はじけたのはバブルだけではありません。

E電もビッグエッグもはじけ飛んで、いまでは多くの人が覚えてもいません。


「豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だった頃、都の南で金目教という怪しげな宗教が流行っていた」…みたいに「東京ドームがまだビッグエッグだった頃、日本の都ではバブルという風船が限界まで膨れ上がっていた」…というわけで、36年前にタイムスリップ!

century-of-champs-frame-tyson-224x300


1988年3月21日、Undisputed Heavy weight championマイク・タイソンvsトニー・タッブスの世界ヘビー級タイトルマッチ。

バブルの集大成、東京ドームの柿落としに招致されたメガファイトが賑やかすぎる狂想曲をガナり立てたのは当然のことでした。

21歳の若者がJAL5便のファーストクラスで来日したのは、なんと2月17日、試合の34日も前のことでした。

タイソン御一行がホテル・ニューオータニのワンフロアを全て貸切った34日間、朝から晩まで日本の情報番組はタイソンのトレーニング風景だけでなく、いやむしろ「高砂部屋を訪問、小錦と相撲をとった」「どこの店で食事した」というバラエティ向けのニュースを連日流し続けました。

すでに、タイソン出演のサントリービール、トヨタトラックのTVCMが大量投下されており、その「本人」がいよいよ来日したのですから、とんでもない喧騒を巻き起こしたのは無理もありません。

そして、当時はバブル崩壊前であり、MMAの勃興前夜。つまり、タイソンは「世界最強」と呼ばれた、最後のボクサーでもありました。

世界的に注目されている試合だということは、海外から押し寄せた記者の数が尋常でないことからも実感できました。

当時日本屈指の大きな展示会場だった、ドーム隣接のプリズムホールがブレスルームに充てられたのです。

このことから、井上尚弥に代表される軽量級の世界戦で外国人記者の姿がほとんど見ることができない事実が、何を意味しているのかが、簡単にお分かりになるでしょう。




さて、マイク・タイソン、東京ドーム初戦のイベントです。

いつもBoxRecからイベントのマッチメイクをご紹介してきたのに、何故に今夜はボクシング・マガジンからかというとーーーー。

IMG_1597

前の年の7月にレネ・アルレドンドとの再戦で雪辱を許して無冠になった前WBCジュニアウェルター級王者・浜田剛史の復帰戦が、当初組まれていたのです。

これは試合6日前、3月15日発売のボクシング・マガジン。この誌面を見たボクシングファンの誰もが「予備カード」が用意されている理由を想像できました。彼らの嫌な予感の通りに、膝の古傷など故障だらけの浜田の試合は直前で中止に。

この幻のカードはBoxRecではわかりません。

そして、マーク堀越とフラッシュ・エマヌエルの日比チャンピオン対決が繰り上がりました。