アーサー・マーカンテは「リングの中では二人のファイターだけが戦っている、二人の他は誰もいないと感じさせるのが優れたレフェリー」と、この難解な仕事の在り方を見事に語ってみせました。

レフェリーは二人のファイターの邪魔をしてはいけない、そしてお金を払って見に来た観客の邪魔になってもいけない。

その意味では、試合中に頻繁に注意したり、頻繁に試合を中断するレフェリーは良い仕事をしているとは言えません。

もちろん、目に余る反則行為を看過する主審は論外です。

何をいってるのか、うまく伝わらないと思いますが、続けます。

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レフェリーストップが絶妙のタイミングに見える原因の一つは、その瞬間までの存在感の無さです。

あ、レフェリーいたんか。…そういうのが最高のレフェリーです。

その意味では、一昨日の染谷路朗は試合終了と同時に「さすが、ここで止めたか」と、ボクシングファンが改めてその存在に気づくという、まあレフェリーとして最高の見せ場で、最高の仕事をしました。



「距離」「空間」が最大のテーマだったにもかかわらず、寺地も京口もクリーンなボクシングに徹して、クリンチやホールディング、バッティング、ローブローなどの場面はほとんど見られませんでした。

寺地にとって、クリンチやホールディングは懐に入ろうとするインファイターの動きを寸断する有効な手段です。

京口からすると、距離をうまく潰せないならラフな攻撃でボクサーのバリアに穴を開けようとするのはレフェリーから注意を受けるまではルールの範囲内です。

スタイル、距離が違う選手同士の対決では、ボクサーがクリンチ、ファイターが突っ込み、ホールディングやバッティングの反則が起きがちです。

これも、誤解してほしくないのですが、寺地との初戦でファイターの突っ込みを繰り返した矢吹正道は全く悪くありません。

レフェリーが注意しなければ、それは反則ではなく、正当な攻撃です。批判の矛先はレフェリーに向けられるべきです。

そんなダーティなアクションがほとんどなかったのは、寺地と京口がスポーツマンシップに則ったクリーンなファイターであったことに加えて、染谷のレフェリングも大きかったのかもしれません。

リングの中で言葉を発して良いのはレフェリーだけです。

ほとんどの観客とAmazonプライムの視聴者には聞こえていませんが、染谷レフェリーは絶妙の間合いで二人に声をかけたり注意していたことは間違いありません。

染谷は自分の仕事は「選手を無事に家族の元へ帰すこと」と公言していますが、それ自体はどのレフェリーも同じです。

ただ、独特の雰囲気があります。

彼のストップからは、敗者を抱き止める優しさとは全く裏腹に、その表情から「文句を言っても絶対に続行させない」という厳しさが高圧電流のように伝わってきます。

あの空気は、他のレフェリーではなかなか出せません。

そして「選手を無事に家族の元へ帰す」という意味は、肉体的にはもちろん、精神的にも、そうです。

自分の負けをしっかり受け入れる、潔いアスリートとして、家族の元に帰すのです。

田中恒成は見たまんま、話してるのを聞いたまんまの好漢ですが、それを差し引いても井岡一翔に敗れたすぐあとに「レフェリーに感謝したい」と口にしたのは軽い驚きでした。

染谷のさらに素晴らしいところは、一番厄介なファンまで納得させる点です。

「選手を無事に家族の元へ帰す」ことを第一義とすると、ストップのタイミングは早くなりがちです。

〝早すぎる〟レフェリー、リチャード・スティールは「遅すぎるストップはあるが、早すぎるストップはない。一番近くで選手を見ている自分よりも正しい判断を下せる人間はいない」と、自信満々で批判を跳ね返しました。

…もう、お気づきですね。

そうです、染谷はスティールやケニー・ベイレスのような〝早すぎる〟レフェリーではないのです。もちろん、遅すぎるレフェリーでもありません。

あの瞬間「まだ、やれる!止めるな」と腹を立てた京口ファンは極めて少数派でしょう。

また、彼の家族や親友たちでも「もっと早く止めて欲しかった」と思っている人も少数派でしょう。

もし、他のレフェリーがあの試合を裁いていたら、早く止めるのではなく「王者同士の対決」という熱波に酔って、ストップのタイミングが遅れたと思います。


あの試合の最大の勝者は寺地ではない、ボクシングファンだと書きましたが、もう一人リングの中に讃えるべき人がいました。

クリーンファイトでファンを酔わせたウィナーとグッドルーザー、そしてそれを見事に裁いたレフェリー。

三位一体の名勝負でした。