プロボクシングほど奇妙奇天烈な世界は、他にありません。
4Belt -Eraの現代は言うに及ばず、オリジナル8の時代ですら「世界チャンピオン」を決めるのは世界の統括団体ではあリませんでした。
ボクシング界はいつだって魑魅魍魎、なのです。

ジョー小泉をして「生まれ変われるとしたら?シュガー・レイ・ロビンソンを生で見たかった」と言わしめたボクシング史上最高のファイター。
年間MVPにあたるSugar Ray Robinson Award Fighter of the Year にしても、ちょうど10年も歴史が長いリング誌のFighter of the Year より格上なのか?
あるいは、Joe Louis Fighter of the Decade(ディケイド最高選手)の方が当然、格上じゃないか?
…なんて疑問も、そもそも「Fighter of the Year よりもPFPを先に知っちゃった」という日本のボクシングファンにはなかなか思いつきようがありません。
日本国内発信の情報だけだと、そうなってしまうのも無理はありません。
また、Sugar Ray Robinson Award Fighter of the Yearの第1回(1938年)受賞者、これは井上信者でも知ってるかもしれないジャック・デンプシーです。
しかし、よく考えるとデンプシーはローリング’20の時代に活躍したスーパースター、1938年ということは引退してから10年あまり経って受賞ということになります。
もっと倒錯的なのは、1950年代に活躍したシュガー・レイ・ロビンソンの名前を冠したSugar Ray Robinson Awardを、デンプシーが受賞しているわけがないということ。
最初の「10年のタイムラグ」は、黎明の Fighter of the Yearが「年間最高選手」というよりも「殿堂」や日本プロ野球の「名球会」的な、引退してから授与される名誉賞の色彩が濃かったのが原因です。
そして、シュガーとデンプシーの逆転現象の原因は、もともとこの賞の名称がAP通信のスポーツ記者エドワード・J・ネイルにちなんだ「The Edward J. Neil Trophy」だったからです。
1938年、ネイルはスペイン内戦の取材中に死亡、その年にこの賞がスタートしたということは、 私たちがよく知らない37歳で天国に駆けた記者の死が、BWAAにとっては相当に大きな出来事だったということが想像できます。

さらに驚きなのは The Edward J. Neil Trophy がいつ、Sugar Ray Robinson Awardに切り替わったのかというとです。
なんと2009年なのです。
その意味では「第1回 Sugar Ray Robinson Award Fighter of the Year」の受賞者はマニー・パッキャオになります。
Sugar Ray Robinson Award Fighter of the Yearは、毎年2月にニューヨークで表彰式を開催してきました。
これが、リング誌などの「勝手に決めました。副賞は別途送付します(送らないかもしれません)」というアワードとは違います。
とはいえ、それはマイナースポーツ、ボクシングの中での話。メジャースポーツの大規模なアワードとは比べようもない、ホテルの宴会場での開催です。日本でもほとんど報道されることがなかった〝黒ミサ〟的な表彰式ですが、ボクシングマニアにとってはまさに崇高な黒ミサです。
ただ、今年は日本でも大きく報道されるでしょう。
そして、定番のホテルはルーズベルトホテル。
Sugar Ray Robinson Awardは2015年のフロイド・メイウェザーを最後にカール・フランプトン、ワシル・ロマチェンコ、オレクサンデル・ウシク(ウクライナ2連覇!)、カネロ・アルバレス、テオフィモ・ロペス、カネロ、ドミトリー・ビボル、そして井上尚弥と、8年連続で米国勢が蹴落とされ続けています(テオフィモはブルックリン生まれですがアマチュア時代からホンジュラス色丸出し)。
今回はテレンス・クロフォードに〝連敗〟ストップの期待がかかっていましたが、クロフォードでは弱すぎたか。
何はともあれ、日本のボクシングファンは大きなクサビが打ち込まれた1年間に立ち会えました。
Thank you,Monster!
4Belt -Eraの現代は言うに及ばず、オリジナル8の時代ですら「世界チャンピオン」を決めるのは世界の統括団体ではあリませんでした。
ボクシング界はいつだって魑魅魍魎、なのです。

ジョー小泉をして「生まれ変われるとしたら?シュガー・レイ・ロビンソンを生で見たかった」と言わしめたボクシング史上最高のファイター。
年間MVPにあたるSugar Ray Robinson Award Fighter of the Year にしても、ちょうど10年も歴史が長いリング誌のFighter of the Year より格上なのか?
あるいは、Joe Louis Fighter of the Decade(ディケイド最高選手)の方が当然、格上じゃないか?
…なんて疑問も、そもそも「Fighter of the Year よりもPFPを先に知っちゃった」という日本のボクシングファンにはなかなか思いつきようがありません。
日本国内発信の情報だけだと、そうなってしまうのも無理はありません。
また、Sugar Ray Robinson Award Fighter of the Yearの第1回(1938年)受賞者、これは井上信者でも知ってるかもしれないジャック・デンプシーです。
しかし、よく考えるとデンプシーはローリング’20の時代に活躍したスーパースター、1938年ということは引退してから10年あまり経って受賞ということになります。
もっと倒錯的なのは、1950年代に活躍したシュガー・レイ・ロビンソンの名前を冠したSugar Ray Robinson Awardを、デンプシーが受賞しているわけがないということ。
最初の「10年のタイムラグ」は、黎明の Fighter of the Yearが「年間最高選手」というよりも「殿堂」や日本プロ野球の「名球会」的な、引退してから授与される名誉賞の色彩が濃かったのが原因です。
そして、シュガーとデンプシーの逆転現象の原因は、もともとこの賞の名称がAP通信のスポーツ記者エドワード・J・ネイルにちなんだ「The Edward J. Neil Trophy」だったからです。
1938年、ネイルはスペイン内戦の取材中に死亡、その年にこの賞がスタートしたということは、 私たちがよく知らない37歳で天国に駆けた記者の死が、BWAAにとっては相当に大きな出来事だったということが想像できます。

さらに驚きなのは The Edward J. Neil Trophy がいつ、Sugar Ray Robinson Awardに切り替わったのかというとです。
なんと2009年なのです。
その意味では「第1回 Sugar Ray Robinson Award Fighter of the Year」の受賞者はマニー・パッキャオになります。
Sugar Ray Robinson Award Fighter of the Yearは、毎年2月にニューヨークで表彰式を開催してきました。
これが、リング誌などの「勝手に決めました。副賞は別途送付します(送らないかもしれません)」というアワードとは違います。
とはいえ、それはマイナースポーツ、ボクシングの中での話。メジャースポーツの大規模なアワードとは比べようもない、ホテルの宴会場での開催です。日本でもほとんど報道されることがなかった〝黒ミサ〟的な表彰式ですが、ボクシングマニアにとってはまさに崇高な黒ミサです。
ただ、今年は日本でも大きく報道されるでしょう。
そして、定番のホテルはルーズベルトホテル。
Sugar Ray Robinson Awardは2015年のフロイド・メイウェザーを最後にカール・フランプトン、ワシル・ロマチェンコ、オレクサンデル・ウシク(ウクライナ2連覇!)、カネロ・アルバレス、テオフィモ・ロペス、カネロ、ドミトリー・ビボル、そして井上尚弥と、8年連続で米国勢が蹴落とされ続けています(テオフィモはブルックリン生まれですがアマチュア時代からホンジュラス色丸出し)。
今回はテレンス・クロフォードに〝連敗〟ストップの期待がかかっていましたが、クロフォードでは弱すぎたか。
何はともあれ、日本のボクシングファンは大きなクサビが打ち込まれた1年間に立ち会えました。
Thank you,Monster!
コメント
コメント一覧 (5)
フシ穴の眼
が
しました
フシ穴の眼
が
しました
フシ穴の眼
が
しました
これまで日本人には縁がなかったので仕方ないことですが
フシ穴の眼
が
しました