パリ五輪の組み合わせ抽選が終わりました。
日本のプールBは…ポット1:ブラジル(世界1位)、ポット2:ポーランド(4位)、ポッド3:日本(世界7位)、ポッド4:ケニア(20位)、の4カ国。
FIVBのランキングは、ボクシングのアルファベット団体ほどではないものの、五輪出場をすでに決めている国にとってはテストマッチやチューンナップで臨んでいるネイションズ・リーグ(VNL)の結果を受けたもので、日本の7位はかなり高めの評価です。
五輪金メダルを狙う国と、VNLで五輪出場枠を争う日本とでは競技レベルのステージが違うと言い切っても良いかもしれません。
ブラジルには勝てるわけがない、ポーランドはVNLでストレート負けしているようにランキング以上に格上。
ウィリアム・ヒルが叩いた出場12国の優勝オッズは以下の通り。カッコ内は世界ランキング。
イタリア(2位)4.00倍
トルコ(3位)5.00倍
ブラジル(1位)6.00倍
米国(5位)7.00倍
セルビア(9位)8.00倍
中国(6位)9.00倍
ポーランド(4位)10.00倍
日本(7位)11.00倍
オランダ(8位)51.00倍
ドミニカ(11位)67.00倍
フランス(19位)501.00倍
ケニア(20位)751.00倍
イタリアの4倍から日本の11倍までは、一ずつ積み上げた数字で、全体的にもかなりアバウトです。

それでもセルビアまでの上位5カ国が決勝トーナメントに進出、優勝争いを繰り広げると見られています。
残る3つの枠はそれぞれのプールで3位に付けるであろう中国、日本orポーランド、オランダの4カ国で1次リーグの成績によって争われます。
バレーボール。
普段はあまり見ないスポーツですが、学生時代の運動部では必ず一定の勢力を持っていた時代を過ごしました。
練習場所は私は屋外、彼らは屋内であまり接点はなかったのですが、それでも何人かは古い友達がいます。
女子バレーとなると、男子と同等の注目度が集まる数少ないスポーツの一つでもあります。
野球やサッカーとは違い、ファーストインパクトで世界一になった女子バレーは重い宿命を背負い続けてきました。

「東洋の魔女」の謂れは、1961年のヨーロッパ遠征で24連勝をマークした日本代表(日紡貝塚)の強さに、世界最強のソ連のメディアが「東洋から来た魔法使い」と報じたのが最初のことでした。
その翌年、敵地モスクワで開催された世界選手権。魔女たちは圧倒的不利の予想を覆して、無尽蔵のスタミナと回転レシーブ、揺れる変化球サーブによって決勝でソ連を撃破、金メダルを獲得します。
彼女たちは、大袈裟ではなく誰も見たことのない魔法を、確かに使ったのです。
あり得ない魔法は、あり得ない練習量と集中力によって現実のものとなりました。
練習の合間の水分補給、小休憩での軽食、短い昼寝までーーー1950年代末という時代に、現代にも通じる科学的なメソッドが、あり得ない練習量とあり得ない集中力を可能としたのでした。
そこには「練習中に水を飲むな」などという馬鹿げた根性〝論〟ではなく、勝利だけを追求する〝根性〟だけが純粋に科学的に研ぎ澄まされていたのです。
そして、東京五輪を翌年に控えた1963年。東京国際スポーツ大会では、「(ホームでやられた屈辱をアウエーで)やり返す」と雪辱に燃えたソ連を3−0のストレートで返り討ち。
世界最強を再び破壊した東洋の魔女に、皇太子夫妻は拍手を送り、横浜文化会館を埋め尽くした大観衆は熱狂しますが、当の彼女たちは「負けるわけがないじゃないか」と平然としていたと伝えられています。
そして、東京五輪。もはや、立場は逆転。ソ連が番狂せを起こす側でしたが、それは起きませんでした。
東京1964から60年もの歳月が経過しています。
ソ連はすでに崩壊して、その名の国は地球上に存在しません。そして、舞台はパリへ。
世界最強を当たり前に倒した魔女たちの血脈を受け継ぐ日本代表は、悪戦苦闘にのたうち回りながらなんとか五輪出場の切符を掴み取りました。
時代は変わりました。
当たり前です、60年とは、何もかもを変えてしまうのに十分すぎる時間です。
何もかも変わった世界で、半世紀以上も頂点から遠ざかっている代表を率いるのは、古賀紗理那。
彼女は魔女ではありません。
代表メンバーに落ち、怪我に泣いた、五輪に嫌われ続けたバレーボール選手です。
そして、彼女をパリで待ち受けてるのも、また悲劇かもしれません。
それにしても、ウィリアム・ヒルの11倍は失笑するような数字です。好調の大谷翔平のホームラン打率並みです。現実には110倍ですらないでしょう。
21世紀のパリに東洋の魔女は再び現れるか?そんな可能性が1%もないのは、誰にでもわかります。
そう、1%もありません。
それでも、たったの1%もありませんが…、0ではありません。
日本のプールBは…ポット1:ブラジル(世界1位)、ポット2:ポーランド(4位)、ポッド3:日本(世界7位)、ポッド4:ケニア(20位)、の4カ国。
FIVBのランキングは、ボクシングのアルファベット団体ほどではないものの、五輪出場をすでに決めている国にとってはテストマッチやチューンナップで臨んでいるネイションズ・リーグ(VNL)の結果を受けたもので、日本の7位はかなり高めの評価です。
五輪金メダルを狙う国と、VNLで五輪出場枠を争う日本とでは競技レベルのステージが違うと言い切っても良いかもしれません。
ブラジルには勝てるわけがない、ポーランドはVNLでストレート負けしているようにランキング以上に格上。
ウィリアム・ヒルが叩いた出場12国の優勝オッズは以下の通り。カッコ内は世界ランキング。
イタリア(2位)4.00倍
トルコ(3位)5.00倍
ブラジル(1位)6.00倍
米国(5位)7.00倍
セルビア(9位)8.00倍
中国(6位)9.00倍
ポーランド(4位)10.00倍
日本(7位)11.00倍
オランダ(8位)51.00倍
ドミニカ(11位)67.00倍
フランス(19位)501.00倍
ケニア(20位)751.00倍
イタリアの4倍から日本の11倍までは、一ずつ積み上げた数字で、全体的にもかなりアバウトです。

それでもセルビアまでの上位5カ国が決勝トーナメントに進出、優勝争いを繰り広げると見られています。
残る3つの枠はそれぞれのプールで3位に付けるであろう中国、日本orポーランド、オランダの4カ国で1次リーグの成績によって争われます。
バレーボール。
普段はあまり見ないスポーツですが、学生時代の運動部では必ず一定の勢力を持っていた時代を過ごしました。
練習場所は私は屋外、彼らは屋内であまり接点はなかったのですが、それでも何人かは古い友達がいます。
女子バレーとなると、男子と同等の注目度が集まる数少ないスポーツの一つでもあります。
野球やサッカーとは違い、ファーストインパクトで世界一になった女子バレーは重い宿命を背負い続けてきました。

「東洋の魔女」の謂れは、1961年のヨーロッパ遠征で24連勝をマークした日本代表(日紡貝塚)の強さに、世界最強のソ連のメディアが「東洋から来た魔法使い」と報じたのが最初のことでした。
その翌年、敵地モスクワで開催された世界選手権。魔女たちは圧倒的不利の予想を覆して、無尽蔵のスタミナと回転レシーブ、揺れる変化球サーブによって決勝でソ連を撃破、金メダルを獲得します。
彼女たちは、大袈裟ではなく誰も見たことのない魔法を、確かに使ったのです。
あり得ない魔法は、あり得ない練習量と集中力によって現実のものとなりました。
練習の合間の水分補給、小休憩での軽食、短い昼寝までーーー1950年代末という時代に、現代にも通じる科学的なメソッドが、あり得ない練習量とあり得ない集中力を可能としたのでした。
そこには「練習中に水を飲むな」などという馬鹿げた根性〝論〟ではなく、勝利だけを追求する〝根性〟だけが純粋に科学的に研ぎ澄まされていたのです。
そして、東京五輪を翌年に控えた1963年。東京国際スポーツ大会では、「(ホームでやられた屈辱をアウエーで)やり返す」と雪辱に燃えたソ連を3−0のストレートで返り討ち。
世界最強を再び破壊した東洋の魔女に、皇太子夫妻は拍手を送り、横浜文化会館を埋め尽くした大観衆は熱狂しますが、当の彼女たちは「負けるわけがないじゃないか」と平然としていたと伝えられています。
そして、東京五輪。もはや、立場は逆転。ソ連が番狂せを起こす側でしたが、それは起きませんでした。
東京1964から60年もの歳月が経過しています。
ソ連はすでに崩壊して、その名の国は地球上に存在しません。そして、舞台はパリへ。
世界最強を当たり前に倒した魔女たちの血脈を受け継ぐ日本代表は、悪戦苦闘にのたうち回りながらなんとか五輪出場の切符を掴み取りました。
時代は変わりました。
当たり前です、60年とは、何もかもを変えてしまうのに十分すぎる時間です。
何もかも変わった世界で、半世紀以上も頂点から遠ざかっている代表を率いるのは、古賀紗理那。
彼女は魔女ではありません。
代表メンバーに落ち、怪我に泣いた、五輪に嫌われ続けたバレーボール選手です。
そして、彼女をパリで待ち受けてるのも、また悲劇かもしれません。
それにしても、ウィリアム・ヒルの11倍は失笑するような数字です。好調の大谷翔平のホームラン打率並みです。現実には110倍ですらないでしょう。
21世紀のパリに東洋の魔女は再び現れるか?そんな可能性が1%もないのは、誰にでもわかります。
そう、1%もありません。
それでも、たったの1%もありませんが…、0ではありません。
コメント
コメント一覧 (3)
同じ理屈で女バスと男子が対決し女子が勝つ事を期待されてる数少ないスポーツでもありますね
フシ穴の眼
が
しました
フシ穴の眼
が
しました
ペルーの国民的英雄になり肝炎をわずらい亡くなりましたが葬儀が国葬だったとか、その当時の女子バレー選手や映像がユーチューブなどかつてアップされて何度もくりかえして見ましたし、加藤明死後ペルー代表が日本代表に勝利したときの歓喜の映像も見ましたが、すごいとしかいいよう
がない。
フシ穴の眼
が
しました