって引き起こされた大火災によって消失してしまいました。

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この佇まいから、Mechanic's Pavilionという名前、大地震で焼け落ちた最期まで、完全に私のツボです。

さて、ワイアット・アープのご登場です。