ボクシングファンには、マッチメイクを見ただけで妙に惹きつけられるカードがあります。

最近では「堤聖也vs穴口一輝」がそうでした。

共通点はプライドの高さ。相違点はスタイル。そんなマッチメイクは、序盤で決着しても、終盤までもつれても名勝負になることが多いのは、ボクシングファンなら誰でも知っています。

穴口選手については、タカハさんや山田さんらからご意見や情報を寄せていただいていますが、このスポーツを見続けて40年あまり、今回が初めてとか2回目とかということではありません。

リング誌をはじめ多くのメディアで議論が積み重ねられ、ボクシング廃止論者の主張も含めてさまざまな意見を見聞きしてきましたが、私自身はいまだに何も決着できていません。

専門家たちが考察してきた議論、悲劇を繰り返さないための対策を、あらためて見直すのに、この場所が相応しいのかどうかについても戸惑っています。




難攻不落の冬山を北壁から登頂するのは、ボクシングと同じで死と直面する行為です。しかし、冬山はまさに〝そこにある〟だけで、ボクシングのように脳震盪を目的に急所を狙ってナックルパートを叩きつけるようなことはしません。

対戦相手を殺そう、死なせても良いと考えて殴りかかるボクサーは存在しませんが、急所に拳を突き刺して脳震盪を狙うという意味では、もし最悪の結果が起きたら、明らかな動機と手段を伴った殺人です。

実際に殺人にならないのは、社会的に公認されたスポーツだからです。

もし、公園でボクシングルールを遵守した決闘が行われ、最悪の事態が起きたら…殺人罪に問われる可能性もあります。野球やサッカーではそんなことはあり得ません。

草野球は微笑ましい趣味ですが、「草ボクシング」は犯罪なのです。

そんな犯罪スポーツを社会が公認しているのが間違っているーーーそれが廃止論者の主張です。



プロテストやライセンス更新、試合前後の脳をはじめとした健康診断をより精密・厳格に行い、事故の可能性が少しでも予見される場合はライセンスや試合出場を認めない…ラウンドインタバルを3分に拡大して、選手のダメージを診断、少しでも危険な兆候が認められたらそこで試合終了…できる対策を全て講じても、悲劇は無くならないでしょう。

穴口選手の家族や友達は、私が「素晴らしい!」と感動した試合をどんな思いで見ていたのでしょうか。

私や、海外メディア、ファンの多くはオマール・ナルバエスやエマヌエル・ロドリゲスを「ヘタレ」「プロ失格」と侮蔑していますが、それは「戦って死ね」と言ってるのと何が違うのでしょうか?

そして、私はこんな今ですら「リングの上で死ねたら本望」というファイターの試合に惹きつけらてしまう鬼畜です。

ノニト・ドネアとの初戦で強烈なパンチを被弾した井上尚弥は「眼窩底骨折した」という確信はなかったとしても、モノが何重にも見えたり、普通じゃない痛みの感覚に「かもしれない」「このまま試合を続けたら深刻な後遺症が残るんじゃないか」という潜在意識はあったはずです。

それでも、井上はそれを全く恐れず、万一チェックが入ってもチームスタッフに「ドクターの後ろから指の本数をイーとかフーとかミーと叫んで教えてくれ」と言うような気狂いファイターです。

かつて、試合中に両目の視界を失い、トレーナーに「アリがどこに立っているのか教えてくれ」と頼んだジョー・フレイジャーのように。

そんなファイターを溺愛しながらも、私は「プロボクサーが家族なら」と言われたら、井上やフレイジャーやイスラエル・バスケスやラファエル・マルケスやモハメド・アリみたいなのは絶対許しません、どうしても家族にするならナルバエスやロドリゲスです。

そうです。

私は、他人事だからボクシングが大好きなのです。

井上やフレイジャーを尊敬するのは、自分ごとじゃない他人事だからです。もっとわかりやすく言えば、「最悪死んでもいい」と心のどこかずっと奥底で思っているのです。



「穴口一輝さん、がんばれ、がんばってください。」…自分で書きながら、なんて自分勝手で、欺瞞と偽善に満ちた言い方でしょうか。

もし、私が本当に心の底からそう思っているのなら、事故や悲劇を繰り返さないように廃止論者に転向して声を上げるべきなのでしょうが、こんな自己嫌悪に今まで何度も陥っていながら、時間が経つと「井上はええ根性してる」と平然と口にするのです。