「歴史と格式」は「老害と悪習」と隣り合わせですが、過去から現在に連なる歴史の中で濃縮された格式が魅力的であることは否定できません。

日本独自の発展を続けてきたボクシングと、日本で創造されたキックボクシングは共に半世紀を優に超える歳月を生き延びてきた格闘技ですが、前者が連綿と続く歴史を擁する一方で、後者は分断と対立の中で一貫した格式を形成することができませんでした。

もちろん、それはボクシングには「歴史と格式」だけがあり、キックには「分断と悪習」しかないというわけではありません。

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ボクシングはオリジナル8を自ら希釈化し、米国ではリング誌が慢性的な経営難から廃刊に追い込まれ、HBOもSHOWTIMEも舞台から退場してしまいました。

時を同じくして、日本でもボクシング・マガジンが廃刊、ボクシングは地上波テレビからフェイドアウトしつつあります。

この節目を、未来に続く発展の入り口だと考えている人は少数派でしょう。

ボクシングは一般のスポーツファンから、どんどん離れていこうとしているのです。

それは「残念ながらビジネスを中心に全てが回っている」「ビジネスはますます盛況で、高額報酬でサウジアラビアに行く選手もいる。これではもはやスポーツではない」(中田英寿)という、日本も含めて世界市場が大きく膨張しているサッカーとは違います。

ボクシングは「ビジネスを中心に回りながら市場が縮小してしまっている」のです。

プロスポーツである限り「ビジネスを中心に回る」のは至極当然です。しかし、経済的・商業的発展が伴わない、あるいは局地的・短期的であるなら、行き着く先は見えています。

ボクシングの世界チャンピオンが、かつてのステイタスを取り戻し、再び強烈な輝きを放つ、そんな日はもう訪れないでしょう。

その価値がどんどん希釈されたタイトルは、挙げ句の果てにどんな味わいになるのでしょうか?


世界チャンピオンのステイタスが最も高かった時代、タイトルの価値が最も強烈な輝きを放っていた時代。それは、米国でも日本でも1950年代でした。