〝 I think it could be next year. If everything plays out the way it should, maybe sometime next year. 〟〜私は【それ】が来年実現すると思っている。全てがうまく運べば来年、どこかのタイミングで【それ】が起きるだろう。(ルディ・エルナンデス)

【それ】とは井上尚弥vs中谷潤人。
ルディの言うように「全てがうまく運べば」、ジュニアフェザー級とバンタム級の完全統一王者の無敗対決を見ることが出来るということです。
全盛期のPFPファイター対決。滅多に拝める試合じゃありません。
日本人同士の世界戦は基本的にタブーとされてきました。
そこには、ジムやテレビ局の壁が立ち塞がり、対戦交渉を始めることすら簡単なことではありません。
ましてや、全盛期のスター選手同士となると…。
また、ファンの間ですら「世界タイトルを日本人で争うのは勿体無い」という、意味不明な意見が持ち上がります。
大勝負をやって、より大きなスターが残る。そうしないことこそが勿体無いというのに。
そんな高く分厚い壁を乗り越えた英断の大勝負を振り返ります。
日本人同士の世界戦となると、サンプルが少なく「注目度」「重要度」からの独断と偏見のザ・ベストテン。…いや、ベストテンではなく時系列で並べた10試合、クロニクルにした9試合+1試合です。
◾️1964年10月29日@蔵前国技館:ファイティング原田 vs 青木勝利(ノンタイトル10回戦)
【注目度】⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
【重要度】⭐︎⭐︎

東京オリンピックが閉幕したばかりというのに、このビッグファイトは大きな注目を集めていました。
原田、青木、海老原博幸。三羽ガラスの中で最も才能が認められていたのがメガトンパンチの青木、そしてカミソリパンチの海老原。
それでも、無尽蔵のスタミナと不屈の闘志でパンチをつなげる原田は、高度成長期の日本人の姿をオーバーラップさせ、最も大きな人気を巻き起こしました。
新人王戦で海老原に判定勝ちしている原田は、青木にも完勝(3ラウンドKO)。
◾️1967年12月14日@両国国技館:WBA /WBCジュニアライト級©︎沼田義明 vs 小林弘
【注目度】⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
【重要度】⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
史上初の日本人同士の世界タイトルマッチ。
当時はWBAからWBCが分離独立した最中、12ラウンドKOで沼田からUndisputed championの座を奪った小林でしたが、翌年1月にWBCがタイトル剥奪。
当たり前ですが、この頃はUndisputed championなどという言葉はほとんど見ることができません。
世界王者はUndisputed champion、当たり前が当たり前だった古き良き時代です。
プロボクシングの世界戦が国民的関心事だった時代、赤穂浪士討ち入りの日とも重なった史上初の日本人対決がどれほどの熱狂を巻き起こしたのか、もはや想像することすら出来ません。
◾️1970年12月3日@日大講堂(両国国技館):WBAジュニアライト級王者©︎小林弘 vs WBAフェザー級王者・西城正三(ノンタイトル10回戦)
【注目度】⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
【重要度】⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
史上初の現役世界王者同士の対決。
またしても、小林弘です。
そして、対戦相手は日本人初の海外での世界王座奪取に成功した〝シンデレラボーイ〟西城正三。シンデレラボーイは今なら文句無しの流行語大賞。
この衝撃的なタイトル奪取で、西城は第1回日本プロスポーツ大賞に選ばれましたが、今なら国民栄誉賞を受賞していたはずです。
◾️1972年3月4日@日大講堂:WBAフライ級©︎大場政夫 vs 花形進
【注目度】⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
【重要度】⭐︎⭐︎⭐︎
1勝1敗で迎えたライバル同士のラバーマッチでしたが、世界タイトルを2防衛している大場と、2度の挑戦を失敗している花形。
大場の圧勝で完全決着すると思われましたが…。一進一退の末のMDは試合内容をそのまま反映したスコアでした。
◾️1973年4月20日@大阪府立体育館:WBCジュニアミドル級©️輪島功一 vs 龍反町
【注目度】⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
【重要度】⭐︎⭐︎⭐︎

炎の男です。
王貞治の〝世界記録〟に「あんなの世界じゃない」と難癖をつけた男です。
圧倒的不利と予想された柳済斗との再戦は、逸見政孝を「あの試合を実況できたことが人生で一番印象深い」と感慨させ、翌日に起きた銀行強盗立て籠もり事件で、警官が「お前も昨日の輪島の試合を見ただろう!輪島を見習って人生をやり直せ!」と説得したのはまさに伝説。
この試合の3年前に行われた龍反町との一戦は、史上3度目の日本人対決の世界戦。
世界戦が国民的行事だった時代でしたが、その内容は世紀の大凡戦。親友同士の両者は互いに牽制し合ってもどかし過ぎる展開のまま判定に。炎の男の燃えない試合でした。
◾️1994年12月4日@名古屋市総合体育館レインボーホール:WBCバンタム級©︎薬師寺保栄 vs 暫定王者・辰吉丈一郎
【注目度】⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
【重要度】⭐︎⭐︎

戦前の盛り上がり方は「ボクシング黄金時代の60年代を彷彿させた」というほどの盛り上がり。
その熱狂に巻き込まれたのは圧倒的有利と見られた辰吉の方でした。予備検診での異常な左手の握力の低さは「辰吉ならではのパフォーマンス」と思われましたが、実際には骨折していたのです。
そのほかの検診結果も思わしくありませんでしたが、それを差し引いても「勝つのは辰吉。薬師寺とはモノが違う」(大橋秀行)というのが大方の見方でしたが…。
潔く敗北を認めた辰吉は「彼は強かった。今までで一番。何よりも気迫が感じられた」と語り、引退も示唆しましたが、あれから30年経った今も、辰吉丈一郎は現役です。
◾️2000年10月11日@横浜アリーナ:WBA世界ライト級©︎畑山隆則 vs 坂本博之
【注目度】⭐︎⭐︎⭐︎
【重要度】⭐︎⭐︎⭐︎
Styles Make Fights.〜ボクシングの勝敗は相性で決まる。
ボクシングの世界で最も有名なマキシムです。
この試合も、戦前から大きな盛り上がりを見せました。
坂本が仕留めきれなかったセルベルト・セラノから5度のダウンを奪って8ラウンドKO、2階級制覇に成功した畑山は勝利者インタビューのマイクで「次は坂本選手とやります!」と宣言すると、フルハウスの横浜アリーナが沸騰。
セラノと畑山、どちらが勝っても次戦は坂本。これは事前の契約書に盛り込まれていた既定路線でしたが、このときは関係者以外、知る由もありません。
畑山のパフォーマンスは出色でした。
戦前予想では「衰えの見える坂本は畑山の出入りの速いボクシングに対応できない」と見られていましたが、オープニングラウンドから畑山は足を止めての打撃戦に応じます。
相手の土俵へ向かって勇猛果敢に嬉々として乗り込んでゆく、それが畑山隆則というファイターでした。
◾️2012年6月20日@大阪府立体育館第一競技場(現エディオンアリーナ):WBCストロー級©︎井岡一翔 vs WBA同級©︎八重樫東
【注目度】⭐︎⭐︎
【重要度】⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

史上初の団体統一を賭けた日本人対決。
両者ともに日本レベルではエリートアマですが、井岡は9勝6KO無敗の23歳。一方の八重樫はエリートの面影は希薄化、叩き上げの匂いを立ち昇らせる15勝8KO2敗の29歳になっていました。
井岡がアマチュア時代に何度かスパーリング、この試合前には「あの頃よりももっと強くなっているのはわかっていた」(八重樫)という通りに、この試合の勝利でリング誌のPFP企画でも10位代に突入します。
エリートとしての面目躍如を果たした井岡に対して、八重樫はこの試合で下降線を辿ることを拒みます。
ボクシングファンから最も尊敬される「激闘王」という目には見えないタイトルを掴み獲って、井岡が対戦を避け、井上が衰えを待ったローマン・ゴンサレスと真っ向から撃ち合い、キャリアのクライマックスを見せつけてくれました。
◾️2009年11月29日@さいたまスーパーアリーナ:WBCフライ級©︎内藤大助 vs 亀田興毅
【注目度】⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
【重要度】⭐︎⭐︎⭐︎

完全マイナースポーツに没落した21世紀のボクシングで、1970年代の具志堅用高並みの視聴率をキープしたのが亀田一家という現象でした。
彼らがやったことは、日本ボクシング界にとってはなんの目新しさもない常套手段でしたが、彼らは悪目立ち過ぎました。
そのあまりにも低脳な言動もボクシングファンの反発を招き、アンチを増殖させ、日本スポーツ史上最高のヒールになりますが、それは彼ら自身が意図したことではありませんでした。
父親の行き過ぎた言動を興毅が涙ながらに謝罪したように、フロイド・メイウェザーがやってのけたような周到なセルフマーケティングなどとは程遠い、TBSをはじめとしたメディアに踊らされた彼らはある意味で被害者でした。
また、亀田一家を上回る狂気の軍団、JBCとの裁判でも明らかなように彼らの〝悪行三昧〟は捏造されて報道されていました。
亀田一家は、JBCを中心とする日本ボクシング界に突如現れた害虫ではありません。やってることは帝拳も大橋も全く同じです。彼らは害虫の巣窟の中に現れた、特別騒々しい虫ケラたちでした。
もちろん、彼らが虫ケラ並みの脳みそしか持てなかったことで集中砲火を浴びてしまうのは自己責任といえばそれまでなのですが…。
◾️2025年12月31日@東京ドーム:Undisputed Jr.Feather weight ©︎井上尚弥 vsUndisputed Bantam weight ©︎中谷潤人

「日本最高のクオリティーペーパー日本経済新聞が取り上げた!」と大喜びしたのは、権威があるらしいリング誌。この2年後に、権威があるはずのリング誌は慢性的な販売不振から廃刊してしまいます、権威があるはずなのに…。
【注目度】⭐︎⭐︎
【重要度】⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
…さて、次は気の早すぎる戦前予想です。

【それ】とは井上尚弥vs中谷潤人。
ルディの言うように「全てがうまく運べば」、ジュニアフェザー級とバンタム級の完全統一王者の無敗対決を見ることが出来るということです。
全盛期のPFPファイター対決。滅多に拝める試合じゃありません。
日本人同士の世界戦は基本的にタブーとされてきました。
そこには、ジムやテレビ局の壁が立ち塞がり、対戦交渉を始めることすら簡単なことではありません。
ましてや、全盛期のスター選手同士となると…。
また、ファンの間ですら「世界タイトルを日本人で争うのは勿体無い」という、意味不明な意見が持ち上がります。
大勝負をやって、より大きなスターが残る。そうしないことこそが勿体無いというのに。
そんな高く分厚い壁を乗り越えた英断の大勝負を振り返ります。
日本人同士の世界戦となると、サンプルが少なく「注目度」「重要度」からの独断と偏見のザ・ベストテン。…いや、ベストテンではなく時系列で並べた10試合、クロニクルにした9試合+1試合です。
◾️1964年10月29日@蔵前国技館:ファイティング原田 vs 青木勝利(ノンタイトル10回戦)
【注目度】⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
【重要度】⭐︎⭐︎

東京オリンピックが閉幕したばかりというのに、このビッグファイトは大きな注目を集めていました。
原田、青木、海老原博幸。三羽ガラスの中で最も才能が認められていたのがメガトンパンチの青木、そしてカミソリパンチの海老原。
それでも、無尽蔵のスタミナと不屈の闘志でパンチをつなげる原田は、高度成長期の日本人の姿をオーバーラップさせ、最も大きな人気を巻き起こしました。
新人王戦で海老原に判定勝ちしている原田は、青木にも完勝(3ラウンドKO)。
◾️1967年12月14日@両国国技館:WBA /WBCジュニアライト級©︎沼田義明 vs 小林弘
【注目度】⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
【重要度】⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
史上初の日本人同士の世界タイトルマッチ。
当時はWBAからWBCが分離独立した最中、12ラウンドKOで沼田からUndisputed championの座を奪った小林でしたが、翌年1月にWBCがタイトル剥奪。
当たり前ですが、この頃はUndisputed championなどという言葉はほとんど見ることができません。
世界王者はUndisputed champion、当たり前が当たり前だった古き良き時代です。
プロボクシングの世界戦が国民的関心事だった時代、赤穂浪士討ち入りの日とも重なった史上初の日本人対決がどれほどの熱狂を巻き起こしたのか、もはや想像することすら出来ません。
◾️1970年12月3日@日大講堂(両国国技館):WBAジュニアライト級王者©︎小林弘 vs WBAフェザー級王者・西城正三(ノンタイトル10回戦)
【注目度】⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
【重要度】⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
史上初の現役世界王者同士の対決。
またしても、小林弘です。
そして、対戦相手は日本人初の海外での世界王座奪取に成功した〝シンデレラボーイ〟西城正三。シンデレラボーイは今なら文句無しの流行語大賞。
この衝撃的なタイトル奪取で、西城は第1回日本プロスポーツ大賞に選ばれましたが、今なら国民栄誉賞を受賞していたはずです。
◾️1972年3月4日@日大講堂:WBAフライ級©︎大場政夫 vs 花形進
【注目度】⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
【重要度】⭐︎⭐︎⭐︎
1勝1敗で迎えたライバル同士のラバーマッチでしたが、世界タイトルを2防衛している大場と、2度の挑戦を失敗している花形。
大場の圧勝で完全決着すると思われましたが…。一進一退の末のMDは試合内容をそのまま反映したスコアでした。
◾️1973年4月20日@大阪府立体育館:WBCジュニアミドル級©️輪島功一 vs 龍反町
【注目度】⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
【重要度】⭐︎⭐︎⭐︎

炎の男です。
王貞治の〝世界記録〟に「あんなの世界じゃない」と難癖をつけた男です。
圧倒的不利と予想された柳済斗との再戦は、逸見政孝を「あの試合を実況できたことが人生で一番印象深い」と感慨させ、翌日に起きた銀行強盗立て籠もり事件で、警官が「お前も昨日の輪島の試合を見ただろう!輪島を見習って人生をやり直せ!」と説得したのはまさに伝説。
この試合の3年前に行われた龍反町との一戦は、史上3度目の日本人対決の世界戦。
世界戦が国民的行事だった時代でしたが、その内容は世紀の大凡戦。親友同士の両者は互いに牽制し合ってもどかし過ぎる展開のまま判定に。炎の男の燃えない試合でした。
◾️1994年12月4日@名古屋市総合体育館レインボーホール:WBCバンタム級©︎薬師寺保栄 vs 暫定王者・辰吉丈一郎
【注目度】⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
【重要度】⭐︎⭐︎

戦前の盛り上がり方は「ボクシング黄金時代の60年代を彷彿させた」というほどの盛り上がり。
その熱狂に巻き込まれたのは圧倒的有利と見られた辰吉の方でした。予備検診での異常な左手の握力の低さは「辰吉ならではのパフォーマンス」と思われましたが、実際には骨折していたのです。
そのほかの検診結果も思わしくありませんでしたが、それを差し引いても「勝つのは辰吉。薬師寺とはモノが違う」(大橋秀行)というのが大方の見方でしたが…。
潔く敗北を認めた辰吉は「彼は強かった。今までで一番。何よりも気迫が感じられた」と語り、引退も示唆しましたが、あれから30年経った今も、辰吉丈一郎は現役です。
◾️2000年10月11日@横浜アリーナ:WBA世界ライト級©︎畑山隆則 vs 坂本博之
【注目度】⭐︎⭐︎⭐︎
【重要度】⭐︎⭐︎⭐︎
Styles Make Fights.〜ボクシングの勝敗は相性で決まる。
ボクシングの世界で最も有名なマキシムです。
この試合も、戦前から大きな盛り上がりを見せました。
坂本が仕留めきれなかったセルベルト・セラノから5度のダウンを奪って8ラウンドKO、2階級制覇に成功した畑山は勝利者インタビューのマイクで「次は坂本選手とやります!」と宣言すると、フルハウスの横浜アリーナが沸騰。
セラノと畑山、どちらが勝っても次戦は坂本。これは事前の契約書に盛り込まれていた既定路線でしたが、このときは関係者以外、知る由もありません。
畑山のパフォーマンスは出色でした。
戦前予想では「衰えの見える坂本は畑山の出入りの速いボクシングに対応できない」と見られていましたが、オープニングラウンドから畑山は足を止めての打撃戦に応じます。
相手の土俵へ向かって勇猛果敢に嬉々として乗り込んでゆく、それが畑山隆則というファイターでした。
◾️2012年6月20日@大阪府立体育館第一競技場(現エディオンアリーナ):WBCストロー級©︎井岡一翔 vs WBA同級©︎八重樫東
【注目度】⭐︎⭐︎
【重要度】⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

史上初の団体統一を賭けた日本人対決。
両者ともに日本レベルではエリートアマですが、井岡は9勝6KO無敗の23歳。一方の八重樫はエリートの面影は希薄化、叩き上げの匂いを立ち昇らせる15勝8KO2敗の29歳になっていました。
井岡がアマチュア時代に何度かスパーリング、この試合前には「あの頃よりももっと強くなっているのはわかっていた」(八重樫)という通りに、この試合の勝利でリング誌のPFP企画でも10位代に突入します。
エリートとしての面目躍如を果たした井岡に対して、八重樫はこの試合で下降線を辿ることを拒みます。
ボクシングファンから最も尊敬される「激闘王」という目には見えないタイトルを掴み獲って、井岡が対戦を避け、井上が衰えを待ったローマン・ゴンサレスと真っ向から撃ち合い、キャリアのクライマックスを見せつけてくれました。
◾️2009年11月29日@さいたまスーパーアリーナ:WBCフライ級©︎内藤大助 vs 亀田興毅
【注目度】⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
【重要度】⭐︎⭐︎⭐︎

完全マイナースポーツに没落した21世紀のボクシングで、1970年代の具志堅用高並みの視聴率をキープしたのが亀田一家という現象でした。
彼らがやったことは、日本ボクシング界にとってはなんの目新しさもない常套手段でしたが、彼らは悪目立ち過ぎました。
そのあまりにも低脳な言動もボクシングファンの反発を招き、アンチを増殖させ、日本スポーツ史上最高のヒールになりますが、それは彼ら自身が意図したことではありませんでした。
父親の行き過ぎた言動を興毅が涙ながらに謝罪したように、フロイド・メイウェザーがやってのけたような周到なセルフマーケティングなどとは程遠い、TBSをはじめとしたメディアに踊らされた彼らはある意味で被害者でした。
また、亀田一家を上回る狂気の軍団、JBCとの裁判でも明らかなように彼らの〝悪行三昧〟は捏造されて報道されていました。
亀田一家は、JBCを中心とする日本ボクシング界に突如現れた害虫ではありません。やってることは帝拳も大橋も全く同じです。彼らは害虫の巣窟の中に現れた、特別騒々しい虫ケラたちでした。
もちろん、彼らが虫ケラ並みの脳みそしか持てなかったことで集中砲火を浴びてしまうのは自己責任といえばそれまでなのですが…。
◾️2025年12月31日@東京ドーム:Undisputed Jr.Feather weight ©︎井上尚弥 vsUndisputed Bantam weight ©︎中谷潤人

「日本最高のクオリティーペーパー日本経済新聞が取り上げた!」と大喜びしたのは、権威があるらしいリング誌。この2年後に、権威があるはずのリング誌は慢性的な販売不振から廃刊してしまいます、権威があるはずなのに…。
【注目度】⭐︎⭐︎
【重要度】⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
…さて、次は気の早すぎる戦前予想です。
コメント
コメント一覧 (2)
Sフライ→ロマゴン→帝拳
Sフライ→バム→帝拳
かつて亀田がABEMAと組んで1000万企画をやってましたが、ポンサクレックとやったあとロマゴン→帝拳とやらせてほしいといって激しく批判されてましたが、亀田と帝拳(大橋)とはおそらくいまのとこからむことはないでしょうね。
フシ穴の眼
が
しました
バンタム級→井上拓→大橋
バンタム級→中谷→帝拳
バンタム級→那須川→帝拳
バンタム級→武居→大橋
Sバンタム級→田中→畑中
大橋と帝拳はつながりが深く、畑中も帝拳プロモーション→アマプラのイベント
問題は帝拳プロモーションが大橋と帝拳の看板選手と戦わせて統一戦をやらせるかどうか
バンタム級→西田→六車
についてな亀田3150ファイト→ABEMA
フシ穴の眼
が
しました