十七、本を読むばかり

愛することも 臆病で

十八、家での夢を見て

こっそり 手紙 書き続け…

…石川さゆりの「転がる石」を初めて聞いたとき、高校時代の俺のことだと思いました。リリースされたのが2002年ですから、高校時代にこの曲はなかったのですが。

運動(といっても下手くそな野球と鈍足の中長距離ランナー)と、読書(といっても漫画も雑誌もなんでも読みまくる雑食)と、映画鑑賞(といっても寂れまくった小さな名画座でのやはり雑食的に観まくってただけ)に明け暮れ、どうせ俺なんてと厭世的な毎日を送っていました。

学校の成績も著しく悪く(というかほとんど授業に出てないから今なら退学処分)、スポーツ以外での人付き合いは大嫌いで(スポーツの練習や試合を人付き合いと定義するのかどうかは別にして)、とにかく社会に適合できない10代でした。

現実に適合できないから活字や音楽や映画の世界に逃げ込んでいたのです、きっと。

映画を観るのは、本当に小さな名画座、今風にミニシアターと呼ぶにはあまりにも寂れた映画館でした。

そこで、わずか3年くらいの間で一体何本の映画を見たのかわかりません。大体が2本立て、3本立てなんてのも珍しくなく、「ライアン・オニール特集」なんてのも、その一つでした。

「Love Story(ある愛の歌)」(1970年:アーサー・ヒラー監督)と「Paper Moon(ペーパームーン)」(1973年:ピーター・ボグダノヴィッチ監督)と、もしかしたらもう1本あって3本立てだった気もしますが、思い出せません。

ライアン・オニールが娘のテイタム・オニールと共演した「ペーパームーン」、物語の世界に一気に引き込まれました。テイタムはこの作品でアカデミー助演女優賞を受賞するのですが、それも納得の演技です。



そして、この親娘はボクシングファンなのです。

1950年代、つまり米国ボクシング黄金時代に少年時代を過ごしたライアンは「ボクシンググローブは当たり前の遊び道具、ロッキー・マルシアノは神様だった」とリング誌の「Famous Fans(熱心なボクシングファン)」コーナーの中で語っていました。

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ライアンが亡くなったことをSNSで報告したのは、息子のパトリック・オニール。

この名前にピンと来た人は大谷マニアです。パトリックは、カリフォルニア州地元放送局でエンゼルス戦を日本語を交えて実況しているスポーツキャスター。

ライアンも大谷の大ファンだったそうです。

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大谷の顔だらけTシャツと枕を愛用するライアン・オニールさん(パトリック・オニール氏提供)

それにしても、思い入れのある人がまた一人天国に旅立ってしまいました。